第二章 40:聖女の帰還
ベルフェルの街は朝霧に霞んでいた。
昨夜遅くにアウレリア学院に戻ったルナだったが、当然ながら学院の門も扉も固く閉ざされていた。
門を越えるのは容易かったが、校舎にも寮にも入る方法が見つからない。結局は、適当な商店の軒下を無断で借りて野宿することにした。慣れていることとはいえ、まだ温かい時候だったのは助かった。
日の出から間もなく、ルナが学院の門の前に戻るとすでに開かれていた。
ルナは外套を胸元で引き寄せながら門を潜って、校舎の入口へと向かう。
入口で、修道女と鉢合わせた。身構えるルナに、険しい表情で修道女が近付いてくる。
「あなた、どこに行っていたの」
彼女は両方の腰に手を当てて、ルナの正面に立つ。
「どこの寮の子? いったいいつから外にいたの。黙っていないで、ちゃんと答えなさい」
まくし立てる修道女に、ルナは思わず圧倒される。
「え…、いや…、エイシャ先生に…」
修道女の肩越し、校舎の中に、エイシャの姿が見えた。
「あ、エイシャ先生!」と、ルナが大声で彼女の名前を呼ぶ。
エイシャが、ちらりとルナの方を振り向く。一瞬だけ、驚いたように目を丸くするが、すぐに視線を逸らして校舎の奥の方へと消えて行った。
修道女が振り向いた時には、既にエイシャの姿はなかった。
彼女はまたルナの方に向き直ると、説教の続きを始める。
いつ終わるかも分からない小言を聞きながら、ルナは胸の奥でエイシャへの復讐を誓った。
黒板に、数式が並んでいる。
そのうちの幾つかは初めて見る公式だったが、ルナはそれを直感的に理解する。そして退屈そうに、大きな欠伸をした。
昨夜のことがまるで夢であったかのように、学院の風景は何も変わらない。交流戦を経て、多少は生徒たちのルナに対する接し方が変化したくらいだ。修道服姿の教師たちも、ルナを特別視しているような様子はなかった。
ただひとつを除いて。
朝帰りで寮の部屋に戻ったルナに気付いたグレタは、彼女を一瞥して「おかえり」と声を掛けただけ。それ以上、何かを言うことも、目も合わせることもなかった。
足が不自由なエーデルの世話を、グレタは買って出た。
彼女のルームメイトを差し置いてのことになるが、エーデルもその申し出を快く受け入れた。グレタが治癒の魔法を使うことができるということも、理由のひとつだった。
ルナは斜め前の席で、横並びに座ったグレタとエーデルの後ろ頭をボーッと眺める。
これで良かったのかも知れない。
クラリッサをはじめとして、この学院にどれだけの敵性勢力が潜んでいるか分からない。下手に巻き込んで危険な目に遭わせてしまうぐらいなら、距離を取って無視されるぐらいがちょうどいい。
でも、なんだろう。少しもやもやとした、この気持ちは。
ルナは頬杖を付いて、講師を見つめる。
この修道女の格好をした講師は、どっちだ。
クラリッサも、彼女が化け物の姿を取るまでは、その異質に気付かなかった。あんな異形が、どれだけ紛れ込んでいるのか。
何か見分けが付く方法があればいいのだが――。
気が付くと、授業が終わっていた。
教壇を降りようとしていた講師の元に、講堂の外から急ぎ足で修道女が駆け寄って来た。
修道女が、講師に何かを耳打ちする。
講師はしばらく静かに、その声に耳を傾けていた。そして話が終わると、次の授業の準備を始めようとしていた生徒たちに向かって、大きな声で語り掛けた。
「――皆さん、お静かに」
よく通る声で言いながら、ゆっくりと講堂を見回す。
「次の授業は中止です。皆さんは、すぐに大講堂に集まってください。これから全校集会をおこないます」
ざわつく生徒たちを見据えて、彼女は畏まった口調で続けた。
「我が校にお戻りになられました。――マザー・リオティネ様が」




