第二章 35:後始末
傾きかけた日差しは、徐々に柔らかい表情を見せはじめる。
だが、ルナにとってはまだ眩しい。しかし、この程度であれば、耐えられないほどではない。さらに言えば、偶然とはいえ立ち位置が、太陽を背にしていられるのは幸運だ。
気温はまだ高い。今は、ほとんど無風だ。
コートに立つルナの前には、薄い紫色の髪をしたドゥルス・シャリオンの姿があった。
彼の手には、先ほどの対戦相手の男子生徒と同じ、大きな装飾の付いた木の杖が握られている。手の内を隠す気はないようだ。いや、隠す必要がないと思っているのか。
「僕は、ドゥルス・シャリオン。君の名前は?」
滑舌の良い、爽やかな声だ。
「…ル」
言いかけて、静かに訂正する。
「エリー、エリー・カーミラよ」
「そう、エリー」と、ドゥルスはにこやかに微笑んだ。
「君のことは良く知らないが、先ほどの戦いは見させてもらった。素晴らしいよ」
審判が、二人を順番に見た。
他の試合は、すべて終わっている。文字どおり、優勝寮の決定戦となったこの試合を見るために、コートの周囲は大勢の観客で囲まれていた。
「あれが、君の実力のすべてなのか、それともまだ力を隠しているのかは分からないが」
試合の開始を宣言しようとしていた審判を、彼は手を挙げて一時、止めた。
「体術では、僕は敵わない。――だから、こうする」
ドゥルスが、左手を地面に向ける。
魔力の高まりを感じた。
その魔力に、ルナは既視感を覚えた。
ドゥルスの足元の地面が、魔力を浴びていきなり盛り上がった。
彼の背丈を超えて大きく膨らむと、形を取り始める。そしてそれは、土塊の巨人の姿となった。
巨人を包んだ魔力が、ゆらりと揺れる。
「――ッ!」
ルナは目を見開いた。一瞬の動揺が、彼女の胸を走る。
既視感の正体に気付いた。この魔力は、エーデルの足首を切り裂いた、あの木刀の破片を包んでいた魔力と同質のものだ。
先ほど戦った、茶色の髪の男子生徒ではなかった。横やりを入れたのは、こいつだ。
読み違えていた。名前も知らない茶髪の彼に、心の中で謝った。
物言いたげな審判に、ドゥルスが差し伸べるように手を向けた。
審判が、他の修道女たちの顔色を窺うように、周囲に視線を巡らせる。
「…は、…始めます」
そして、戸惑った口調で、試合の開始を告げた。
ドゥルスが後退りしながら、詠唱を始める。
代わりに、土塊の巨人がルナに向かって走り出した。
上体を逸らしながら、右腕を大きく振り上げる。
ルナに向かって振り下ろされた腕が、激しく地面を抉った。
上に跳んで躱したルナは、振り下ろされた腕に手を付いて、宙返りで巨人の頭を飛び越える。彼女の口は、既に詠唱を紡ぎ始めていた。
「無駄だ」と、ドゥルスが嘲る。
「そいつには、並大抵の魔法は効かない」
巨人の背後に回り込んだルナが、そのごつごつとした大きな背中に向かって、腕を伸ばした。
瞬きほどの、ほんの一瞬。腕の先が眩い光を発した。
――ドゴオオオォン!
粉々になった土砂が、観客席にまで飛び散った。
腰から上をすべて失った巨人が、一時の後に、崩れ去って土の山に成り果てた。
「そんな、ありえない…!」
杖を正面に掲げたままの格好で、ドゥルスが呆然と立ちすくむ。
ルナはゆっくりと振り向いて、彼を冷ややかに見据えた。
「まだ、続ける?」
我に返ったドゥルスが、早口で詠唱を完成させる。
彼の周囲から伸びた幾本もの光の帯が、ルナに迫った。
ルナが地面を蹴る。身を翻し、光の帯を軽やかに跳び越えながら、詠唱を紡ぐ。
後方に宙返りした彼女は、逆さまの体勢で腕をドゥルスに伸ばした。
光の筋が、一直線にドゥルスの左肩を貫く。痛みに顔を歪ませて、彼の体がのけ反った。
ルナは身軽に着地すると、振り向き様にまた光を放った。
ドゥルスの右の足の甲を撃つ。彼の体はバランスを失って、膝から崩れた。
ルナは目を細めて、大きく息を吐く。
ドゥルスに向かって腕を伸ばした彼女の体が、魔力を孕んで、蜃気楼のように揺らめいて見えた。
魔力が引き起こした風が、彼女の肩掛けのフードを剥がす。銀色の長い髪がふわっと広がった。
誰の目にも明らかなほどの、膨大な魔力が解放されようとしていた。
観客たちも、審判も息を呑んだ。
この場にいる誰も、彼女を止める術を持たない。それほどまでに、圧倒的な魔力だ。
ただ、一人を除いて。
それに気付いて、怯えた表情でドゥルスが叫んだ。
「こ、降参する! 降参だ!」
その言葉を聞いて、ルナはそっと腕を下ろした。
彼女を包んでいた魔力が、空中に霧散する。静かに、銀色の髪が背中に降った。
「試合、そこまでです!」と、審判が終了を告げた。
観客席から、ざわめきが漏れる。
しばらくして、どこかからかパチパチと誰かの拍手の音が聞こえてくる。徐々に、拍手は波のように広がって、ついにはコートの周囲を割れんばかりに満たした。
歓声が上がる。ルナはそれを背中に受けながら、コートを後にした。
彼女を、ラインハルトたちが出迎える。
「良くやった――」
言いかけて前に出ようとしたアズリオを、ラインハルトが手で制した。
「どうして、こんな力を隠していたのか」と、目付き鋭く、ラインハルトが言う。
「などと言う、無粋なことは今日は聞くまい。君も含めて、皆のおかげで、フォルティトゥドは今年の交流戦を戦い抜き、そして優勝できた。今は、その喜びを分かち合おう」
ラインハルトが握手を求めて、手を差し出した。
その手を、ルナはぱちんと弾いた。驚いた表情のラインハルトに、彼女はにやりと笑った。
意図を理解したアズリオが、手を挙げた。笑顔で、ルナはその手もぱんと弾く。他の仲間たちが笑顔で挙げた手も、彼女は次々と弾いた。
副校長のクラリッサが自室から、模擬戦が終わった中庭を見下ろす。
傍らに控える修道女が、そっと彼女に語り掛けた。
「今年の収穫は、とても大きいですね」
クラリッサの視線の先には、仲間たちと笑い合う銀色の髪の少女の姿があった。
「大きすぎる力は、調和を乱します」
彼女は、眩しそうに目を細める。その顔には怪しげな笑みが浮かんでいた。
「大いに、結構。新しい世界を築くには、まずはこの腐った世界を乱して、破壊しなければならない。いいですか、必ず引き入れなさい。…もし駄目なら」
修道女がびくりと震える。
クラリッサが視線を落としながら、振り返った。
「――私が、始末します」




