第二章 37:月下の侵入者
日が暮れて、しばらく経った。
ベルフェル聖堂は静まり返っている。正面の大通りにも、人影はまったく見当たらない。修道女たちも、もう既に修道院に戻っている頃だ。
パティアたちは教会を時計回りに回り込んで、木の柵を越える。
辺りは、月明かりで、辛うじて障害物が窺い知れるほどの明るさしかない。手探りで、裏口まで進む。
裏口の閂を外す。音がしないように注意を払って、パティアは木製の扉を引き開けた。
ギィィ…。
それでも小さな音が鳴るのは避けられなかった。
彼女は体を横にして、教会の中へと身を滑らせる。
ウィルも彼女に倣って、扉を通り抜けようと肩を窄めて体を小さくする。その時、シュタインが扉に手を掛けて、一気に引いた。
ギギギイィィ。
「もう!」
パティアが振り返って、シュタインに非難の視線を向けた。
「雰囲気が台無しじゃない」
「忍び込むんだったら、もっと夜中にした方が良かったんじゃないか?」
扉を押さえたままの格好で、シュタインはため息を吐いた。
「物盗りじゃないんだから」と、パティアが唇を尖らせる。
「それに、まだこの時間なら、もし見つかっても言い訳できるじゃない」
シュタインが眉を寄せる。
「いったい、どんな言い訳するつもりだ?」
「それは、…今から考えるわよ」
パティアは不機嫌そうに、中へと進んだ。
「…大丈夫か? おたくんとこの姫様」
問うシュタインに、ウィルは乾いた笑みで返した。
裏口から入った先は、炊事場だった。薄明りに、幾つかのかまどと、作業台が見える。
シュタインが扉を閉めた。途端に、辺りは真っ暗闇に包まれた。
魔法の明かりは灯せない。三人は、目が暗闇に慣れるまでその場で息を潜める。
しばらくして、ようやく動き出す。窓から差し込む月明かりだけが頼りだ。
炊事場を出ると、広間に出た。部屋の中央に、大きなテーブルが置かれてある。壁際の大きな窓から、白い月明かりが光のカーテンのように差し込んでいた。
暖炉の中から飾り棚まで、パティアが広間の隅々を調べる。
それを眺めながら、シュタインが傍らのウィルに話しかけた。
「知ってるか? ベルフェルの鐘楼は、とある聖人の墓の上に建てられたって話だ」
「…そうなんですか」と、ウィルが彼を見る。
シュタインが胸の前で腕を組んで、続けた。
「墓が巡礼地となり、次第に人が集まって街が出来た。それがベルフェルの由来だってさ」
「ちょっと、二人とも。少しは探すのを手伝いなさいよ」
テーブルの下から這い出ながら、パティアが半目で睨む。
シュタインが肩を竦めた。
「何を探してるのか分からないからな。申し訳ないが、探しようがない」
「隠し通路よ」と、パティアが立ち上がって、腰に手を当てる。
「こういうのは、隠し通路の先に秘密が隠されているってのが、大体の相場でしょ」
ウィルは、王都での事件を思い出す。
教会の保管庫の隠された扉の先に、地下墓地へと抜ける通路があった。動く死体も、その通路から持ち出された。
「そうやって、教会中をくまなく探すつもりなのか?」
呆れたように、シュタインが「なあ?」とウィルに視線を向ける。
パティアの手前、ウィルは曖昧な笑みでしか返せない。
その時、ウィルは微かな物音を聞いた。
彼以外の二人も気付いたようだ。パティアがはっと息を呑み、シュタインは口元に人差し指を当てた。
カツカツと夜の教会に、階段を降りてくる音が響く。
足音が、三人が息を潜める広間に近付いてきた。シュタインが壁を背にして、ドアの側に立つ。
ウィルとパティアもそっと動いて、飾り棚の裏に隠れた。
足音は広間の前まで来ると、立ち止まることなくそのまま素通りしていった。
シュタインはまだ警戒を緩めずに、ドアの向こう側の様子を窺う。足音はだんだんと遠ざかって、しばらくすると、教会の正面の扉が引き開けられる音がした。
ガタン、と扉が閉まる重たい音が響いた。
周囲に再び、静寂が降りた。
「…行ったようだな」
シュタインの言葉で、二人も潜んでいた物陰から出て来る。
「二階から?」と、小声で言うウィルに、シュタインが頷く。
パティアが視線を上げて、高い天井を見つめた。
「行くしかなさそうね」
耳をそばだてて改めてドアの向こう側の様子を窺うと、三人は広間から出た。
足音に気を付けながら、木製の床を踏む。先ほど聞こえてきた足音を遡って辿るように、回り込んで礼拝堂の裏側に向かった。
石造りの階段をそっと登る。
階段の中程に差し掛かったところで、微かに聞こえる人の話し声に気付いた。
二人の女性が、何やら言い合っている。
階段を登り切ると、声のする方向を窺う。廊下の奥の部屋から、光が漏れていた。
三人が部屋に近付くと、ドアの向こうから怒声が聞こえてきた。
続いて、物がぶつかるような激しい衝撃音が響く。
シュタインが、パティアに下がるようにと手で合図する。そして、ウィルにドアを開けるように目配せした。
ウィルは頷くと、ドアノブに手を掛ける。
一気に、ドアを押し開けた彼の目に、眩い光が飛び込んできた。




