第二章 7:食卓で交わされた約束
庭の畑で採れた新鮮な野菜のサラダ。
山菜の炒め物と、自家製の燻製肉。
テーブルの中央からは、山猪のローストの香ばしい匂いがふわりと漂う。
自分の目の前にオルヴァンがパンの乗った皿とスープを置くのを、パティアが輝く瞳で見つめている。
「わあ。美味しそう」
胸の前で手を合わせて、パティアが感嘆の声をあげた。
オルヴァンが自身の席に着きながら、静かに言う。
「田舎料理ゆえ、姫様の口に合えばいいが」
そして、胸の前で手を組む。
パティアとウィルもそれに倣って、胸の前で手を組んだ。
豊穣の神に祈りを捧げて、三人は手元のカトラリーを手にした。
山猪のステーキを噛みしめて、パティアが満足げに微笑む。
しばらく咀嚼して、ようやく呑み込むと、うっとりと目を閉じた。
「噛めば、噛むほど、お肉の甘いのが口いっぱいに。すごい美味しい」
「良かった」と、オルヴァンはほっとした顔だ。
「先週、いいものが獲れたのでな。滝のそばの洞穴でエイジングしておいたんです」
「父から聞いたことがあります。オルヴァン義叔父さまは、王都の宮廷料理人でも及ばないほどの料理の腕前だったって」
オルヴァンが笑う。
「凝り性過ぎて、よく呆れられていたものです。こうして隠居の身となっては、数少ない楽しみのひとつです」
二人が楽しそうに話すのを、ウィルはぼんやりと聞いていた。
初対面ではあるが、義叔父と姪の関係だ。共通の話題もある。
ウィルは自問していた。
パティアの好奇心の強さと責任感は、折り紙つきだ。彼女は本気で事件に首を突っ込もうとしている。
おそらく彼女は、そのことの本当の危険性に気付いていない。
マルセラと対峙したウィルだから、それがわかる。止めこそ刺せなかったが、勝てたのは間違いなくリュカとシリルのおかげだ。
あれは普通の人間が踏み込んではいけない領域だ。
――王国の、危機です。
シリルの言葉を思い出した。
――王国の皆を守る責任があるの。ウィルもでしょ。そう思わない?
それに、パティアの言葉も重なる。
ウィルは気付いてもいた。自分の中の芽生えはじめた使命感に。
これまで特別に大きな目的をもって生きてきたわけではない。自分に何ができるかなんて考えもしなかった。
ただ父親と一緒に、穏やかな生活を送っていくだけだと。
「あ、そうだ――」と、パティアが思い出したように笑顔で続けた。
「義叔父さま。ウィルを、私にください」
何を言ったのか瞬間的に理解できず、ウィルとオルヴァンは同時に固まった。
スープをすくったオルヴァンの手が止まり、ウィルはきのこが刺さったフォークを持ったままで静止する。
満面の笑みのパティアを、二人はぽかんと見つめた。
しばらく静かな時が流れた。
ぱち、ぱち、と暖炉の薪がはぜる音だけが聞こえてくる。
「ええええ!」と、ウィルの絶叫が静寂を破った。
フォークからきのこがぽとりと落ちる。
うるさそうに耳をふさいだパティアは、眉をひそめてウィルをにらんだ。
「なんで、ウィルが驚いてるの」
「…驚くだろ、普通」
ウィルのぼやきを、パティアは無視する。
「ねえ、義叔父さま。よろしいですよね」
にこり、と笑みを向ける彼女の言葉に、オルヴァンもようやく我に返ったようだ。
スープを静かに、元の皿に戻した。
「少し待ってくれ…」と、オルヴァンがこめかみを押さえる。
パティアは変わらず笑顔のままだ。
「申し訳ない。話が、見えないのだが…」
オルヴァンの言葉に、パティアはきょとんと瞬きを繰り返す。
「王家の一員として、王国の皆を守るのは当然のこと。ウィルだって、王統の系譜に名を連ねている者として、私と同じ思いを持っているはず」
パティアの横暴で、一方的な言い分に、しかしウィルはそれを決めつけだと言い切ることができなかった。
自分に、何ができるのか。
何もできないかも知れない。それでも、何もしないのとは違う。
それに、パティアはおそらく止まらない。
誰かが彼女を守らなければ。
真剣な面持ちでテーブルに視線を落としているウィルを、オルヴァンは静かに見つめた。
パティアが一転、表情を引き締めて言う。
「――聞きました。シリルは近衛騎士のうちでも、屈指の実力者です。その彼女がウィルのことを、自分よりもはるかに強い、と認めています」
オルヴァンがゆっくりと腕組みする。
「これも、きっと何かの縁です」と、パティアが微笑む。
「王国の危機、――そんな時に、ウィルと出会った。マリセア様のお導きに違いありません」
しばらく考え込んでいたオルヴァンだったが、すっと強い視線を息子に向けた。
「ウィルは、どうなんだ?」
「おれは――」と、ウィルは言いかけて、言葉を切る。
少し迷った後、ゆっくりと言葉を続けた。
「正直、おれになにができるのかはわからない。でも、なにもしなくて、後悔はしたくない」
オルヴァンが静かに、じっと息子を見つめる。
ウィルが見つめ返す。その目には、はっきりと決意が表れていた。
しばらく二人は見つめ合っていたが、オルヴァンの方からふっと視線を逸らした。そして、手元のスープを再び掬いなおした。
「そうか」と、オルヴァンがぽつりと呟く。
スープを口に運ぶ。もうすっかり冷めていた。
パティアが笑みで、ウィルにウインクを送る。
オルヴァンが顔を上げた。
「あらためてウィルには城に出向かせます。姫様、食事が済みましたら、本日はお戻りください」
「えっ」と、今度はパティアが固まった。
彼女の目が泳ぎはじめる。
「え、っと、城に戻るのは、ちょっと…」
パティアは視線を斜め右上に逃がしながら、しどろもどろに言葉を続けた。
「ほ、ほら、…あの、もう準備してきちゃったし。城には戻らなくてもいいかなー、なんて」
オルヴァンが不思議そうに、彼女を見る。
「今夜はここに泊めてください。明日、出発しましょう」
名案だとばかりに、パティアが目を見開いて言う。
怪訝な表情のオルヴァンだったが、何かを察した。
「…そういうことですか。わかりました」
オルヴァンの言葉に、ほっと胸を撫で下ろしかけたパティアだったが。
「――ですが」と、目を細めたオルヴァンの言葉に、彼女はびくっと体を震わせた。
「三日です。三日経ったら、王城に報告させていただきます。――それで、いいですな?」
パティアはにこりと満面の笑みでそれを受け入れた。




