第二章 33:優雅なる敗北
仏頂面のラインハルトが、腕組みしてテーブルの前に座る。
「――由々しき問題だ」
寮の談話室に、フォルティトゥドの各学年の代表選手が集められていた。
ただ一人、一年生のロゥの姿だけがない。さらに言えばまったくの無傷なのはルナだけで、程度の差はあれど、エーデルを含めルナ以外の他の七名は皆が疲弊していた。
ラインハルトの後ろの板には、第二戦を終えた現時点での対戦表が張り出されていた。
「申し訳ない。我々、三年生の代表が、プルーデンティアに負けてしまった」
「済まない」と、アズリオをはじめとした三年生代表たちも、沈んだ表情で小さく頭を下げた。
ラインハルトが続ける。
「これで、我々は一敗。プルーデンティアも一敗で並んでいる。おそらくプルーデンティアは、第三戦で負けることはないだろう」
そう言って、彼はルナとエーデルを見た。
「一年生の直接対決を除いて、な」
ラインハルトはおもむろに立ち上がると、前屈みで、テーブルに両手を付いた。
「当然、二年生のテンペランティア戦、三年生のカリタス戦も、勝たねばならん。しかし、一年生が負けた時点で、他の試合を見るまでもなく、我々の負けが決まる」
「ロゥの怪我の具合はどうなんですの?」
エーデルの問いかけに、ラインハルトは沈痛な面持ちで椅子に座り直した。
「本人は出たがっているが、あれでは無理だ。彼を、この交流戦で潰すわけにはいかない」
「そうなりますと」と目を細めながら、エーデルは微かに笑みを浮かべた。
「私が、いよいよ本気を出す必要がありそうですわね」
エーデルが、隣に座るルナに笑いかける。
「安心なさい、エリー。私が三人とも、蹴散らしてみせますわ」
「おお。頼もしいな、エーデル・ローゼンベルク」
ラインハルトが歯を見せて、豪快に笑う。
「任せてください」と、エーデルは握りこぶしを胸に当てた。
ルナから見ても、エーデルは魔法の素養もあるし、機転も効く。寮の体質から察して、おそらくは魔法主体で構成されているであろうプルーデンティア寮の代表選手たちとは、相性が良いかも知れない。
「時間だ。そろそろ行くぞ」
ラインハルトが鋭い目付きで、一同を見回した。
雲に隠れていた太陽が、半分だけ顔を出す。
上空では、風が強いらしい。すぐに流れる雲が、再び太陽を覆い隠した。
背丈ほどもある丸棒を手にしたエーデルと、その対戦相手のプルーデンティアの男子生徒がコートに上がる。男子生徒の手には、木刀が握られていた。
観客の生徒たちの中から、黄色い声援が掛かる。エーデルがその声に、優雅に手を振り返した。
「エーデル・ローゼンベルク」と、男子生徒が、彼女の名前を呼んだ。
エーデルが、彼の方に向き直る。
「君が、プルーデンティアの寮生でないことをとても惜しむよ」
残念そうに言う彼に、エーデルは微笑んで見せる。
「あなたのことも、知っていますわ。オド・バースレイ」
「それは、光栄だ」と、男子生徒は胸の前で木刀を掲げた。
「正々堂々と、試合を楽しもう」
「良いですわね」
エーデルが大きく頷く。彼女の背中で、金色の髪が揺れた。
審判の試合開始の掛け声と同時に、両者ともに地面を蹴って間合いを詰める。
エーデルが腕を伸ばして、オドの胸元を狙って丸棒を突く。
オドはそれを、体を捻って躱した。そして、エーデルに背中を向けたままで木刀を後ろに薙ぐ。
上体を逸らして、その一撃を避けたエーデルの胸元を、木刀が掠めた。
体を半回転させて、オドは次の攻撃のモーションに入る。しかし、エーデルの動きの方がわずかに早い。
彼女は足を踏み替えて、丸棒を振り下ろす。
オドは慌てて木刀を引くと、頭上でその一撃を弾いた。
続けざまに、エーデルが丸棒を薙ぐ。
オドは堪らずに、後ろに飛び退いて間合いを取った。
「…噂通りだな」
呟いて、オドは木刀を握り直した。
ちらりとコートの外を見る。彼の視線の先で、仲間のプルーデンティア代表の男子生徒が小さく頷いた。
ルナは、不穏な空気を察する。
「正々堂々と、だ」
オドが駆け出す。
迎え撃つ形で振るったエーデルの丸棒を、オドは力一杯に弾くと、さらに踏み込んで無茶苦茶に木刀で斬りかかった。
エーデルは弾かれた丸棒を回転させながら引き寄せると、襲ってくる木刀を丁寧に打ち返す。
無防備に激しく打ち込まれるオドの攻撃の隙を突いて、エーデルの丸棒が彼の頬を打った。
一瞬、オドが怯むが、すぐに敵意を剥き出しにして再び激しく木刀で斬りかかる。
エーデルの攻撃が、何発かオドを打つ。しかし、オドはその無茶苦茶な攻撃を止めない。
…ピシッ。
乾いた音が響いた。
オドが手にした木刀に、亀裂が走る。
それでも、オドは攻撃の手を緩めない。
パキンッッ――。
ついに、オドの木刀が折れて、破片を散らした。
オドが後ろに跳んで、間合いを取ろうとする。
逃すまいと、エーデルが彼を追って踏み込んだ。
――その時、ルナは妙な場所から魔力の発生を感じた。
ルナが視線を巡らせようとした、その瞬間。
地面に落ちた、木刀の破片を魔力が包む。
そして、それはまるで意思を持ったかのように、一直線にエーデルの足元に迫った。
踏み込んだエーデルの右の足首を、破片が鋭く切り裂いた。
「――ッ!」
不意の痛みに、エーデルの顔が歪む。
彼女の右足は、彼女自身を支えきれない。エーデルの体が前のめりに倒れ込んだ。
オドが小さく、詠唱を始める。
彼の周囲から幾本もの光の筋が伸びて、エーデルに迫った。
爆発音が響いた。
大量の粉塵が舞い上がって、エーデルの姿を隠す。
観客席から、悲鳴が上がった。
「審判ッ!」
ルナが大声で非難の声を上げた。
明らかに、不正だ。コートの外からの、援護。
しかし、審判の修道女は、叫んだルナを一瞥しただけで、ただただ状況を見守るだけだった。
――気付いていないのか。ルナは舌打ちした。
オドが勝利を確信して、笑みを浮かべた。
粉塵が次第に治まっていく。
その様子を眺めていたオドの表情から、余裕の笑みが消えた。その顔が引き攣る。
倒れたエーデルを囲むように、不可視の壁が彼女を包み込んでいた。
エーデルが立ち上がろうとする。しかし、再び右足から崩れ落ちた。
オドが彼女を睨み付けながら、詠唱を始めた。
ふっと息を吐いて、エーデルが微笑む。
「…降参よ」と、彼女は棄権を口にした。
「立てないからには、もう戦いを続けられませんわ」
コートの周囲がしんと静まり返った。
審判が、試合の終了を告げる。
観客席から、悲鳴があがった。救護の修道女たちが、急いでエーデルの治癒に当たる。
「運が悪かったようだな」
にやりと笑って、オドがコートから降りる。
その背中を、ルナは睨み付けた。
修道女の肩を借りて、エーデルがゆっくりとコートから出る。
仁王立ちするルナとのすれ違いざまに、彼女は微笑んで見せるが、その笑顔はどこか弱々しい。
「エリー、ごめんなさい。こんな情けない姿を見せてしまって…」
ルナが険しい表情でコートの方を睨み付けたままで、エーデルの肩に手を置いた。
「後は、私に任せて」
エーデルがきょとんとした表情で、ルナを見る。そしてすぐに可笑しそうに笑った。
「無理せずに、怪我する前に降参するのよ。誰も、あなたを責めないわ」
しかし、ルナはそれには答えずに、エーデルの肩に置いた手を弾ませてぽんと一度、彼女の肩を叩いた。
そしてゆっくりと、コートへと進む。
正面に向き直ったエーデルの前に、ラインハルトの姿があった。
「…大丈夫か?」
心配そうに言う彼に、エーデルは手をひらひらと振って見せた。
「大丈夫じゃないですわ。正直、エリーには荷が重すぎます」
「うむ」と、ラインハルトが唸る。
「勝敗は、兵家の常だ。君が負けてしまったからには、今年の優勝はプルーデンティアに譲ることになるだろう」
彼は、エーデルの肩越しにコートの方を見やった。
「彼女の筋肉の付き方は、剣士のそれだ。プルーデンティアの魔法には、おそらく太刀打ちできまい」
エーデルが唇を噛んだ。
「…悔しい、ですわね」
「それでも――」と、ラインハルトが目を細めた。
「最後まで、見守ってやろうじゃないか」
「ええ」と、エーデルは頷いた。




