第二章 27:不適切な迎合
揺れる車内は、まるで揺りかごのようだった。パティアと、断り切れずに結局は隣に座らされたウィルは、お互いの体に身を預けて寄り添うように眠り込んでいた。
馬車の揺れに合わせて、二人の体も揺れる。
御者が馬を操りながら、ちらりと後ろを振り返る。そして、寝ている二人を見て、少し速度を落とした。
もう日が暮れようとしていた。
オレンジの光に照らされた馬車の影が、時間の経過とともに大地に長く伸びていく。
その影も、次第に薄闇に溶けていった。
しばらくして、ウィルは目を覚ました。馬車は、既に止まっていた。
名前を呼んで、自分の肩に寄りかかってまだ寝ているパティアを起こす。
「ん…」と、パティアもゆっくりと目を開けた。
寝ぼけ眼をこすりながら、辺りを見回す。
馬車のドアが引き開けられて、御者が顔を覗かせた。
「お二人とも、着きました」
二人が起きるのを待っていたのだろう、かけられた声に、パティアもはっと顔を上げた。
外に出ると、もう真っ暗だった。
ベルフェルの門は閉じられていたが、門の側には松明を持った兵士が二人、静かに立っている。
そして、もう一人。馬車の傍らで、背の高い男性が角灯を持って二人が降りるのを待っていた。
「お待ちしておりました、王女様。それと――」
男性がウィルを見て、片目を瞑る。
「また会ったな。元気そうだ」
ウィルは思い出した。父親の元へ手紙を持って現れた、あの時の黒髪の男性だ。
パティアが怪しい者を見る目付きで、彼の様子を窺う。
その視線に気付いた男性が、畏まった表情に作り直して、丁寧にゆっくりと頭を下げた。
「決して、仇成す者ではございません。お初にお目にかかります。私は、シュタインと申す者でございます。そちらの――」
流暢に言いながら、目線を上げて、ちらりとウィルの方を見る。
「彼のご尊父から、パティア様がこの街にいらっしゃると聞きまして、こうして待っておりました。アレクシス様からの命を受けまして、例の件で調査をおこなっていましたが、どうも行き詰まっておりまして」
第一王子の名前にわずかに反応したが、パティアは警戒を解かない。
「例の件、ってなんのこと」
睨みつけながらのパティアの言葉に、しかしシュタインはまったく動じた素振りも見せない。
「王都で起きた、襲撃事件の件です」
そう言うと、彼は少しだけ考えるような仕草で顎に手を当てる。
「シスター・マルセラの一件、と言った方が、わかりやすいでしょうか」
「嘘」と、パティアが大声で叫ぶ。
「兄から、そんな話は聞いてないわ」
食ってかからんばかりの勢いの彼女を、シュタインは余裕の笑みで受け流す。
「予め、ご無礼な発言をお赦しください」と、申し訳なさそうに前置きしてから続けた。
「好奇心旺盛なパティア様に知られたら大変なことになると、アレクシス様も心配なさっておいででした。それで、近衛騎士を動かさずに、隠密に私どものような者に白羽の矢を立てたのでございましょう」
「ぅ…」と、さすがのパティアも言葉に詰まる。
「それと――」と、シュタインは口角を上げて微笑んだ。
「心配なさっておいでのようですが。私は、パティア様を連れ戻しに来たわけでもございません。この事件の解決に、パティア様のご聡明なお知恵を拝借いたしたくて、ここでお待ちしていたわけですから」
幾分かは薄らいだが、まだパティアの目からは、疑いの光は消えていなかった。上目遣いで、シュタインに値踏みするような視線を向ける。
「あ、忘れておりました」と、シュタインは自身の懐に手を入れて、がさがさと何やら弄った。
そして、巻いた羊皮紙の書状を取り出す。
「アレクシス様からの命令書も、お預かりしております」
「先に、それを言いなさいよ」と、彼の持つ書状を、パティアが奪い取った。
紐解いた書状を、パティアは食い入るように読む。
シュタインが、ウィルの腕を肘で突く。
「君も大変だな」
小声で言うシュタインに、ウィルは「ははは…」と苦笑いで返した。
しばらくして、パティアはゆっくりと視線を上げた。
「…本当に、私を連れ戻しに来たわけじゃないのね?」
「ええ」と頷いたシュタインの胸元に、パティアは書状を突き返した。
「確かに、兄の筆跡に間違いないわ」
書状を受け取ると、シュタインは再び懐にしまい込んだ。
パティアが腕組みして、あらためてシュタインを見る。
「わかったわ。協力しましょう」
そして、彼の目前に人差し指を突き付けた。
「まず、そちらが持っている情報をちょうだい。話はそれからよ」
シュタインが優しく、笑顔でそっとその手を払い退ける。
「場所を変えましょう。食事をご用意してあります」
パティアは思い出したように視線を落として、自身のお腹を押さえた。
「名案ね」と、顔を上げてにやりと笑う。
「さあ、案内します」
シュタインが右手を広げて、二人を街の方へと誘った。
街門の前まで来ると、シュタインが兵士に声をかけた。すると心得たように、すぐに街門の脇の通用門が開かれた。既に話がついていたようだ。
シュタインが、通用門を潜り抜ける。
二人も、彼の後に続いた。
ベルフェルの大通りには、既に人影はほとんど見られなかった。
シュタインの持つ角灯の明かりを頼りに、街中を進んでいく。
途中で大通りを外れて小道に入ると、しばらく住宅街の中を歩く。そして、とある邸宅の前で、シュタインは立ち止まった。
シュタインが叩き金を鳴らして待つと、内側から鍵を開ける音が聞こえてきた。
そっとドアが押し開けられる。白髪の、高齢の男性がそこに立っていた。
「ようこそ、お出でくださいました。シュタイン様」
上品にお辞儀をする男性に、シュタインは申し訳なさそうに笑みを返した。
「すみません。少し遅くなりました」
「いえ」と、男性は小さく首を横に振った。
「お食事の準備ができております。さあ、どうぞ中へ」
そして、シュタインの後ろにいる、ウィルとパティアに視線を送った。
「そちらのお若い方々もどうぞ、遠慮なさらずに」
屋敷の中へと案内される。
大きな邸宅だ。玄関を抜けると、大きな装飾照明に照らされた吹き抜けの大広間が三人を出迎える。正面には、二階へと通じる階段が見えた。
男性が、大広間の右手側の部屋のドアを開けた。
そこは白いシーツで覆われた長いテーブルが置かれた、食堂だった。テーブルの上には燭台と、既に幾つかの大皿料理が並んでいる。
「アギュスール卿、こんな豪勢なものを頼んだ覚えは…」
目を輝かせているパティアとは正反対に、シュタインが恐縮した表情で、高齢の男性を見た。
アギュスールは温和な笑みで答える。
「シュタイン様には、助けていただいた大変な恩義がございます。せっかくこうしていらっしゃったのですから、これぐらいのことはさせてください」
頬を掻くシュタインを、パティアが怪訝な目付きで見る。
「あなた、何者なのよ」
シュタインは笑って、それには答えなかった。
案内された席に着くと、数名の侍女がテーブルナプキンとカトラリーをそれぞれの手元に、慣れた手つきで配置する。
一同の元にグラスが添えられて、葡萄酒が注がれた。
アギュスールが自身のグラスを掲げて、三人を順番に見た。
「再会と、素晴らしい出会いに乾杯させてください」と、彼が葡萄酒に口を付ける。
皆もグラスを掲げて、乾杯に応じた。
それを見届けてから、アギュスールがグラスを置いてゆっくりと立ち上がった。
「憚る話もおありでしょうから、私はここで失礼いたします。後のことは、メイドにお申し付けください」
一礼して、アギュスールが退出する。
前菜、スープと、順を追って料理が運ばれてくる。あわあわとまごついているウィルに、隣に座るパティアが小声で作法を指南していた。
それを眺めながら、シュタインはにやにやと葡萄酒の入ったグラスを一気に空ける。
侍女がすぐに、空いたグラスを再び葡萄酒で満たした。
運ばれてきた白身魚のバター焼きの香ばしさを堪能しつつ、短く息を吐くと、フォークを静かに置きながら、パティアが冷めた表情をシュタインに向けた。
「それで、あなたは一体、何者なの。兄からは、何も聞いたことがないわ」
シュタインは飲みかけたグラスをそっと置いた。
「――そうですね、傭兵みたいなものです」と、笑みを浮かべたまま、静かな視線を彼女に送る。
「今回も、二つの事件を追っていますが。どうやら同じものらしい」
そして大皿に盛り付けられた果実をひとつ、もぎ取って口に放り込んだ。
「昨日、潜入させている相棒から、封書が届きました」
シュタインが懐から便箋を取り出して、パティアに差し出した。
パティアはそれを受け取ると、折りたたまれた便箋を開いた。
「…教会にも、寄付をお願いします――?」
パティアは読み上げると、首を傾げた。
「これって、どういう意味?」
ウィルも横から、手紙を覗き込む。そんな彼に、パティアが手紙を渡した。
「教会を調べろ、ということでしょう」
言いながら、空いた小皿を下げる侍女にシュタインが微笑んで会釈する。
目の前に、冷やされた果実のアルコール漬けが置かれるのを眺めながら、パティアが独り言ちる。
「…教会、――ベルフェル聖堂…」
「それで」と、シュタインがグラスを手に取る。
「パティア様に、一緒に教会に行ってもらいたいのです。私一人だと、おそらく門前払いされるだけでしょうから」
グラスを傾けて、葡萄酒を口に含んだ。
「その、潜入しているシュタインさんの相棒って、今は教会に?」
読んでいた手紙から目線を上げて、ウィルが問う。
「いや」と、シュタインはにやりと笑った。
「学園生活を楽しんでいる最中でしょう。きっと」
ウィルとパティアは、不思議そうに顔を見合わせた。




