第一章 2:王女の退屈と異変
「なんでこんなに退屈なんだろう」
外向きに開かれた木製の大きな窓のふちに、パティアが両肘をつき、頬杖をついたままで頬を膨らませる。愛らしい顔立ちと金色の髪が、ふわりと風に揺れる。その瞳はぼんやりと城下を眺めていた。ただ眺めているだけで、どこにも視点は合っていない。
「退屈でいいじゃないですか。何か不服でもあるんですか」
部屋の隅で、手にしたティーカップを優雅にテーブルに置きながら、侍女のシリルがたしなめる。その口調には特別な感情はこもっていない。
「誰のせいよ」と、ちらりと振り返ったパティアの一瞥を涼やかに受け流して「さあ」とシリルは再びティーカップを持ち上げてその芳醇な香りを楽しむようにそっと目を閉じる。
パティアはそんな侍女をにらむと、ますます頬を膨らませて、窓の外に視線を戻した。
大陸の西方、マリオール王国の第二王女として生を受けたパティアは、王宮の平穏で厳格な日常に囲まれながらも、何かが違うといつも感じていた。
窓の外に広がる城下を眺めるたびに、胸の奥がざわざわとむず痒くなる。視察で城下を訪れたときも、市場の喧騒が聞こえてくると、すぐにそこに飛び出したくなってしまう。
ある時、店頭で無頼漢に若い女性の店員が怒鳴られているのを目の当たりにしたこともあった。そして、本当に視察の列から飛び出して、その男に詰め寄った。
案の定そのときも、侍女であり、彼女の護衛でもあり、さらにはお目付け役でもあるシリルに引きずり戻されたのだった。
「あー、本当に退屈」
パティアはため息を吐く。シリルから見張られている限り、この部屋から抜け出すことはできない。
その時、廊下の方から突然、騒がしい声が響いた。慌ただしい足音が何人分も駆けまわる。そのただならぬ雰囲気と緊張感に、パティアは好奇心に満ちた瞳を輝かせて振り返る。視線を上げずとも、それを察したのか、シリルが小さく舌打ちをした。
その時、勢いよくドアが開かれた。
一人の軽装の兵士が慌てた様子で部屋に駆け込んでくる。肩で息をしつつ部屋を見まわし、ティーセットの前に座ったシリルに深々と頭を下げる。
「し、失礼します、シリル様」
シリルは困ったようにため息をつき、ティーカップをそっと受け皿に戻す。
「ノックぐらいしたらどうですか」
「はっ…も、申し訳ありません」
その時ようやく兵士は、その部屋の奥にもう一人の人物がいることに気付いた。彼女の存在と、その好奇心に満ちた瞳に気圧されたように思わず後ずさる。
「どうしたの。何があったの」
好奇心を抑えきれないパティアが兵士に迫る。
「ま、まさか第二王女殿下がおいでとは存じ上げず…」
兵士が申し訳なさそうにシリルに視線を送る。シリルは再び大きなため息をつかざるを得なかった。
「仕方ないでしょ。さあ、おっしゃいなさい」
シリルがあきらめたように言う。
肩で息を整えながら、兵士が恐縮した様子で口を開いた。
「はっ。実は…」
目の前まで迫っているパティアから視線を逸らしながら、兵士は言葉を選ぶように続ける。
「昨夜、貧民街の水路で、その、奇妙な死体が、いや、死体のようななにかが、見つかったとの報告がありまして…」
その言葉に、シリルが顔を上げる。
パティアも先ほどまでの好奇心に満ちた表情から一転、真剣な面持ちで兵士を見つめた。
「なんですか。その、死体のようなにか、とは」
シリルの言葉は冷たい。彼女の表情も一転していた。
「それが、…報告によると、完全に死んではいない、とのことです。その、死体という言葉は適切ではないのかも知れません。奇妙な、なにかが、水路で見つかった、と…」
「言ってることがよくわかりません。詳しく説明しなさい」
兵士は息を呑み、じっとシリルを見る。
「はい…。今は教会で保管され、調査がおこなわれております。どうやらそれは人間の遺体のようで、すでにかなり腐敗も進んでいたそうです。しかし、…動くんです」
「…動く?」
シリルの眉がわずかに動く。
「はい。どう見ても完全に死んでいるのに、動くことをやめない…。血走った目を見開いたままで、まるで何かを探すかのように」
「動く死体、ですか」と、シリルは険しい表情で考え込む。
これまでも奇妙な事件の報告は幾度も受けてきた。だが、場末のダンジョンの奥深くならいざ知らず、この王都にあってそんな化け物じみた存在が現れるなど、到底あり得ない。
最近、近隣の街や隣国から、きな臭い事件の話や妙な噂話などが立て続けに届いている。
とある小さな村では、すべての住民が一夜で消えてしまったという話。
「新世界」と名乗る奇妙な新興宗教団体が各地で信者を増やしつつあるという報告もあった。
そして、ここマリオール王国とは内海で隔てた地にあるヴェルディア王国では、穏健派だった前国王が急死し、一族の者から新国王がたてられたが、その新国王と側近の周囲で不穏な動きがあるという噂。
他にも、大陸で起こった不可解な事件の背後にいつも現れるという黒髪の男性と、銀色の髪の女性の噂など。
何やら不吉な予感を覚えつつ、しばらく考え込んでいたシリルだったが、急に思い出したように顔を上げた。
「あれ、姫様は?」
兵士もはっとして周囲を見まわす。
パティアの姿がどこにも見当たらない。
シリルは慌てて立ち上がった。がたん、と椅子が倒れる音が響く。
「すぐに城門を閉鎖しなさい。…間に合わないと思いますが」
「も、申し訳ありません」と、兵士はうろたえながら頭を下げると、慌てて廊下へ駆け出して行った。
兵士の話の流れで、パティアの行先の見当はついている。わずかの間、思案した後に、シリルも彼女を後を追った。




