第二章 28:交流戦
「シスター・エイシャのこと…?」
頭の上で、左の手で掴んだ右肘を伸ばして体をほぐしながら、エーデルが眉根を寄せた。
大樹に寄りかかって腕組みをしているルナに、視線を送る。
「実は、あまり良く知らないのよ。最近赴任してきた、魔法学科の講師ってだけ」
――交流戦、当日。
学園の広い中庭を繰り抜くようにして、白線で六面のコートが敷設されていた。
学年ごとに、そのうち二面ずつを使って、総当たりの模擬戦がおこなわれる。
「エリーでも、わかるでしょ。シスター・エイシャの魔法使いとしての知識と、力量は」
模擬戦用に誂えた衣装の着心地を試すように、エーデルが腕を回した。
ルナも袖を通したときに気付いたが、ワンピース型の上着に施された細かな装飾から、微かな魔力を感じた。おそらく、防御の結界と、着用者の魔力を制限する封印が施されているのだろう。
ラインハルトが言っていた、安全に対する配慮のひとつに違いない。
「どうして、彼女のことが気になるの」
「ちょっと、ね」と、ルナが視線を巡らせた。
奥のコートの側に、エイシャの姿が見える。他の教員と、打ち合わせの最中のようだ。
中庭の端を、応援に集まった生徒たちが埋め尽くす。その中に、グレタの姿もあった。
ルナとエーデルがコートに近づくと、身長ぐらいはあるだろうか、長い木の棒を持ったロゥが先に来て待っていた。
「…遅いぞ」と、ロゥが目線で、コートの反対側を指す。
既に一戦目の対戦相手、カリタス寮の代表生徒三人が立っていた。
「精々、足を引っ張るなよ」
「足を引っ張るも、何も、先鋒のあんたが勝てばいいだけでしょ」
木陰から出たルナが、ワンピースの上に羽織った肩掛けのフードを深く被り直す。
エーデルが、ロゥの肩に手を置いた。
「負けてもいいわ。私の出番も作りなさいよ」
「ふん」と、ロゥがその手を払う。
「…退け。邪魔だ」
言いながら、彼はコートの中へと向かった。その背中を見て、エーデルが肩を竦める。
審判役の教師が、手で合図をした。
カリタス寮代表の男子生徒が、コートの中に入る。その手には、木刀が握られていた。
生徒たちからの声援を受けて、彼は笑顔で手を振り返す。
ロゥが丸棒を手首で器用にくるくると回すと、棒を横向きにして真正面で構えた。
実力の差は、圧倒的だった。
審判が慌てて止めに入る。それでようやく、ロゥは攻撃を止めた。
カリタス寮の先鋒は、敗北の宣言をさせてもらえる隙さえ与えられなかった。
コートから出るロゥに、エーデルが声をかける。
「…やり過ぎよ」
しかし、ロゥは微かに口元を歪めただけで、何も答えなかった。
コート内で倒れたままの生徒に、救護班の修道女が神妙な面持ちで手をかざして、淡い光を傷口に当てる。
生徒が「ぅ…」と、小さく動いて、呻いた。戦闘服に縫い込まれた防御魔法のおかげか、致命傷にまでは至っていないようだ。
ようやく担架が持ち込まれ、生徒が運び出される。
その様子に、観戦していた生徒たちの中から、小さな悲鳴とざわつきが漏れた。
少しのインターバルを置いて、審判が二戦目の合図を出す。
再び、ロゥがコートに向かった。
次の対戦相手のカリタス寮の男子生徒は、既に怯えた表情でロゥを見ている。その手に持つ木刀が、小刻みに震えていた。
審判が開始を告げたが、両者ともに動かない。
ロゥが小さく嘆息する。そして、一気に踏み込むと、丸棒を激しく突き出した。
男子生徒が木刀でそれを受けるが、耐えきれない。弾き飛ばされた木刀が、彼の手を放れて宙を舞った。
さらに踏み込もうとしたロゥを前に、男子生徒は慌てて膝を付いて両手を上げた。
「まっ、参りました! 降参します!」
振り上げたロゥの丸棒が、彼の頭上ぎりぎりでぴたりと止まった。
泣き出す男子生徒を横目に、ロゥが丸棒を引いて、面白くなさそうに振り返った。
審判がフォルティトゥド寮の勝利を告げるのを聞きながら、ロゥがコートを後にする。
「…お。良くやってるな」
不意に声がかけられて、ルナとエーデルが振り向くと、そこには笑顔のラインハルトがいた。
彼はコートから立ち去るロゥの姿を満足そうに見ながら、何度か頷く。
「順調に勝ち進んでるようだ。今年の一年生も安泰だ」
「ええ」と、エーデルが不満げに返す。
「多少、容赦のない方がいらっしゃいますが」
それを聞いても、ラインハルトは笑顔を崩さない。
「若さとは、そういうものだ。模擬戦には怪我も付き物だからな」
「…先輩は出ないんですか?」
ルナの問いかけに、ラインハルトが大仰に頷いて、にやりと歯を見せた。
「俺は出ない。戦いは、苦手だからな。三年の大将は、アズリオに任せておる」
呆れた表情のルナには構わず、ラインハルトはコートの方を見やる。
「三戦目が始まるようだ」
ロゥと対峙するのは、女子生徒だった。長い黒髪を後ろで束ねた彼女は、ロゥと同じように長い丸棒を持って構える。
審判が開始を告げるが、またもや両者ともに動かない。
ルナは、冷たい魔力の流れを感じた。
女子生徒が、じりじりとわずかに後ずさる。
それが誘いの仕草だと、ルナは気付いた。
痺れを切らしたロゥが、素早く右足で踏み込んだ、その瞬間。
足元から突き出した氷の柱が、ロゥの足の甲を貫いた。
痛みに思わず踏みとどまったロゥに、女子生徒が一気に迫った。
彼女が詠唱しながら突き出した丸棒を、ロゥが体を反らして避ける。
その時、ロゥの周りの空気がきらきらと煌めいた。
煌めきは凝縮されて氷の刃となって、ロゥを四方から襲う。
ロゥが丸棒を素早く回転させて、氷の刃を弾く。だが、すべてを捌き切ることはできずに、氷の刃が彼の頬と太腿を切り裂いた。
鮮血が飛び散る。
ロゥは氷の柱から足を引き抜くと、痛みに顔を歪めながら、丸棒を繰り出した。
女子生徒は下がりながら、自身の目の前に何本もの氷の刃を出現させる。
氷の刃が、一気にロゥに迫った。
しかし、ロゥはそのまま勢いを止めない。
彼の体を、氷の刃が切り裂く。左肩にも深く突き刺さるが、彼は構わずに丸棒を薙いだ。
「…ひっ」と、引き攣る彼女の右頬を、殴りつけた。
女子生徒の体が吹き飛んだ。
さらに、ロゥが追い打ちをかける。
丸棒を回転させると、持ち替えて彼女の胸を突く。
くぐもった呻き声を上げて、女子生徒の体が後ろ向きに倒れた。
無防備となった彼女に、ロゥが丸棒を振り上げた。
審判が止めようと慌てて駆け寄ろうとするが、間に合わない。
振り下ろすロゥの前に、人影が割って入った。
――ガンッ。
鈍い音が響き渡る。
女子生徒を守るようにして、振り下ろされたロゥの丸棒を、ルナが左腕で受け止めていた。
「そ、そこまでです!」と、審判が試合を止めた。
ロゥが丸棒を引く。
ルナは左腕を擦りながら、ゆっくりと立ち上がった。ロゥを睨む。
「いい加減にしなさいよ。決着はついてるじゃない」
「敗北宣言を聞いてない」と言い残すと、ロゥが踵を返した。
救護の修道女たちが、コートに駆け寄って来た。
倒れた女子生徒に、治癒魔法を当てる。
傷だらけのロゥにも駆け寄ってきたが、彼は治療を断る。
ルナも、修道女の治癒を断った。
「…大丈夫なの?」
エーデルが心配そうに、ルナの左腕を見る。
「んー」と、ルナは左腕を振ってみた。魔力で保護していたとはいえ、骨がじんと痛む。
「エリー!」
観戦する生徒たちから抜け出して、グレタが駆け寄って来た。
「待って、私が!」
グレタの手がぽっと淡く輝く。
ルナが腕を引く間もなく、グレタが彼女の左腕に手を当てた。
…ジュッ。
「――ッ!」
痛みを感じて、ルナが手を振り解いた。
グレタが戸惑ったように、謝る。
「ご、ごめん。…痛かった?」
「大丈夫だから」と、ルナは左腕を抱え込んだ。
グレタが手を当てた部分が、ひりひりと痛む。彼女の治癒魔法によって、火傷したようだ。
ヴァンパイア・ハーフのルナにとって、致命傷とまでにはならないが、人にとっての治癒魔法は、彼女に流れる半分の血を焦がしてしまう。
歓声が聞こえてくる。他のコートでも、次々と試合の決着がついているようだ。
「あちらは、プルーデンティアが勝ったようね」
向こう側のコートを見ながら、エーデルが言う。
「次の、テンペランティア戦も、絶対に負けるわけにはいかないわ」
次の試合は午後からだ。
エーデルが、ルナとグレタの肩に手を置いた。
「昼食よ。食堂に行きますわよ」
二人の肩を、ぽんと強く前に押した。




