表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/65

第三章 1:無邪気

 大陸の西方は、幾つかの国家が群立する。

 その代表は、内海に突き出た半島を領土に持ち、海洋貿易の中心地であるマリオール王国だ。東側をドゥルメリア都市国家同盟、南側はアストラエル王国と隣接し、海上交通の要所として、小国ながら大いに繁栄している。

 そして、そのマリオール王国とは内海を隔てた対岸にある、ここヴェルディア王国。

 王都セドにある王城の謁見室で、国王のディートリヒ・ベルディオスは満面の笑みでその少年を出迎えた。

「よく来てくれた、ベルル。もっと近くに」

 少年の隣では、彼の父親らしき男性が畏まって小さくなっている。貧相な顔立ちだが、仕立ての良い衣服や、身に着けている高価な装飾が、男性の身分の高さを物語っていた。

 ベルルと呼ばれた少年は、そんな父親の様子を気にした風もなく、無遠慮に国王の元へと歩み寄った。

「国王様は、のんきだね」

 ベルルは手前で立ち止まると、可笑しそうに笑った。

 ディートリヒは笑みのままだが、その顔に怪訝を浮かべる。

「…こ、こら。ベルル、国王様になんて不敬なことを」

 父親が慌てて窘めるが、ディートリヒはそれを手を伸ばして制した。

「私の、何が呑気なんだ?」

 問うディートリヒを見て、ベルルはさらにけらけらと大声で笑った。

「だって、自分の命が狙われているのに、何も気づいていないんだもの」

 そして、国王の玉座の傍に並び立つ大臣たちのうち、一人の初老の男性を指差した。

 指差された男性の額に汗が浮かび、手が震える。表情から血の気が引いていく。

 ディートリヒの視線が、彼の方に向けられる。男性の目が険しく歪められ、忌々しそうに少年を睨み付けた。

「この、化け物が」

 男性は懐から装飾の付いたナイフを取り出して、ベルルに襲い掛かった。

 ベルルは彼に視線を向けることすらなく、無抵抗に可笑しそうに笑い続けている。

 男性が、ナイフを構えてベルルに突っ込む。

 笑いながら、ベルルが男性をちらりと一瞥した。

 一瞬、男性の動きが固まる。

 男性が体を仰け反らした。背後から振り下ろされた剣撃で、背中から真っ赤な血が飛び散った。

 くぐもった呻き声を漏らしながら、ナイフを取り落として男性がうつ伏せに倒れ込んだ。伸ばした手の先が、ベルルの足元で力を失う。

 護衛の近衛騎士は振り下ろした剣を引くと、刃に付いた鮮血を自分のマントで拭った。

「おお、ベルルよ」

 ディートリヒは玉座から立ち上がると、慌ててベルルに駆け寄った。

 愛おしそうに、彼は少年を抱き締める。

「ベルル、怪我はないか。お前にもしものことがあれば、私は一生、後悔することになるぞ」

 ベルルが暑苦しそうに、顔を背けた。

 少年を抱き締めたまま、ディートリヒは顔を上げて周囲に大声で言う。

「今日の執務は終わりだ。…ベルル、あっちで話を聞かせてくれ。珍しい菓子も用意してある」

 立ち上がったディートリヒが、ベルルの手を引いて謁見室を後にする。

 その一連の様子を冷や汗混じりに見ていた父親も、慌てて二人を追いかけた。

 兵士たちによって、男性の遺体が運び出される。

 立ち並んだ大臣たちもほっと胸を撫で下ろしたように、それぞれの顔を見合わせた。


 邸宅が並ぶ一画、通称貴族街に、ルーベルト伯の別邸もあった。

 彼は王城から戻ると、心身ともに疲弊したように食堂の椅子に座り込んだ。侍女が、彼のためにティーポットから温かいお茶をカップに注ぐ。

 男性はカップに視線を落としただけで、手に取ろうとはしなかった。背もたれに体重を預けて、ゆっくりと天井を仰ぎ見た。

「お帰りなさい。あなた」

 奥のドアから現れた妻が、笑顔で彼の隣に座った。

「思っていたよりも、遅かったですね。それに疲れていらっしゃる。王城で何かありました?」

 彼は、自身に不釣り合いなほど美しい妻に視線を向けた。

「ベルルだよ。いつも冷や冷やする」

 彼の六歳になる息子は、この部屋にはいない。この別邸の地下室、息子に頼まれて彼が大工に作らせた部屋に、いつも閉じ籠もっている。

「国王様のご寵愛を受けているんでしょ。良いことではありませんか」

 妻が手を上げると、侍女が彼女の前にカップを置いた。お茶が注がれて、温かな湯気が立ち昇る。

 その芳醇な香りを嗜んでから、妻はカップに口を付けた。

「私は、あの病弱だったベルルが、こうして元気に走り回っている姿を見られるようになっただけで、とても幸せです」

「それは私も同感だが――」

 男性は窓の外の景色を見やる。白いレースのカーテンが、中庭の植え込みを抜けて来た風で揺れる。

「…私は、少し怖いよ。今日も先生は来ているのか?」

「いいえ」と、妻はカップを置きながら答えた。

「代わりに、先生の娘さんがいらっしゃっています。さっきまでここでお喋りしていましたの」

 楽しげな妻の笑顔を眺めながら、男性は嘆息した。

 フードを目深に被った銀髪の少女の姿が、彼の脳裏を過る。十五歳だと聞いたが、すらりと伸びた手足や、その容貌からはもう少し大人びて見えた。

「私は、あの娘も怖いよ」

 男性は独り言のように呟くと、ようやくティーカップを手に取った。


 地下の自室に戻った少年を、銀髪の女性が出迎える。

「おや、もう来ていたのかい」

 ベルルはドアを閉めながら、銀髪の女性を見て笑う。ゆっくりと部屋の中を進んで、彼のための大きなベッドに腰掛けた。

「国王がなかなか帰してくれなくてさ。彼は自分でも気付いていないけれど、小児性愛者なんだ。見た目が子供ならば、誰だっていいのかな」

 可笑しそうにお腹を抱えて笑いながらベッドに体を倒した。

 銀色の髪の女性は、その様子をただ静かに見つめる。ベルルがひとしきり笑い終わって、体を起こすのを待ってから、口を開いた。

「ベルル様がおっしゃっていた、調和させし者に会いました」

「ほお」と、ベルルが興味深そうに目を輝かせる。

「彼は元気そうだった?」

「正直に言って、あの程度の者をベルル様が恐れているなどとは信じられません」

 女性は首を横に振りながら応えた。

「ディアナ――」

 ベルルが、彼女の名前を呼んで瞳を覗き込む。

「彼は、君を相手に剣を抜いたのかい?」

 ディアナは怪訝そうな表情で、首を傾げた。

「はい。とても古い剣でしたが、クラリッサの龍麟すらも貫けない鈍らでした」

 その言葉に、ベルルはまた可笑しそうに笑った。

「それは剣じゃないよ。ただの金属の棒だ。なるほど、彼らしい」

 ベルルが自身の口元を覆うように、左手を当てる。

「それに、僕は別に彼を怖れてはいないよ。ただ彼が出て来ると、いつも話がややこしくなるんだ。言ってみれば、トラブルメーカーさ」

 まだ納得がいってなさそうなディアナを横目に、ベルルが腕を広げて体を伸ばした。大きく欠伸をする。

「皆が動きやすいように、君は、君のしたいことをすればいい。もう種は蒔いてある。水と肥料さえ与えてやれば、あとはすくすくと勝手に育っていくのを眺めるだけでいいんだ」

 ベルルはベッドにごろりと寝ころんだ。

 腕を挙げると、会話は終わりだとばかりに手を振った。壁の方を向いて、体を横にする。

 ディアナは小さく頭を下げて、部屋を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ