第二章 24:シャルロットの部屋
寮対抗、交流戦まであと二日。
ルナは自分に対する周囲の生徒の視線が、昨日までと明らかに違うことに気付いていた。
寮生代表を蹴り倒したのだから、当然と言えるかも知れないが。
アウレリア学院の年間イベントの中でも、この交流戦は、ルナが思っていたよりもかなり大きなイベントらしい。本日の講義は午前中まで。明日は終日、休講となる。
退屈な講義を終えて、ルナは机に突っ伏した。
他の生徒たちのざわめき声の中、グレタが隣でノートの角を机で叩いて整理する。
「エリー、食堂に行くでしょ?」
ほぼ机と一体化したルナの顔を、グレタが覗き込む。
「あー、私…」言いかけたところで、ルナの体に影が重なった。
顔を上げたグレタの動きが、緊張したように固まる。
ルナが視線を上げると、腰に手を当てて仁王立ちで前に立つエーデルの姿があった。
「さあ、行きますよ」
普段通りの不機嫌そうな顔で、エーデルがルナを見下ろして言う。
戸惑った様子で、グレタが二人を交互に見た。
「私、今から用事が」
答えるルナに、エーデルが眉を顰めて続ける。
「シャルロット様に会いに行くんでしょう。私が連れて行ってあげるって言ってるのよ」
ルナは脱力して、だらりとまた体を机に預けた。
「どうせ、寮の場所もわからないだろうし。私がいなきゃ、あなたは――」
胸の前で腕を組み直して、二の腕を人差し指でトントンと叩きながら、ぶつぶつと小言のように言い続けるエーデルを横目に、グレタが不思議そうな顔付きでルナを見た。
「シャルロット様って?」
「カリタス寮の偉い人」
そう答えながら、ルナは机の上で大きく体を伸ばした。
そして、ゆっくりと立ち上がると、精一杯の作り笑顔をエーデルに向けた。
「ありがとうございます、エーデルさん」
小言をやめたエーデルが、満足そうに笑顔を見せる。
「素直でいいじゃない。さあ、ついてらっしゃい」
顎を上げて、エーデルが颯爽と身を返した。
そんな彼女と、隣のルナを、グレタはきょとんとした表情で見つめる。
「後で行くから。先に食べてて」
グレタにそう声をかけると、ルナは、エーデルの後を追いかけた。
フォルティトゥド寮が校舎から見て南東に位置するのに対して、カリタス寮はその対角線上、北西にあった。
基本的な建物の造りは同じだが、それぞれの寮の個性というか、どことなく雰囲気が違って見える。
一番の違いは、その匂いだった。微かに柑橘系の、甘い香りがする。
探るようにあたりを見回すルナに、前を向いたままで、エーデルが小声で言う。
「カリタスの寮棟は女生徒しかいませんの」
正面から歩いてきた一人の女子生徒が、すれ違いざまに、二人に丁寧にお辞儀をする。
ルナとエーデルも、それにお辞儀で返した。
「男子はあちら」と、廊下の窓から見える小屋を、エーデルが目線で指す。
「カリタスの九割は女生徒だからよ」
これまで意識していなかったが、確かに女子生徒の姿しか見当たらない。フォルティトゥド寮のようにどこからか聞こえてくる喧騒もなく、静かだ。
談話室に着いたが、人はまばらだった。昼食の時間だ。それは、仕方がない。
エーデルが、近くにいた女子生徒に話しかける。
「シャルロット様はどこにお出ででしょうか」
振り向いてエーデルを見た彼女が、驚いたように目を開いた。
「あ、フォルティトゥドの…」
「ええ。フォルティトゥド寮の、エーデル・ローゼンベルクです。シャルロット様に面会の約束がありますの。お取り次ぎ願えないかしら」
問いながら、エーデルが肩にかかる自身の髪を払い退ける。金色の髪が、ふわっと広がって流れた。
ルナの目には、女子生徒が怯えているようにも見えた。
「…シャルロット様は、自室にいらっしゃいます」
「そう。ありがとうございます」
エーデルは優雅に頭を下げて礼を言うと、後ろのルナをちらりと振り返る。
「エリー、行きますよ」
談話室を横切って、エーデルが寮の奥へと足を進める。
迷いなく奥へと進んで行く彼女の背中に、ルナが声をかけた。
「部屋がどこか知ってるの?」
「ええ」と、エーデルは即答した。
「すべての寮生代表には、入学した初日にご挨拶を済ませていますから。当然でしょ」
エーデルはさらりと言ってのけると、とある一室の前で立ち止まった。
ドアをノックする。中から、小さな声で返事があった。
エーデルがドアを押し開けると、部屋には一人の女性の姿があった。
長い、綺麗な黒髪の彼女は、部屋に入って来た二人を見て、座っていた椅子から立ち上がった。窓からカーテン越しに午後の陽光が差し込んで、その顔を柔らかく照らす。
「ラインハルトから話は聞いています」
女性は優しく、微笑んだ。
「シャルロット・アルノーです。そちらの方は、はじめましてですね」
エーデルが、ルナの腕を肘で突く。
「あ、…はじめまして。エリー・カーミラです」
名乗ったルナに、シャルロットは笑顔で頷いた。
そして、思いついたように、彼女は胸の前でぽんと手を叩いた。
「美味しいお菓子がありますの。一緒にいかがかしら」
二人を部屋の奥の丸テーブルに案内する。戸棚からティーカップを取り出して、それぞれの前に置いた。
シャルロットがティーポットを傾ける。琥珀色のお茶がゆっくりとカップを満たしていくのを、ルナは黙って眺めていた。
三人分のティーカップにお茶を注ぎ終えると、シャルロットはバスケットに入った焼き菓子をテーブルの中央に置いた。
「さあ、どうぞ。遠慮なく」
シャルロットも座ると、自分のティーカップに手を付ける。
二人も、それに倣ってティーカップを手にした。
シャルロットとエーデルの様子を窺いながら、ルナもお茶をひとくち口に含んだ。甘い香りが鼻腔をくすぐり、ほのかな苦味が口内に広がる。
それを見て、シャルロットは笑みを浮かべた。
「お茶が好きなので。父がいつも、送ってくださるの」
静かに目を伏せながら、シャルロットがお茶を堪能する。
エーデルが小声で、ルナに囁いた。
「…シャルロット様は、アルノー伯のご令嬢です」
アルノー伯など知らなかったが、ルナは小さく頷いた。
「それで、お話って。テオドラのことでしたよね」
ルナに焼き菓子を勧めながら、シャルロットが言う。
「はい」と、焼き菓子をひとつ手に取りながら、ルナは答えた。
「是非、ご挨拶いたしたくて。ご紹介いただけないでしょうか」
「それがねえ」とティーカップをソーサーに置きながら、シャルロットは困ったように眉を寄せた。
「彼女は今、この寮にはいませんの」
焼き菓子を両手で持ったまま、ルナはじっと彼女を見つめた。
シャルロットが、自身の顎に人差し指を当てる。
「エーデルさんはご存知だと思いますが、成績の優秀な方は、教会に出向して、ご奉仕させていただけますの。テオドラさんもそれに選ばれて、数ヶ月前から教会にお務めです」
ルナは表情を変えずに、焼き菓子を齧った。上品な甘さに、干しぶどうがその食感に絶妙なアクセントを加えている。
「とても美味しいです。こんなの初めて食べました」
ルナの言葉に、シャルロットは嬉しそうに微笑んだ。
口内の甘さをお茶で流して、ルナはティーカップを置いた。
「では、教会に行けば、お会いできるんですね」
「ええ」と、シャルロットは頷いた。
「ありがとうございます。シャルロット様」
礼を言って、ルナが立ち上がろうとする。
それを、シャルロットが目線で押し留めた。
「もう少し、ゆっくりしていらっしゃいな。ラインハルトから、とても優秀な方だと聞いております。まだお話を聞きたいわ」
隣のエーデルが、ルナの腕を引いて、無理矢理に再び椅子に座らせる。
「良かったわね、エリー。シャルロット様に気に入ってもらえたようよ」
その言葉は当然、シャルロットにも届いていたが、彼女はただ優しく微笑みを返すだけだった。




