第一章 5:名探偵パティアと動く死体
王城を飛び出したシリルは、真っすぐに街の西側にある教会に向かった。
兵士の報告では、貧民街で見つかった「動く死体」は教会に保管されて、詳しい調査がおこなわれているとのことだった。おそらくパティアは、まずその「動く死体」を確かめに行くに違いない。
そんな得体の知れないものに王女を近づかせるということだけでも不服だが、もし王女の身に何かあれば、それこそシリルの首が吹き飛びかねない。
「姫様、本当に、いい加減にしてください…」
呟くシリルの視界の先に、教会が見えてきた。
教会を警備しているはずの兵士たちが、修道女と雑談をしている様子が見える。まったく緊張感のないその様子に、シリルはイラっとする気持ちを抑えられない。
ふと、教会の前に、栗色の髪の男性が立っているのに気づいた。シリルは彼の横を通り過ぎるときに、ちらりを視線を向けたが、知らない顔であったため、それほど興味は引かれなかった。今はそれどころではない。
「姫様は、来てはいませんか?」
シリルが冷たく言い放つ。雑談をやめた兵士たちが、彼女の存在を前に、ひどく慌てている。
「は、はっ。先ほど、中に」
答える兵士を、シリルは目を細めて睨む。
「止めなかったのですか」
「私などに、止められるはずがありません…」
シリルは無意識に舌打ちをする。しかし、パティアがここに来ているのは間違いないようだ。
遺体保管所だろうとあたりをつけて、シリルは教会の中に入っていった。礼拝堂を突っ切って、祭壇をまわり込み、教会の裏庭に出る。
裏庭の一角にある建物の前に、複数の兵士たちの姿が見えた。
「姫様は?」
「はっ。中に」
兵士の答えを聞くよりも前に、シリルは遺体保管所の重たい扉を押し開けた。
それと同時に、女性の大声が響いた。
「何事ですか!」
その声に、思わずシリルはびくっと体を震わせる。
シリルが遺体保管所の中に歩を進めると、見慣れた金色の髪の女性の姿がそこにあった。彼女のすぐそばに、年配の修道女の姿と、まだ若い修道女の姿もある。先ほどの声は、年配の修道女の声のようだ。
「あれは、どこにいったんですか!」と、年配の修道女は、若い修道女を責めるように見る。
「も、申し訳ありません。気づいたときには、もうどこにも…」
泣きそうな表情で、若い修道女が答えた。
騒ぎを聞きつけて、外にいた兵士たちも中に入ってくる。
「シリル、事件よ」
パティアが腕組みをして唸る。
「姫様、身勝手な行動は困ります」
まずはパティアが無事なことに、シリルはほっと胸を撫でおろした。しかし、ただならぬ事態が起きているようだ。シリルはすぐに緊張した面持ちで、二人の修道女を見る。
「例のものが、ここで保管してあると聞きましたが、いったいどこにありますか」
「それが、…」と、言いづらそうに年配の修道女が言う。「消えました。ここに置いてあったのですが」
年配の修道女が、遺体保管所の端に置いてあるベッドを指さす。シーツがどす黒い血のようなもので汚れていた。
その傍らで、若い修道女がかわいそうなほどにうなだれている。
「動く死体、なんだもの。そりゃあ動いて逃げるわよ」
パティアがさも当たり前のことのように言う。
「いいえ」と、年配の修道女が冷静に返す。「あれはただのご遺体です。決して、動くわけなどありません」
「しかし、兵士からはそういうふうに報告を受けています」
シリルの言葉にも、年配の修道女は首を横に振る。
「あれは、感染症を患ってお亡くなりになったご遺体です。ご遺体は、死亡直後にも、時間が経ってからでも、さまざまな理由で動いたようにみえることがあります。それを勘違いしたのでしょう」
「じゃあ、どうして死体が無くなったのよ」と、パティアが食い下がるが、年配の修道女はあくまでも冷静だ。
「それは、私も不思議に思っています。…エレナ」
「はい…!」と、若い修道女は情けない声で返事をする。
「状況を説明しなさい」
「…はい。国王様の命を受けて、パティア様がご遺体の調査にいらっしゃったので、たまたま中庭にいた私が、ここにご案内させていただきました」
あらぬ方を向いてすっとぼけるパティアを、シリルが睨む。
「すると、すでにご遺体は、…無くなっており、戸惑っておりますと、マルセラ様がいらっしゃいました。それだけです。私は、何も…」
若い修道女は気の毒なほど恐縮している。
マルセラと呼ばれた年配の修道女はしばらく思案した後に、「そうですか」と若い修道女に声をかけた。それからパティアとシリルを見て、静かに言う。
「先ほども言いましたように、ここには感染症を患ったご遺体がありました。衛生上、良い場所とは言えません。すぐにここから退避をするようお願いします」
そう言われてしまえば、王女をここに留めおくことはできない。
「姫様、出ますよ」
ささやかな抵抗をみせるパティアの手を引いて、シリルは遺体保管所から彼女を連れ出す。彼女らに続いて、二人の修道女と兵士たちも外に出た。
この状況を城内の近衛騎士たちに伝えるようにと、シリルが兵士に命令を出す。兵士は短く返事をして、駆け出していった。
その間、パティアは遺体保管所の周囲を、何やら確認しながらぐるりとまわっていた。
この建物の出入口は、たったいま出てきた扉一か所しかない。詳細に調べたわけではないが、壁面に何やら細工された後のようなものも見つからなかった。パティアでは背が届かない高いところに採光の小さな窓があるが、頑丈な鉄格子が嵌められ、さすがにそこから人が出入りできそうにはない。
「帰ったら、全身、消毒ですよ」
シリルが咎めるように言うが、パティアは遺体保管所を眺めたまま考え込んでいる。
「ねえ、シリル」と、パティアが険しい顔で言う。「死体はどこに行ったんだろう」
「動く死体、ですもの。動いて、どこかに行っちゃったんじゃないですか」
シリルが肩をすくめながら言う。
しかし、パティアは真剣な顔で続けた。
「確か、その死体が見つかったのは、昨夜だったよね」
「はい。でしたね」
「それからここに運び込まれて、調査されて、…動く奇妙な死体だ、って報告があった」
シリルは諦めたように息を吐きながら頷いた。
「そう、ですね」
「体内の水分の蒸発や、筋肉の腐敗、そのほかにもいろんな要因で、死体が動いたと錯覚することはあるかも知れない。でも、ここで、修道女たちや警備兵の目があるなか、たとえ死体が動いたとしても、ここから消えるなんてことは、あり得ない」
パティアの目は相変わらず真剣だ。
「それは、これから調査を…」
言いかけたシリルを遮って、パティアが顔を近づけて小声で言う。
「はやくここを出ましょう。おそらく身近に協力者がいるわ」
「そうでしょうね」と、シリルはきっぱりと同意した。そんなことは、シリルもとうにわかっている。
「えっ」と、間抜けな顔を見せるパティアの背中を押しながら、シリルは自分たちを訝しげに見ている二人の修道女に愛想笑いを返す。
「それでは我々も失礼します。…はやく行きますよ」
不服そうに頬を膨らませるパティアを追い立てるようにして、教会を後にする。
中庭から出て行く二人を、教会の三階の窓から見下ろす人影があった。黒いフードを目深に被り、同じ真っ黒なマントに身を包んでいる。フードの隙間から、わずかにその銀色の髪が覗いていた。
人影は二人が見えなくなったのを確認すると、さっとカーテンを引いた。




