第二章 44:友情と破壊
皆が食事の手を止めて、二人の会話を見守る。
ルナが知っていることがすべてではない。知っていることでも、核心を話すわけにはいかない。
何を話すべきか言葉を選びながら、ルナは説明する。リオティネが、ルナのことを王国が派遣した調査隊だと誤解しているのなら、それを利用しない手はない。
「静潮の大聖堂で反乱の兆しあり。その情報を受けた王国上層部が調査した結果、反乱はあなたのところのシスター・マルセラが先導していたと判明したのよ」
「まさか…」と、リオティネが絶句する。
――本音なのか、演技なのか。
ルナは、彼女を見定めながら話を続けた。
「マルセラが王都に来る前に、この街の教会にいたということを突き止めた。さらに、魔物だったクラリッサのこともある。ベルフェル聖堂が無関係だとは思えない」
リオティネが黙り込んで、再び考え込む。
その時、部屋のドアが慌ただしく押し開けられた。
激しく息を切らせつつ、修道女がリオティネに駆け寄った。ハァハァと肩を大きく揺らしながら、しばらくリオティネの側で息を整えると、彼女の耳元で何かを囁いた。
それを聞いていたリオティネの表情が、わずかに変化する。その瞳は鋭く、ルナに向けられた。
「分かりました」
リオティネが返事をすると、修道女はそのまま彼女の後ろに控えるように立つ。まだ息が乱れたままだ。鎮めるように、そっと胸を押さえた。
「どうやら、あなたの言っていることは事実のようですね」
言いながら、リオティネは改めて静かにルナを見つめた。
「私の与り知らぬところで、魔の者に教会が侵食されていたなど…。あってはならないことですが、しかしそれが真実だということであれば。私の方でも、調査する必要がありそうです」
そして、手元のティーカップをゆっくりと持ち上げた。
彼女は中身を啜ると、ティーカップをそっと置いて、脇に置いてあったティーポットを手に取った。
「皆さん、お茶のお代わりはどう?」
ルナは眉を顰めた。
「…それだけ?」
ルナの問いかけに、リオティネは微笑みで返した。
「ええ。王国の調査にも、誠実に対応いたしますよ」
話は打ち切りだと言わんばかりに、リオティネはルナから視線を逸らす。
「さあ、お茶はいかが?」
他の寮生たちを見回すリオティネに、エーデルがすっとティーカップを差し出した。
「お願いいたします」
リオティネは破顔して、差し出されたティーカップをお茶で満たした。
エーデル以外の寮生は食事に手を付けるのも憚られて、戸惑ったようにお互いの顔を見合わせる。アズリオも困ったように、リオティネの顔色を窺っていた。
言葉を探して、ルナは無意識に自身の太ももの上でこぶしを握る。
その手の甲に、エーデルがそっと手のひらを重ねた。
驚いたルナが、顔を上げて彼女を見る。しかしエーデルは真正面を向いたままで、リオティネの話に笑顔で相槌を返していた。
ルナは軽く目を閉じて、深呼吸する。
そして、ゆっくりと目を開けると、静かにリオティネを見据えた。
リオティネは笑みを浮かべて、穏やかに話を続けている。その視線はすでに、ルナに対する興味を失っていた。
「…リオティネ様、そろそろ」
修道女が、後ろから声を掛ける。
「もうそんな時間ですか」と、リオティネが残念そうな顔で、修道女の方を振り向いた。
「では、お開きにしましょうか。皆さん、今日は本当に楽しかったわ」
笑顔で言うリオティネに、気まずい空気に顔を曇らせていた面々はほっと肩を緩めた。
「戻るぞ」と、アズリオが急いで立ち上がる。
「リオティネ様、本日はありがとうございました」
その言葉を合図に、他の寮生たちも席を立った。
ぎこちなく立ち上がったエーデルの脇に、ルナが肩を潜らせる。
「部屋まで送るわ」
礼を言うエーデルに肩を貸しながら、他の寮生たちから少し遅れて、ルナもドアに向かった。
部屋を出る直前、ルナは振り返ってリオティネを一瞥する。
半分閉まりかけたドアの隙間から覗き見えるリオティネは、目を伏せて、ゆっくりとティーカップに口を付けた。
ルナの肩を借りて寮の部屋に戻りながら、エーデルが嘆息混じりに言う。
「…どおりで強いわけですわ。宮廷魔術師なら、そうとおっしゃってくださったら、私も調査に協力して差し上げましたのに」
「言えるわけがないでしょ」と、ルナは呆れ顔で返す。
「っていうか、宮廷魔術師じゃないし」
「あら、王国からの調査で来たんでしょう。宮廷魔術師じゃないなら、あなたの魔力の説明ができませんわ」
「んー」
ルナは考え込む。宮廷魔術師でもないし、実際は王国の調査隊でもない。
「年は幾つなんですか。若く見えますけど、宮廷魔術師なら、だいぶ年上でいらっしゃいますよね」
「んー」と、ルナは少し考えてから、正直に答えた。
「十五」
エーデルは一瞬、足を止めてルナを凝視する。
近距離で、ルナの足元から顔までを眉を顰めて眺めた。長身のエーデルよりもやや背は低いが、決して背が低いわけではない。すらっと伸びた手足と、端正な顔立ちに降り掛かる銀色の髪が、彼女に大人びた雰囲気を与えている。
「…想像以上に若くて驚きですわ。私よりも、ひとつ年下だなんて。確かに十五歳の宮廷魔術師の噂など、聞いたことありませんわね」
「だから、宮廷魔術師じゃないって言ってるじゃない」
ルナが唇を尖らせる。
右足を痛そうに引き摺りながら、エーデルがため息を吐いた。
「どうせ、エリー・カーミラという名前も偽名なんでしょう」
その言葉に、ルナは笑みを漏らしてふっと肩の力を抜いた。
「ルナよ。ルナ・ピアルシュド」
エーデルが驚いたように目を丸くして、ルナを見た。
「ピアルシュドって――」
その時、廊下の先、ルナの視界の遠いところで何かが光る。
「エーデル!」
ルナが叫ぶ。
真正面から二人に向かって真っすぐに放たれた光が、不可視の壁に阻まれて霧散した。
散った光の向こう側で、人影がゆらりと揺れる。
不自然に、赤い髪がうねる。彼女は両腕をだらりとぶら下げて、呆然としたまま、こちらを見ていた。その目の焦点は合っておらず、瞳は虚空を映し出している。
「…グレタ?」
ルナの呼びかけに、彼女は返事をしない。
「様子がおかしいですわ」
エーデルが怪訝そうに向けた視線の先で、グレタはゆっくりと口を開けた。
裂けそうなほどに大きく開かれた口の奥から、光が漏れる。光はだんだんと輝きを増して、彼女の表情を眩さで隠した。
――コオォォォ。
空洞を風が通り抜けるような、乾いた音が響く。
そして次の瞬間、彼女の口から鋭い光が放たれた。
光線が、エーデルの張った不可視の壁を震わせる。反射した光が分散して、寮の壁を破壊し、床に大きな亀裂を走らせた。
「あの子に、こんな力が…!」
撒き散らされる破片から身を守りながら、エーデルが驚愕の表情を浮かべた。
ルナは目を細めて、赤い髪の少女を見る。グレタは確かに魔法の才能を持っていた。しかしそれは、こんな異形の力では無いはずだ。
後ろの方から、女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。
昼食を終えた生徒たちが、寮に帰って来る頃合いだ。人の気配も増えてきた。
「エーデル、ひとりで戻れる?」
問うルナから肩を外すと、エーデルが壁に手を付いて立つ。右足の痛みに、わずかに顔を歪ませた。
「…大丈夫よ。それよりも――」
二人に、グレタが発した光線が迫った。
不可視の壁がそれを阻むが、光線の勢いを完全には防ぎきれない。弧に沿って滑った光線が、激しい轟音をたてて寮の壁に大きな穴を開けた。
エーデルの額を、珠のような汗が流れる。
「――あの子を、早くなんとかしてちょうだい」
「分かってるわ。でも…」
――どうすればいい。
信じたくはない。グレタの、見開かれた目。
血走った白目に浮かぶ、色素を失って灰色に濁った瞳孔。あの目は、メルヴェやパール・シティで見たものと同じだ。
「まだ壁は使える?」
ルナは、壁に寄り掛かって立つエーデルに問う。
「あの子の魔力、とんでもないわ。だいぶ限界だけど、あと一回ぐらいなら…」
彼女の答えを聞きながら、ルナは修道服の裾を掴んで、スカート部分をびりびりと縦に割く。
「なるほど。そういうわけね」
エーデルが納得したように頷いた。
床を蹴って、グレタに向かってルナは一気に駆け出した。
乾いた咆哮をあげながら、グレタがだらりとぶら下げた両腕をゆっくりと持ち上げる。
何かを掴むように前に伸ばされた両手から、何十もの光の帯が放たれた。
ルナは勢いを止めずに、グレタに迫る。
光の帯は、ルナに衝突する寸前で不可視の壁によって、あらぬ方向へと弾き飛ばされた。
弾かれた光弾が、寮の壁や天井を破壊して破片や粉塵を撒き散らす。
さらに放たれた何十もの光の帯が、迫るルナを追撃する。
ルナを守る不可視の壁に、細かな亀裂が幾つも走った。
光の帯の追撃は終わらない。
グレタまであと一歩というところで、ついに不可視の壁が音もなく粉々に砕け散った。
障害を突き抜けた光弾が、ルナを正面から襲った。
激しい爆裂音。光と、撒き散らされた粉塵で、ルナの姿が見えない。
「エリー!」
エーデルが絶叫する。
「だから――」
グレタの真横から、声がした。
光弾が直撃する寸前、ルナは大きく横に飛んで、グレタの真横の壁に足を付けていた。
「ルナだって」と、強く壁を蹴る。
グレタの体を抱き留めて、その勢いのまま、ガラス窓を突き破って外へと飛び出した。




