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BLOOD STORY  作者: 初、
33/48

第二章 19:甲板での対決

 早朝の船上で、甲板に船員たちがこぞって集まる。

 大勢の船員たちが輪になって、二つの人影を囲んでいた。

 一つの影、――フィーノが輪の中をゆっくりと歩く。

 その対角線上には、ウィルの姿があった。二人を取り囲んだ屈強な船員たちの視線とガヤを気にしながら、ウィルは何度か膝を曲げて体を慣らす。

 船員たちに交じって、パティアの姿もあった。腕組みして、輪の中心の二人を見比べていた。

 賭けも始まったようだ。一人の船員が帽子をかご代わりにして、ベットを煽っていた。

 帽子の中に、みるみるうちに賭け金が溜まっていく。

 船員が、帳面を片手にペン先を舐めながら、パティアの側に立った。

「姫様はどうします?」

「私は――」と、パティアは腕組みしたまま、力強く叫ぶ。

「当然、ウィルに賭けるわ」

 立て掛けてあった掃除用のモップを二本、手に取りながらフィーノが情けない声をあげた。

「そりゃないぜ、姫様。長い付き合いなのに」

 パティアはにやりと笑う。

「長い付き合い、だからこそよ」

 フィーノが手にしたモップのうち一本を、ウィルに投げて寄越した。

 ウィルがそれを器用に受け取ったのを確認すると、自身が持ったモップで肩を叩きながら顎を上げた。

「さすがに真剣で、というわけにはいかねえが。――悪いが、手加減は無しだ」

 ウィルは何度かモップを振って、持ち応えを試すと、手先でくるくるとモップを回す。そして、ブラシを手前にして、中段に構えた。

「はい。お願いします」

 ウィルの反応を見て、満足そうにフィーノが口元を歪ませた。

 二人を眺めながら、パティアは思い出す。


 ――あれは、出立の日の早朝だった。

 パティアが目覚めたとき、すでにウィルの父親、オルヴァンは、庭で木刀の素振りをしていた。それは彼の日課だったが、パティアはそれを知らない。

「お早いですね、義叔父様」

 パティアが声をかけると、オルヴァンは素振りを止めて彼女を見た。

「すまない。起こしてしまいましたかな」

 優しく微笑みかけるオルヴァンに、パティアも笑みで返した。

「いえ。とても気持ちの良い朝です」

「そうですか。それは良かった」

 オルヴァンが正面に向き直って、素振りを再開する。

 しばらくそれを、パティアは眺めていた。遠くから小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。朝の涼しい風が柔らかく彼女の頬を撫でていった。

 正確に同じ軌跡を描いて、オルヴァンの木刀が振り下ろされる。ヒュンヒュンと、空気を裂く音だけが聞こえてくる。

 昨日に見た稽古で、顎を蹴り上げられて痛みに油断したウィルが、オルヴァンに木刀を突きつけられたのを思い出した。

 涙目のウィルを思い返すと、可笑しくも思うが、なぜか妙に悔しい。

「…ちょっとは義叔父様を見習って、ウィルも早起きすればいいのに」

 口をとがらせて、パティアがぽつりとつぶやく。

 オルヴァンはしばらく素振りを続けていたが、ゆっくりと息を吐いて、その動きを止めた。

 そして、あらためて彼女の方に向き直る。

「おそらく姫様が気になって、なかなか寝付けなかったのでしょう」

「えー。そうなのかな」

 パティアは少し嬉しそうに俯く。

「それに――」と、オルヴァンが続けた。

「すでに、あいつは私より強い」

 パティアが顔を上げて、小さく首を傾げる。

「あいつに足りないのは、経験と――、覚悟だけだ」

 そう言って、オルヴァンは優しく微笑んだ。

 パティアはしばらくの間、その言葉を胸の中で繰り返した。

 そして彼女は大きく頷くと、オルヴァンに笑みを向けた。

「私にも、稽古をつけてくださらない?」

 オルヴァンは驚いたように目を丸くしたが、すぐに笑みを取り戻した。

「喜んで、お相手いたします」

 パティアは裾を気にして、少しだけスカートを手繰り上げた――。


 船員たちの野次がひときわ大きくなった。

 パティアの視線の先で、ウィルが静かにモップを握り直す。

 フィーノはまだ構えない。モップで自分の肩を、トントンとリズムよく叩いている。

「では、始めるか」

 フィーノが宣言するが、彼はまだ突っ立ったままだ。

 ウィルもまだ動かない。お互い相手の出方を窺っている様子だ。

 その緊張感が伝わったのか、徐々に船員たちからざわめきが消えて、次第に場が静まり返った。

 パティアも固唾を呑んで見守る。

 ――その時。

 ハッ…クション!

 どこかで船員の一人が、大きなくしゃみをした。

 一瞬だけ、ウィルの視線がそちらを向いた、その瞬間。

 ドンッと大きな音を立てて、フィーノが床を蹴る。そして一気に、ウィルとの距離を詰めた。

 脳天を目掛けて振り下ろされた斬撃を、ウィルは体を捻ってすんでで躱した。彼のすぐ目の前を、フィーノの一撃が空振る。

 ウィルは足を踏み変えて、フィーノの背後に回り込む。

 フィーノが左足を踏み込んで、体重を移動させると、そのまま背後のウィルに肩から体当たりした。

 体格が二回りは大きいフィーノの体当たりを受けて、ウィルの体は簡単に吹き飛んだ。

 飛ばされながら、ウィルは体勢を整えて、なんとか片手を付いて両足で着地する。

 フィーノがにやりと笑う。

「…誘ったな?」

 ウィルは体を起こすと、すぐにモップを中段に構えた。

 フィーノがモップを大きく振る。ゴウッと風を裂く音が響いた。

「それに、目も良い。シリルの嬢ちゃんを翻弄したってのも嘘じゃないようだ」

 船員たちが歓声を上げる。

 パティアが一気に息を吐き出した。思わず息をするのを忘れていたらしい。

「さて、第二ラウンドと行くか」と、フィーノが駆け出す。

 振り下ろされたモップを、ウィルが受ける。

 ガンッ!

 木が打ち合う音が響いた。

「――ッ!」

 受け止めたウィルの腕が、ジンと痺れる。

 立て続けに、フィーノがモップを薙ぐ。ウィルはそれを受け流そうとしたが、あまりの力に、モップを持つ腕が弾かれた。

 慌てて、ウィルは後ろに跳んで距離をとった。

 さらにフィーノは追撃をかける。

 ウィルは弧を描くように下がりながら、なんとかそれを凌ぐ。

 ――なんて力だ。フィーノの攻撃を、ウィルは距離をとりながら避けるので精いっぱいだった。

 このままではジリ貧だ。

 ウィルは短く息を吸った。

 力強く振り下ろされたフィーノのモップを、ウィルは踏み込んで逆手で受ける。

 圧倒的な力で押し込まれるが、ウィルはその勢いを利用する。彼は体を反転させながら、さらに踏み込んできたフィーノの懐深くに潜り込んだ。

 フィーノの腕に、手を掛ける。

 ウィルの身が沈み込んだ。その次の瞬間。

 フィーノの両足が、床から離れた。

 弧を描いて、その体が宙に浮く。

 ドシンッ!

 その大きな体躯が、背中から床に叩きつけられた。

「――ぐッ!」

 フィーノがくぐもった声を上げる。

 ウィルがそのまま馬乗りになって、彼の首元にモップを押し当てた。

 時間が止まったかのように、船上が静まり返る。

 そしてそれは一瞬の後に、大歓声に変わった。

 フィーノがモップを手放して、ハァハァと荒く呼吸を繰り返しながら床に大の字で寝そべる。

 彼の首元からモップを引いて、ウィルは肩で息をしながらゆっくりと立ち上がった。

「ウィル!」

 名前を叫びながら、パティアがウィルに飛び付いた。そのままの勢いで彼を押し倒す。

 寝そべったまま、フィーノが頭だけを持ち上げて二人の方を見た。

「…本当に、見せつけてくれるぜ」

 立ち上がったウィルの周りに、船員たちが一斉に押し寄せた。

 彼らは荒っぽい言葉で、しかしその口調とは裏腹に素直な賞賛の言葉を浴びせる。

 賭けに勝った者は、ウィルの肩に手を置いて「街に着いたら奢らせろよ」と笑顔を見せる。賭けに負けた者も、恨み節を言いながらも、その表情は明るい。

 ウィルが揉みくちゃにされている間も、彼を獲られまいと、パティアはウィルにしがみ付いたまま離れない。

 船員たちを掻き分けて現れたフィーノが、ウィルの前に立った。

「また、稽古を付けてくれ」

 差し伸べられた彼の大きな手を、ウィルが強く握り返す。

「いえ、こちらこそ。またよろしくお願いします」

 握る手に、フィーノが力を込める。

「痛たたたた…!」

 身をよじるウィルを見て、フィーノは豪快に笑った。

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