第二章 18:船上の三人
日が落ちて、だいぶ経つ。辺りはすっかりと暗くなった。
多少、風が強く、波がやや高いが、二人が乗っているのは王家直属の軍船だ。手練れの船員たちによって、夜の海を安定して航行していた。
ペルセイドの街の灯はすでに遠い。
ウィルは甲板に立って、今にも降ってきそうな星空を眺めていた。
湖で小舟に乗ったことはあったが、大海でこのような大型船に乗るのは初めてだった。
聞こえてくるのは、船首が波を割る音だけ。陸で感じるよりも、風が冷たい気がした。
「うー。寒い」
後ろからの声に、ウィルは振り向いた。
昼間の服装の上に毛皮のコートを羽織ったパティアが、体を震わせながら甲板に上がってきた。
その後ろから、フィーノも姿を現す。
「何が見えるの?」
ウィルの隣でパティアが、先ほどまで彼が見ていた方向を見た。
そこは、ただ夜の海の暗闇が広がるだけ。
「なんにも」と、ウィルが答えたが、それが聞こえないかのように、彼女は暗闇を眺める。
少し身を乗り出したパティアの二の腕が、ウィルの腕に触れた。
柔らかな肌の弾力が伝わってくる。コート越しではあるが、ほんのりと彼女の暖かさを感じた。
ウィルが動けずにいると、不意にパティアの方からさっと離れた。
パティアが早口で詠唱を紡ぎ出す。
胸の前で差し出した彼女の両方の手のひらの上に、ぽおっと淡い光の球が浮かび上がった。
「――あっ」
思わずウィルは声を上げた。
宮廷魔術師のリュカが使っていた魔法だ。
パティアが不満げに半開きの目で、ウィルを睨む。
「これぐらい、私だってできるわよ」
「いや、そういうわけじゃ…」
弁解しようとしたウィルを無視して、パティアは光の球をそっと真上に投げる。
周囲が柔らかな光で包まれた。
「…姫様。あまり目立つようなことはやめてほしいんだが」
フィーノが後ろ頭を掻きながら、困ったような顔つきで言う。
「大丈夫よ」と、パティアは自信たっぷりの笑顔で返した。
「まさか、マリオールの海軍に喧嘩を売ってくるような奴なんかいないだろうし。もし、いても――」
突然、パティアが跳び付いて、ウィルの腕を抱きしめる。
「ウィルが守ってくれるわ。ね、ウィル?」
パティアの柔らかい体が押し付けられて、ウィルは固まった。
ピューと、フィーノが口笛を吹く。
「あまり見せつけるなよ、お二人さん」
意味ありげに、にやりと笑う。
「そういや、聞いたぞ。坊主。あのシリルに一泡吹かせたんだってな」
シリル、――セラフィヌス・ヴァレン。
紫色の髪をアップにまとめた、侍女の格好が似合う近衛騎士の姿を思い出す。
「泡吹かせたとか、そういう…」
言いかけたウィルの耳元で、パティアが囁いた。
「海軍と、陸の近衛騎士は仲が悪いのよ」
その言葉は、当然、フィーノにも聞こえている。
「奴ら、俺たちのことを移動手段ぐらいにしか思ってないからな」
言葉とは裏腹に、彼はまだにやにやと笑みを張り付かせたままだ。
「姫様から急使が届いたときは驚いたぜ。今頃、城内は蜂の巣をひっくり返したように大慌てだろうよ。傑作だ」
豪快に笑うフィーノを眺めるパティアの横顔を、ウィルは頬を赤くして見下ろした。
産毛すら見えそうなほどの至近距離。魔法によって生み出された光で照らされた彼女の横顔は、とても綺麗だった。思わず視線が奪われる。
「――坊主」
フィーノに呼ばれて、ウィルは現実に引き戻された。恥ずかしさが残る。
「シリルをやり込めたっていうその剣の腕前を、ちと俺たちにご教示願えないもんかな」
そう言って、フィーノがにやりと笑みを浮かべる。
「おれ、そんな、人に教えるなんて…」
うろたえるウィルを、パティアがじっと見上げる。
「そんな堅苦しいもんでもないさ。明日、手合わせよろしく頼むな」
フィーノが振り返って、後ろ姿で手を上げる。そして、甲板を降りて行った。
「私たちも戻りましょうか。風邪ひいちゃう」
ウィルの腕を放すと、パティアが自身の体を抱えるように抱きしめて寒さに震える。
彼女の温もりを失ったウィルは、ひとつくしゃみをした。




