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第二章 45:魔薬

 用途の分からない器具を指で弾くと、シュタインは改めて目の前の少女を見た。

 テオドラは自身を抱きかかえるように、体を小さくして俯いていた。両方の肩が、小刻みに震える。

「ここは、なんの部屋なんだ?」

 シュタインの問いかけに、彼女はびくっと大きく体を震わせた。

 何かの実験用器具のようだ。シュタインは少し歩き回りながら、部屋の中を探索する。

 容器の底に、どす黒い液体がこびり付いている。側に置かれていた布切れを拾い上げて嗅ぐと、つんと強いアルコールの匂いがした。

 シュタインが部屋の隅に向かうと、テオドラがわずかに反応を見せた。腰を浮かしかけて、戸惑ったように座り直す。

 甘さと、香ばしさが混ざったような、妙な匂いが漂ってくる。シュタインは、匂いの元へと歩み寄った。

 壁際に置かれていた木箱を開ける。

 匂いがさらに濃くなる。中身は、乾燥した植物のようだ。木箱の中ほどまで敷き詰められていた。

 シュタインは手を伸ばして、植物の葉を手に取った。

 彼の指先で、それはぱらぱらと砕けて粉末状になる。

 背後で、テオドラが小さく息を呑む音が聞こえた。

 手に付いた粉末を眺めていたシュタインが、匂いを確かめると、そっと指先を舌に当てる。

 植物の正体に気付いたシュタインが、テオドラの方を振り返った。

「…カンナビエルリーフか」

 シュタインが、粉末を落とすように手を叩いた。

「魔薬だな。この国では、禁制品のはずだが」

 彼はテオドラに近付くと、顎に手を掛けて無理やり顔を上げさせた。

 シュタインを見る落ち窪んだ目が、恐怖で震える。彼女の色を失ってひび割れた唇に、シュタインは顔を間近に寄せた。

 半開きのテオドラの口から、甘ったるい香りが漂う。

「中毒か。おい、話は出来るか?」

 シュタインが手を放して、テオドラの真っ赤に充血した目を覗き込んだ。

 声は届いているようだが、彼女は狼狽したような表情のままだった。

「クラリッサは死んだ。俺は、君の父親に頼まれて、助けに来たんだ」

 テオドラの瞳が揺れる。目を伏せて、俯いた。

「…帰れません」と、テオドラがぽつりと呟いた。声に力がない。

「いつから、薬をやってる?」

 その言葉に、テオドラの肩がびくっと震えた。

「クラリッサたちに無理強いされたわけじゃないようだな。父親の商品に手を付けたのか」

 テオドラの動揺が、シュタインの予想の正しさを証明していた。

 エルドヴァルの市長であり、交易商人でもあるヴァルター・ブロムは、非合法な品物を取り扱う裏の顔も持っている。魔薬も、そのひとつなのだろう。

「悪いようにはしない。何があったのか、話してくれ」

 シュタインは、彼女に優しげに微笑んだ。

「大丈夫だ。俺は、君の味方だ」

 テオドラがゆっくりと顔を上げて、シュタインを見た。その目から、つっと涙が零れ落ちた。

 彼女は唇を震わせながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 最初は興味本位で、父親の部屋で見つけたカンナビエルリーフに手を出したこと。

 不思議な感覚だった。世界がとても色鮮やかで、幸せに満ちているということを自然と実感できた。天使の囀りと、心安らかな音楽に満ち溢れ、今のこの瞬間が、永遠のように思えた。

 自身の胸の中心が活性化されて、力が湧いてくる。

 だが、その時間は、すぐに終わりを告げた。

 途端に、現実を突き付けられたように、激しい厭世観に襲われた。

 いや、どちらが現実であるのか、分からなくなった。

 彼女は再び、カンナビエルリーフに手を出した。幸福感と、厭世観を繰り返すうちに、気がついた時には、カンナビエルリーフを手放せなくなってしまっていた。

「…それは、寄宿学校に入ってからも続きました」

 テオドラの告白が続く。

 アウレリア学院に入学してからも、隠してひっそりと持ち込んだ薬を常用し続けた。

 手持ちが無くなりかけると、商人ギルドを通じて、父親の部下の男に内密に連絡を取った。父親に手紙を出すという口実で商人ギルドに通いながら、その抱き込んだ父親の部下から横流しを受けた。

 ある時、薬を紛失した。隠し場所から無くなっていたのだ。

 テオドラは慌てた。誰かに見つかったのかと、しばらくはびくびくと周囲の視線を気にしながら学校生活を送っていた。

 薬も止めようと思った。

 しかし、それは自身によってすぐに覆された。彼女は薬を断つことはできなかった。

「それから少しして、ルームメイトがいなくなりました」

 同室の女の子は、身寄りの無い子だった。前日に修道女と歩いているところを見かけたという情報を最後に、彼女は行方不明となった。

 脱走したのかも知れない。アウレリア学院には裕福な家庭の子女だけでなく、事情のある子供たちも大勢いる。そういった子供の中には、学校から逃げ出す者がいないわけでもなかった。

 ある日、テオドラは校長のクラリッサから呼び出された。

 いつものように、温和な笑みを浮かべて座るクラリッサ。彼女の前に置かれた見慣れた小箱を見て、テオドラは背筋に冷たいものが走った。

「…これは、あなたのものですね」

 クラリッサは笑顔を崩さずに、テオドラを詰める。

 いつかこういう日が来ることは覚悟していた。体に力が入らず、その場に座り込んで涙ながらにそれを認めた彼女を、クラリッサは責めなかった。

 代わりに、彼女にとある提案をしたのだった。

「私は、ここで実験の手伝いをしながら、カンナビエルリーフを教会に横流しするようになりました」

 この時から、テオドラは父親に手紙を出すことはなくなった。

「実験、とは?」

 シュタインが、部屋の中央に置かれた大きな石のテーブルに座る。ひんやりとした冷気が伝わってくる。

「クラリッサ…様たちは、――新世界の血…と呼んでいました」

 自身の服の胸の辺りを、テオドラは強く握り締めた。

「ここで、ひとりの女性から血液を採取するんです。その血液に様々な薬品を混ぜて、調合します。その薬品のひとつが、カンナビエルリーフでした」

「なるほど、な」と、シュタインが納得顔で頷いた。

 シュタインは立ち上がると、テオドラに歩み寄る。そして、彼女の肩に手を置いた。

「安心しな。君の身の安全も、立場も、俺たちが守ってやる。君は大事な証人だ」

 テオドラは見上げるように、シュタインに顔を向けた。やつれたその頬が濡れている。

「それで」と、シュタインが目を細める。

「その、女性ってのは何者なんだ。分かるか?」

 テオドラは、静かに首を横に振った。

「…いいえ、誰なのかは。銀色の髪の…確か、当代様と呼ばれておりました」

 ここに来て初めて、シュタインが動揺を見せた。

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