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第二章 46:襲撃

 ベルフェルの郊外。廃墟となった建物があった。

 以前は、風変わりな貴族の別荘だった。その貴族もすでに亡くなり、後を継いだ子息たちからも、この別荘の存在は忘れ去られていた。

 小瓶を持ったひとりの修道女が、建物の扉を押し開ける。小瓶の中の粘性のあるどす黒い液体が、わずかに波打った。

 修道女は迷わずに、二階へと向かう。そして最奥の部屋のドアを開けた。

 部屋の中にいたクラリッサが顔を上げて、彼女を見た。

「シスター・クロエ、これを見てください。あの小娘につけられた傷が、…忌々しい」

 クラリッサは人間の姿を取り戻してはいたが、その背中からは大蛇の尻尾を生やしたままだ。その尻尾も、抉られたように深い傷を負っていた。

「油断したわね。それも大きな、失態を」

 クロエは小瓶をテーブルに置いた。先ほど学院の医務室で、グレタに使った液体が入っている。

 クラリッサが顔を歪めて、舌打ちする。

「それで、帰って来てるんでしょ。マザー・リオティネ様も」

「ええ」と、クロエは冷たく頷いた。

「リオティネ様の言葉を伝えに来たわ」

 クロエがテーブルに置いた小瓶を、すっとクラリッサの方に押し出した。

「これは、あなたひとりが引き起こした事件。幕引きも、あなたひとりでやりなさい」

 クラリッサが眉を顰めて、斜め下に視線を落とす。表情から血の気が引いていた。

「…そういうこと、ですね」

「あの男も来ているんでしょ。せめてあの男の始末ぐらいは頼むわ」

 そう言い残して、クロエが立ち去る。

 クラリッサはテーブルの小瓶を掴むと、クロエが去ったドアに向かって投げつけようと振り上げた。

 しかし、振り上げたままで手を止める。

 ゆっくりと手を下ろすと、小瓶を膝の上で抱えた。

「分かっていますわ…」

 彼女は、ぽつりと呟いた。


 教会の前で押し問答するパティアとシスター・ドルネの元に、ひとりの修道女が走ってやって来る。

 彼女に気付いたドルネが、驚いた表情を浮かべた。

「シスター・マリ。戻って来ていたんですね」

 マリはドルネの元までやって来ると、ハァハァと荒い息を吐きながら、呼吸を整える。そして、周囲の状況を確認するように辺りを見回して、その視線がパティアに止まった。

「…王国の方ですか?」

 胸を押さえて、マリが問う。

 そんな彼女の耳元で、ドルネが小声で言った。

「第二王女の、パティア様です」

 マリの目が見開かれた。慌てて、恭しくお辞儀をする。

「失礼しました。まさか、パティア様が直々に調査にいらっしゃっているだなんて」

「あなたが責任者?」

 パティアが訝しげに視線を向けた。

「いえ」と、マリは深呼吸して答える。

「とんでもありません。私は、使いの者です」

 そして、彼女はドルネを見た。

「シスター・ドルネ、状況を教えてください。これは何事ですか」

 ドルネはそっと目を伏せる。答えづらそうに、口元を開きかけては、再び閉じた。

 しばらくして、彼女は決心したように言葉を紡ぎ出す。

「…その、シスター・クラリッサに化けた魔物が、学院の女子生徒を襲っていたところを目撃したと」

 マリの表情が険しく曇った。

「やはり、事実でしたか…。それで、クラリッサ本人はどこに?」

 目を伏せたままで、ドルネは首を横に振った。

「修道院にも、教会にも見当たりません。学院にもいないということであれば、おそらく彼女はもう…」

「まさか、そんなことが」と、マリも肩を落とす。

「ともかく、リオティネ様にすぐに報告しなければ。シスター・ドルネ、ここは頼みます」

 パティアにも一礼して、マリはもと来た方向へと駆け出した。

 二人の会話を聞いていたパティアが、神妙な面持ちでドルネに視線を向けた。

「マザー・リオティネが来ているんですね」

 その名前に、パティアも緊張を隠せない。

 生ける伝説であり、現代の聖女。パティア自身、幼い頃に彼女と対面したことはあるが、自分に向けられる優しげな微笑みが何故か怖かった思い出がある。

 彼女の民衆への影響力を考えると、軽率な対立は避けたい。

 その時、近付いてくる人影に気付いて、パティアは振り向いた。どういうわけか、鐘楼のある方向からシュタインが戻って来る。

 彼の後ろから、薄汚れた金髪の女性が付き従うように歩いていた。パティアの知らない顔だ。

「二人とも、いったん戻るぞ」

 戻るなり、シュタインがパティアたちに声を掛ける。

「シュタイン、その後ろの方はどなた?」

 パティアが、彼の後ろの女性を覗き見ながら眉を顰める。

「大事な証人だ」と、シュタインは自身の肩越しに親指で指しながら、背後の女性――テオドラを振り返った。

 テオドラがふと立ち止まる。足が竦んだようにその場に留まると、怯えた目で修道女たちを見た。

「…どうした? テオドラ」

 シュタインの問いかけにも、テオドラは肩を小刻みに震わせたまま、何も答えられない。

 異常な様子の彼女に気付いた若い修道女が、心配そうにテオドラに近づいた。

「大丈夫ですか?」

 歩み寄ってくる修道女を見て、テオドラがさらに大きく体を震わせた。胸の前で交差させた腕を自身の両肩に回して、膝を曲げる。

「少し教会でお休みになりますか?」

「いや」と、修道女を、シュタインが手で制した。

「平気だ。連れて帰る」

「――させるものですか」

 声が響いた。

 同時に、空気を裂いて鋭い軌跡が走った。

 ――キンッ。

 抜いたシュタインの剣が、それを弾き飛ばす。

 地面に、爬虫類の鱗のような破片が突き刺さった。

 通りの先に、異質な影があった。人の姿のように見えたが、いびつに歪んでいる。

「…クラリッサ…様…」

 テオドラが目を見開いた。その瞳の恐怖がさらに濃く映る。

「昨夜の蛇女か」

 シュタインが、庇うようにテオドラの前に割って入った。

 身構えるパティアの正面に、剣を抜いたウィルが立つ。

「その娘を渡しなさい」

 バキバキと骨が砕けるような鈍い音をたてて、クラリッサの下半身が不自然に折れ曲がる。

 修道服が裂けて、その下から巨大な蛇の半身が現れた。口元が真横に裂けて、ぎっしりと並んだ細かな牙が覗く。

 異形のクラリッサが振るった腕から、ひゅんと鱗が幾片も放たれた。

 同時に石畳を削りながら、蛇身をくねらせて地を這って迫る。

「猫の子じゃあるまいし。そう簡単に渡せるかよ」

 シュタインも地面を蹴って、駆け出した。

 飛び来る鱗を剣で弾きながら、一気にクラリッサとの距離を縮める。

 鋭く振るわれたクラリッサの腕を掻い潜って、シュタインが胴体目掛けて剣を薙いだ。

 ――ガキンッ。

 剣が、硬い音で弾かれる。

 体躯を捻りながら、クラリッサが大蛇の下半身を振るった。

 右頬を打ち抜かれて、シュタインの体が宙を舞った。

 大通りの反対側まで叩き飛ばされて、商店に突っ込む。激しい破砕音が響いて、カウンターが木片を撒き散らした。

「シュタインさんッ!」

 駆けだそうとしたウィルを、クラリッサが放った鱗が襲う。

 ウィルの背後には、パティアがいる。

 彼は慌てて右足を踏み替えて地面を蹴ると、パティアを押し倒した。

 完全には避けきれない。鱗が、ウィルの体を切り裂いた。肩口や太ももから血飛沫が散る。

「ウィル!」と、体を起こしながらパティアが叫んだ。

「…大丈夫。大した傷じゃない」

 ウィルは、次の攻撃に備える。片膝を付いたままで剣を構えた。

 修道女が悲鳴をあげた。大通りを、人々が逃げ惑う。

 立ち上がろうとしたウィルが、小さく呻いて再び膝を付いた。

 鱗で裂かれた傷口が、じわじわと紫色に染まっていく。内側からの焼け付くような痛みに、思わずウィルは地面に手を付いた。

 パティアが傷口を見て、眉を顰めた。

「…毒?」

 顔を上げた彼女の視線の先で、じとりと汗を滲ませたウィルの表情が苦痛に歪む。

 パティアはすぐに小さく詠唱する。

 傷口にかざした手が、ぽおっと淡い光を発した。

「来なさい、テオドラ」

 誘うように、クラリッサが手を伸ばした。

 テオドラは怯えた目で、クラリッサを見つめ返す。色を失った唇が小刻みに震える。

「来る気がないなら、――死になさい」

 静かに言い放ちながら、クラリッサが踏み出す。

 彼女の後ろで、影が舞い降りる。

「下がってろ!」

 降下しながら、シュタインがクラリッサの背中に剣を降り下ろした。

 しかし、硬質な鱗に阻まれ、甲高い音を立てて跳ね返される。クラリッサの体には傷ひとつ付いていない。

「…くそっ」と、シュタインが舌打ちする。

 クラリッサが身を回して、尻尾を薙ぐ。シュタインは上体を反らして躱すと、地面に手を付いて身を翻した。

 着地と同時に、剣を正面に構え直した。

「刃が通らねえ。どんな体してやがるんだ」

 脂汗を垂らしながら、ゆらりとウィルが立ち上がった。

「…もう大丈夫だ。パティア、テオドラさんを安全な場所に」

 パティアをそっと押し退ける。

 はっと目を見開いて心配そうに見るパティアをその場に残して、ウィルは地面を蹴って駆け出した。

 迎え撃つクラリッサの伸ばされた腕を掻い潜りながら、腕の付け根を狙って、正確に剣を振り上げた。

 ガンッ。

 まるで大岩に対して剣を振り下ろしたような衝撃が、ウィルの腕に返ってくる。

 鋭いクラリッサの攻撃を躱しながら、ウィルは何度も斬り付ける。だが、甲高い音とともに弾き返されるだけだ。

 投げ付けられた煉瓦が、クラリッサの顔に当たって粉砕した。

 シュタインが叫ぶ。

「相性が悪い。ウィル、いったん下がれ」

「クッ」と、クラリッサが顔を覆う。

「小賢しい真似をッ」

 尻尾が、ウィルに襲い掛かる。

 しかし、ウィルは避けない。好機を逃すまいと、神経を研ぎ澄ます。

 剣を逆手に持ち替えて、眼前に迫る大蛇の尾を正面から迎え撃つ。

 バキンッッ。

 鈍い音をあげて、ウィルの体が吹き飛ばされた。

 教会の壁に背中から叩き付けられる。

「ギャアアアァァ――」

 苦悶の悲鳴をあげたのは、クラリッサだった。

 彼女の尻尾に、根元まで深々と剣が突き刺さっていた。

「…へへっ」と、ウィルが頭から血を流しながらも笑みを浮かべた。

「昨日の今日だ。まだ治っていないと思ったんだ」

 確信があったわけじゃない。賭けだった。

 そして、それに勝った。

「そうか。昨夜の傷跡か」

 シュタインが口の端を吊り上げて、ウィルに笑みを向けた。

 クラリッサが憤怒に顔を歪ませて、尾に突き刺さる剣を引き抜いた。傷口から、どろりとどす黒い液体が溢れ出す。

「お前たち、生かしておくものか。骨の髄まで喰らい尽くしてくれるわ」

 髪の毛が逆立つ。クラリッサが血走った目で、ウィルたちを睨み付けた。

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