第二章 30:折れるモノ、折れないモノ
昼食を終えて、ルナとエーデルは中庭へと向かった。
日差しも、既に高い。ルナはフードを深く被って、次の試合のコートの側に待機する。
ロゥが遅れて、現れた。一応の手当てはしてきたようだが、生傷はそのままだった。右足の甲には包帯を巻いてあるが、既に血で滲んでいた。
「…そんな状態で、出るつもりなの?」
エーデルが眉を顰めて、ロゥの足元を見る。
しかし、ロゥは答えずに、丸棒を手にしてコートの中へと向かった。
テンペランティア寮代表の男子生徒が、コートの中でロゥと対峙する。彼もまた、傷だらけだった。
ルナは、コートの反対側を見る。
こちらは、一戦目のカリタス寮との模擬戦を、ロゥ一人で勝ち抜いた。自分も、エーデルも無傷だ。
対して、プルーデンティア寮と対戦したテンペランティアは、敗北している。治癒魔法で治療しているとはいっても、三人とも手負いだ。
戦いには相性もあるし、精神的な影響もある。言い切ることはできないが、エーデルの実力が未知数なことを差し引いても、こちらが優勢だろうか。
コート上の二人に視線を送ると、審判が試合の開始を告げた。
テンペランティア寮の男子生徒が、合図と同時に持っていた木刀を構えて詠唱を始める。
魔力が揺らいで、ロゥを取り囲むように集積されていくのを、ルナははっきりと感じた。
ロゥが危機を察して一気に距離を詰めようと駆け出したが、一戦目ほどの勢いはない。
男子生徒が、木刀で宙を薙ぐ。
ロゥが何かにぶつかったように、のけ反って後ろに倒れ込んだ。
すぐに体勢を起こしたロゥの周りを、日の光を反射してきらきらと輝く、幾つもの握りこぶし大の球が取り囲む。シャボン玉のように見えるが、空中に固定されて揺らめいてはいない。
片膝を付いたままの格好で、ロゥが舌打ちする。
男子生徒が木刀を振るうと、一つの球がロゥを襲う。背後からのそれを、ロゥは振り向かずに丸棒で弾いた。
にやりと男子生徒は笑うと、続けざまに木刀を振るった。
彼の動きに合わせて、球が次々とロゥに迫る。
四方からの攻撃を、すべては捌き切れない。幾つかを弾くが、頬を横殴りする球の直撃を受けて、ロゥが口から血を吐いた。
続けて、腹部と背中にも被弾する。
「――ッ!」
ロゥが両膝をついて、前のめりに倒れた。
観客が静まり返る。倒れたロゥを見る彼らの目は、冷ややかだった。
審判が試合の中止を宣言しようと手を上げかけた時、ロゥがそれを手で制しながら、ゆっくりと起き上がった。
「試合を止めなさい!」
叫ぶエーデルを、ロゥが睨みつける。
「…まだ、だ」
ざわつく周囲の視線の中、ロゥは丸棒で体を支えて完全に立ち上がると、両足を踏ん張って構えた。
男子生徒も真顔で、木刀を構える。
「…おとなしく倒れていれば、いいのに」と、男子生徒が詠唱を始めた。
ロゥを囲んで、球が現れる。
ちらりと周囲を視線だけでロゥは見回すと、丸棒をくるくると回して正面で構え直した。
そして、男子生徒に向かって駆け出した。
正面の幾つかの球を、丸棒で叩き落とす。
男子生徒が、木刀を振る。一つの球が、ロゥを追いかけはじめた。
また、男子生徒が木刀を薙いだ。
その動きに合わせて、ロゥが弾いた球が、回り込むように二人の間に割り込もうとする。
その球を、すぐさまロゥは丸棒で真横に弾き飛ばした。
「そうか」と、ルナは呟いた。隣のエーデルも気付いたようだ。
両者の距離が、一気に詰まる。
「…一つずつしか」と、顔を引き攣らせる男子生徒の眼前に迫ったロゥが、丸棒を振り上げる。
「動かせないようだな」
ロゥが丸棒を振り下ろそうとした、その時だった。
――パンッ!
ロゥの後ろで、球が弾けた。
背後からの衝撃を受けて、ロゥの体勢が前のめりに崩れる。
男子生徒が、木刀をロゥの腹部に叩き付けた。
ロゥの体が、くの時に曲がる。しかし、彼の目はまだ死んでいない。
丸棒を持ち替えると、回転させながら、男子生徒の後頭部に一撃を打ち込んだ。
男子生徒が、うつ伏せに倒れ込む。
ハァハァと荒く息を繰り返しながら、ロゥがその場で片膝を付いた。
「そ、そこまでです!」
審判が、試合の終了を告げた。
一瞬の静寂の後、静まり返っていた観客たちが、一斉に歓声を上げた。
修道女たちがコートに駆け込んできて、救護に当たりはじめた。
ロゥがまたもやそれを手で遮って断る。
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ」
コートの中に入って来ていたエーデルが、ロゥの頭を叩いた。
「後は、私たちに任せなさい」と、傍らの修道女にロゥの治癒を頼む。
ロゥが肩で荒く呼吸をしたまま、睨むようにエーデルを見上げるが、彼女は無視する。
諦めたように、ロゥは修道女に体を預けた。
男子生徒が担架で運ばれ、ロゥが修道女の肩を借りてコートから降りるのを、ルナは黙って眺める。
この試合も含めて、他の試合を見ても、まだ未熟で粗削りだとはいえ、戦いの才能を持った生徒たちが多く集まっている。
学校というものをよく知らないが、こういうものなのだろうか。
食堂での違和感を思い出した。
ロゥのような戦災孤児や、グレタのように貧困で教会に救われた者たち。エーデルやシャルロットのような上流階級の出身の生徒たちだけではなく、そういった出自に問題を抱えた生徒たちが、この学校にはやけに目立つ。
グレタもそうであるように、能力をもった生徒の数もやたらと多い。
そして、この交流戦だ。
このレベルでの模擬戦が、果たして必要なのか。
ロゥがコートに残した丸棒を、エーデルが手に取った。
テンペランティア寮代表の次鋒がコートに立つ。短い栗色の髪の女子生徒だ。
その手に持つのは、大きな装飾の付いた杖だった。体を引いて、杖を正面に掲げるようにして構えた。
「そっちのタイプね」と、エーデルが丸棒を、同じように正面に掲げた。
審判の開始の合図と同時に、両者ともに詠唱を開始する。
女子生徒の前に、鏡の破片のようなものが二つ、出現した。
破片がきらりと光ったかと思うと、眩い光線が一直線にエーデルに向かって放たれた。
その光がエーデルを貫こうかとした、その瞬間。彼女に触れる直前で、何かに阻まれて霧散した。
続けて、破片から何本もの光線が放たれるが、すべてエーデルに届く前に阻まれる。
霧散する光の軌跡が、エーデルの前に不可視の半球状の壁を浮かび上がらせた。
女子生徒の攻撃が、さらに加速する。
破片が瞬くように光り輝き、そのたびに光の帯がエーデルを襲った。
「いつまで、持つかしら」
女子生徒が余裕ともとれる笑みで、杖を掲げる。
エーデルが、優し気にふっと笑った。
そして、丸棒を後ろに引くと――。
「…よい、しょ、っと」
何かを放り投げるように、両腕を振るった。
放たれる光線を弾きながら、不可視の壁が女子生徒に一気に迫る。
「――っ!」
ガゴンッ!
激しい音を響かせて、声にならない悲鳴をあげて女子生徒の体が後ろに吹き飛んだ。
女子生徒がぴくりとも動かなくなる。気絶したようだ。
「そこまで!」と、審判が終了を告げた。
肩に掛かった髪を優雅に振り払いながら、颯爽とコートから降りるエーデルに、ルナが声をかける。
「なかなかやるじゃない」
「あら」と、エーデルが笑みを浮かべて顎を上げた。
「心配なさらなくても、ちゃんとエリーの出番も、作って差し上げますわ」
ルナは自身の顔の前で、手を横に振る。
「いいよ。出ないに越した事は無いし」
次の対戦相手がコートに入ったのを見て、エーデルもコートへと向かう。
テンペランティア寮の三番手は、木刀を手にした、金髪の男子生徒だった。
コートに立ったエーデルに、彼は物憂げな視線を送る。
「女性に怪我をさせたくはないが、…どうやら、手加減はできなさそうだ」
「心配には及びませんわ」
エーデルは微笑んで、両手で持った丸棒を突き出して構えた。
「全力で、お願い致します」
審判の開始の合図と同時に、両者ともに駆け出した。
驚きの表情のままで振るわれた、男子生徒の木刀を、エーデルは丸棒の中央で受ける。そして彼女は踏み込みながら、丸棒を下から振り上げた。
体をひねって躱そうとした男子生徒の胸元を、丸棒の端が掠める。
エーデルは足を踏み変えて、体を回転させると、その勢いで丸棒を横に薙いだ。
「ぅぐッ!」
その一撃が、男子生徒の脇腹を激しく打った。
身を引こうとした男子生徒の顔に、苦痛と、迷いの色が同時に浮かぶ。
先の一戦で、エーデルは魔法で圧勝した。それを制するために、彼は試合開始早々、間合いを詰めたのだが、まさかの魔法ではなく、彼女も間合いを詰めての打ち合いに臨んできた。
今ここで、距離をとってしまえば、エーデルの魔法の間合いとなってしまう。
一瞬の迷いが、彼の判断を遅らせた。
闇雲に振るわれた男子生徒の木刀を、エーデルは身を屈めて易々と躱す。
短く持ち替えた丸棒で、男子生徒の腹部に強烈な突きを叩き込んだ。
体をくの字に曲げた男子生徒が、短く呻く。
勝利を確信したエーデルが、顔を上げようとした、その時――。
彼女の服の襟を、男子生徒が掴んだ。
「――ッ!」
引きはがされたエーデルの体が、力任せに放り投げられた。
受け身をとれずに、彼女の体は、背中から地面に叩き付けられる。
エーデルはすぐに身を起こすと、締め付けられた喉を擦りながら苦しそうに咳き込んだ。
決定打のはずだった。エーデルが傍らの丸棒を拾いながら、目を細める。
戦闘服に縫い込まれた防御魔法のことを読み違えていた。
魔法を使わせまいと、男子生徒が一気に間合いを詰めてくる。
振り下ろされる木刀を、エーデルが丸棒で弾く。
男子生徒は攻撃の手を止めない。続けざまに振るわれる剣戟を、エーデルは辛うじて食い止める。
――メキッ…。
腕に伝わる振動とともに、エーデルは微かな音を聞いた。
一試合目から、ずっとロゥが使っていた丸棒だ。ダメージは蓄積していた。
大振りに振り下ろされた男子生徒の一撃を、エーデルが弾き返そうと丸棒で受ける。
バキンッ!
破片を散らしながら、エーデルの持つ丸棒が二つに折れた。
そのまま打ち込まれた男子生徒の木刀が、エーデルの肩を激しく打つ。
「痛ッ…!」
エーデルの顔が苦痛に歪んだ。
男子生徒の次の一撃を、エーデルは、折れて半分になった丸棒を木刀のように持ち替えて受ける。
下がるエーデルを、彼は逃がさない。さらに激しく剣戟を浴びせ続ける。
襲い掛かるすべての攻撃を、エーデルは弾き返している、――ように、見えた。
「へー」と、ルナが感心の息を漏らした。
ルナ以外には誰も、対戦相手すらも気付いていないかも知れない。
男子生徒が振り下ろした一撃を、エーデルが丸棒で受ける。続けざまに振るわれた攻撃に、エーデルの動きがわずかに間に合わない。
カンッ!
乾いた音に、男子生徒の木刀は弾かれた。
ルナの目は、その一瞬を捉えた。
彼の攻撃がエーデルに触れようとした、その瞬間に、瞬きほどのほんのわずかな間だけ、不可視の魔力の壁が出現する。
不可視の壁が男子生徒の攻撃を防ぐと、次の一撃はエーデルの丸棒が弾く。
傍から見ている分には、すべての攻撃を、エーデルが丸棒で受け止めているように見えた。
しかし、防戦一方なのは変わらない。
エーデルの視線が、わずかに彷徨う。その瞳が、何かを見つけた。
下がりながら、彼女はある地点に誘導する。
エーデルの足が、それに触れる。彼女は、それを軽く蹴飛ばした。
落ちていた、折れた丸棒の半分を。
踏み込んだ足が棒を踏んで、男子生徒が体勢を崩した。
生まれた一瞬の隙を、エーデルは逃さない。
一気に、男子生徒の懐に潜り込む。
彼の顎を、エーデルが下から肘で突き上げた。
のけ反る男子生徒の鳩尾に、足を踏み込んで体重をかけて、丸棒を叩き込んだ。
体をくの字に曲げて、男子生徒が息を吐き出す。
エーデルは手を止めない。油断が、命取りになる。それを先ほど学んだばかりだ。
「ごめんなさいね」
エーデルはそう言いながら男子生徒の首に腕を掛けると、そのまま力いっぱいに振り抜いた。
男子生徒の体が、激しく後ろに放り投げられる。
そして、地面に激しく頭を打ち付けると、仰向けに倒れて動かなくなった。
審判が手で制する。
「そこまでです!」
観客席から、大きな歓声があがった。
エーデルが観客席に向かって手を振り返す。
颯爽とコートから降りるエーデルに、ルナは冷ややかな視線を向けた。
「どうして、魔法を使わなかったのよ。もっとあっさりと勝てたはずよ」
そんなルナに、エーデルは呆れたような表情を見せた。
「魔法使いには、魔法。剣士には、剣。それが礼儀というものでしょうに」
「でも」と、彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
口元に指を当てる。
「少しだけ、ズルをしてしまいましたけど」




