第二章 21:最悪な授業
「フォルティトゥド寮は文武両道でなければならぬ」
大勢の生徒たちの前で、ラインハルトがよく通る声で言う。
「殊、武芸に関しては、他寮に決して負けるようなことがあってはならない。これはフォルティトゥドの伝統である」
――武技の授業。
対抗戦などの一部を除いて、この授業は寮ごとに行われる。
このグラウンドには、フォルティトゥド寮の一年生から三年生までが揃っていた。
およそ六十人ほど。暑苦しいラインハルトの演説を聞き流しながら、ルナは生徒たちを一通り見回した。しかし、あの肖像の少女は、この中には見当たらなかった。
ラインハルトが一際大きな声で言う。
「君たちに問う。まず最初に必要なものはなんだ」
嫌な予感がした。ルナは厭そうに眉を顰める。
ラインハルトは一同をゆっくりと見回した後、大声で叫んだ。
「そうだ。基礎体力だ!」
そしてにやりと笑う。
「――走るぞ」
「…最悪」
集団の中で走りながら、ルナが悪態をつく。
グラウンドの内周を走らされる。もう三周目だ。
ルナは、自分が体力がない方だとは思わない。これが夜であれば、多少の文句はあれど、これぐらいの試練は受け入れる。
問題は、太陽だ。
ハーフとはいえ、ヴァンパイアの血が流れるルナに、炎天下のもとで持久走をしろなんて、正気の沙汰じゃない。
すぐ隣で、グレタがペースを合わせて並走してくれている。
顔色の悪いルナを、彼女が心配そうに見る。
「…大丈夫?」
「…大…丈夫…、じゃ…ない…ッ」
ふらつきそうになる足をなんとか踏ん張って、ルナは走り続けた。
それもこれもすべて、あいつのせいだ。
次に会ったときは、ぶん殴るだけじゃ済まさない。
怒りの矛先を、シュタインに向けた。
足元が覚束無い。遠退きそうになる意識を、何度も手繰り寄せる。
しかし、それももう限界だった――。
ルナの頬に、柔らかいものが押し付けられる。とても温かい。
心地良い。しばらくこのままでいたかった。
ルナはゆっくりと目を開けた。
そこには、自分を覗き込んでいる顔があった。しかし、逆光でよく見えない。
急に意識が覚醒する。
ルナは慌てて体を起こした。
驚いたような表情のグレタが、ルナを見ている。
その向こうには、仁王立ちのラインハルト。その傍に、アズリオもいた。
ルナはようやく、自分が気を失っていたことに気づいた。
さっきまでの柔らかく、温かいものは、長椅子に座ったグレタの膝枕だった。
腕を組んで正面を向いたままのラインハルトが、目線だけを落としてルナを見る。
「引きこもりとは聞いていたが、ちと体力が無さ過ぎるな」
「あまり無理はしなくてもいいからな」と、アズリオが心配そうに声をかける。
しかし、ラインハルトはふんっと鼻息を荒くする。
「アズリオ、甘やかすな。フォルティトゥド寮生たるもの、強靭な肉体と精神力を兼ね備えておかねばならん」
そして彼は、ルナを見下ろしてニッと笑って歯を見せる。
「でも、大丈夫だ。この俺が、しっかりと鍛えてやる。安心しろ」
ルナは思わず頭を抱えずにはいられなかった。
グラウンドを走っている寮生たちに向かって、ラインハルトが大声で言う。
「よし。そこまでだ」
その言葉で、寮生たちは持久走が終わったことを知る。
膝に手を付いてハァハァと息を荒く繰り返す者、中にはグラウンドに大の字で倒れ込む者の姿もあった。
しかしそのほとんどは一年生で、上級生は息を整え、体をほぐす余裕すら見えた。さすがはフォルティトゥド寮生というところか。
「皆、聞いてほしい」
ラインハルトの言葉に、視線が集まる。
「三日後の交流戦だが、皆も知っての通り、一年生のスコットが怪我のため欠場となった。その代役を考えていたが、――たった今、それが決まった」
そして、傍のルナとグレタを横目で見た。
再び嫌な予感が、ルナの背筋を駆け抜けた。
「この、エリー・カーミラにやってもらおう」
彼の言葉に、寮生たちがざわつき始める。
「ちょ、ちょっと、なんで私なの」
慌てて立ち上がったルナが、ラインハルトに詰め寄った。
「そもそも交流戦って、何よ」
そんなルナの目の前に手を広げて、ラインハルトが制した。
「隠しても無駄だ。君の、足首からふくらはぎ、そして太ももまでのなめらかで美しい筋肉は、間違いなく、しっかりと鍛えられたものだ」
グレタが「あっ」と、声を上げた。
「エリーが倒れたとき、ラインハルト様が抱えて運んでくださったの」
「そうだ」と、ラインハルトが大きく頷いた。
「その時に、触って、確認させてもらった」
ルナの表情が固まる。
「――触った…?」
「そして、これだ」
おもむろにラインハルトが、ルナの尻を掴んだ。
「ひゃん」と、ルナは情けない声を上げてしまう。
ラインハルトが確信を込めて続けた。
「とても良い尻だ。この引き締まった下半身は――」
彼がそう言いかけた途中で、足を踏み替えて思わず放ったルナの後ろ回し蹴りが、ラインハルトのみぞおちに直撃した。
「ぐぅッ…!」
苦悶の表情で、ラインハルトが腹部を抑えて膝をついた。
「あっ」と、ルナは我に返って慌てる。
そんなルナに、ラインハルトは苦しそうな顔付きのままで、片目をつむってにやりと笑ってみせた。
「…どうだ? 俺の見込みは間違っていないだろう」
寮生たちが一斉にどよめく。
そしてラインハルトは、そのまま崩れ落ちた。




