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第二章 41:浸食

 大講堂に、学院の全生徒が集められた。

 エーデルに肩を貸しながらの移動であった為、彼女とグレタは遅れて大講堂に着いた。もうほとんどの生徒たちが集まった後で、二人は集団の後ろの方に並ぶ。

 グレタはそっと窺うように、周囲に視線を巡らせた。

 数人の生徒と一緒に、先に講堂を出たエリーの姿は見つからない。あの特徴的な銀色の髪は、他の生徒たちに紛れて、どこにも見当たらなかった。

「私はここからでも大丈夫ですわ」

 見回す視線に気付いたエーデルが、彼女を気遣って微笑んだ。

「…えっ、あ、はい」と、グレタは頷いて、エリーを探すのを諦める。

 初めて彼女に会った時から、何か訳ありな雰囲気は感じていた。自分がマザー・リオティネに助けられたように、エリーは自分が助けなければならないと思った。

 そして、友達になれると信じていた。

 だからエリーが、自分に大事なことを何も話してくれないことに苛立った。

 話してくれないエリーに、ではない。彼女に信用されていない、自分にだ。

 昨夜も、エリーは部屋に帰って来なかった。一晩中、グレタは眠れなかった。朝早くに戻って来た彼女を見てほっと胸を撫で下ろしたが、接し方が分からない。エリーの方からも、何かを話してくれるような素振りはなかった。

 ざわついている生徒たちの背中を眺めていたグレタに、不意に声が掛かった。

「グレタ。手続きのことで、少しお時間いいかしら」

 いつの間にか傍らに立っていた修道女が、グレタに目配せする。

 グレタは驚いた表情で振り返った後、隣のエーデルを見た。

「…俺が、変わろう」

 集団から離れた場所に立っていたロゥが、ゆっくりと近づいて来た。

 エーデルも頷いた。

「大丈夫よ。グレタ、行ってらっしゃい」

「すみません」と、グレタはロゥにエーデルを引き渡す。

 そして彼女は生徒たちのざわめきを背に、修道女の後を追って大講堂から立ち去った。


 グレタを連れて、修道女は幾つかの部屋の前を通り過ぎる。

 そして通されたのは、医務室だった。

「ここで、ですか?」

 問うグレタに、修道女は頷いた。

「そうですよ。さあ、中に入って」

 怪訝そうに部屋の中の様子を窺いながら、グレタは医務室へと入る。

「そこに座って」と、修道女が簡易な椅子を指す。そして、医務室の奥へと姿を消した。

 妙な薬品臭さが、グレタの鼻を障る。彼女は椅子に座って待つ。

 しばらくして、修道女が戻って来た。その手には、どろりとした粘性のどす黒い液体が入った小さな瓶が握られていた。

「あなたは、ルームメイトのエリー・カーミラのことをどう思いますか?」

 小瓶を机に置いて、修道女がその手前の椅子に座る。

 思いがけない問いかけに、質問の意図を測りかねて、グレタは上目遣いで修道女を見た。

 戸惑った様子の彼女の目を、修道女は食い入るように見つめる。

「素直に、あなたが思っていることでいいんですよ」

「…はい」と、グレタは彼女から目線を逸らしながら答えた。

「とても、強い人です。私に無いものは全部持っているし、…それにエリーは、私にあるものも全部、私以上に持っている。ひとりでなんでも出来ちゃうから、ルームメイトの私なんて要らないんじゃないかなって思う時もあります」

 無意識に、グレタは両方のこぶしを膝の上でぎゅっと固く握る。微かに肩が震えていた。

 そんな彼女の手に、修道女がそっと手を重ねた。

「そんなことありませんよ」

 その温かい手に、グレタはふっと目線を上げて修道女を見た。

 彼女は悲しげな瞳をグレタに向けている。

「あの子は心を閉ざしています。その閉ざされた心の内側には、深い闇がどこまでも広がっている」

 そして、ふっと微笑んで見せた。甘い吐息が、グレタの顔を掠めた。

「あの子には、あなたが必要です」

 修道女のその言葉は、グレタにとってとても心地良かった。

「その為には」と、修道女は表情を改める。

 彼女は再び、グレタの瞳を覗き込んだ。

「あの子を助けられる、力が必要です。あなたはその力を受け入れる覚悟はありますか?」

 ――力があれば。

 グレタは真っ直ぐに、修道女の目を見つめ返した。

「はい」と、力強く頷いたグレタに、修道女はにこりと微笑み掛けた。

 いや、にやりと言うべきか。

 机に置かれた小瓶の中のどす黒い液体が蠢いたような錯覚を覚えた。

 修道女がゆっくりと立ち上がった。そして、小瓶を手に取る。

「あの、私は何をすれば…?」

 グレタの問いかけに、彼女は淡々と言い放つ。

「服を脱ぎなさい」

「…えっ」と、グレタは思わず息を呑んだ。

 狼狽えながら自身の体を抱き込んだグレタに、修道女が諭すように続けた。

「大丈夫。ここにはあなたの父親も居ませんし、汚らわしい大人たちも居ません。あなたを傷付け、辱める者は誰もいませんよ」

 グレタの脳裏を、真っ暗に塗り潰された記憶の残滓が過ぎる。

 自分自身の悲鳴が聞こえた。

 彼女は目を固く閉じた。

「思い出してはいけません。目を開けなさい」

 修道女の言葉に、グレタはすぐに瞼を見開いた。

 グレタは視線を伏せながら立ち上がると、そろりと修道服を脱いだ。

 下着姿となった彼女の白い肩を、修道女は優しく撫でると、何かを呟きながらそっと唇で触れる。その右手には、いつの間にか小振りのナイフが握られていた。

 修道女はナイフの刃を、小瓶の中のどす黒い液体に浸す。

 ナイフをゆっくりと引き上げると、その刃は黒く染まっていた。

 グレタの肩を掴むと、修道女は刃先を当てる。

 ツッ――。

 修道女が刃先を滑らせると、グレタの白い肌にひとすじの赤い線が走った。真っ赤な血が滲み出て、たらりと滴り落ちた。

「――ッ!」

 痛みに、グレタの顔が歪んだ。

 ナイフの刃先に付着したどす黒い液体が、まるで意志を持つかのように、傷口から彼女の体内に入り込んでいった。

 痺れるような感覚が、肩の傷口から全身に広がっていく。

 その様子を眺めていた修道女の両目が、沈む下弦の月のように怪しく光る。

 …とくん。

 グレタは自身の心臓の内側に、何かが滴り落ちた気配を感じた。

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