第二章 4:王女のわがまま、再び
木刀を握る手に、思わず力が入る。
森の中の一軒家。その庭で、ウィルは父親のオルヴァンと対峙していた。
つま先だけでにじり寄って、細かく間合いを調整する。
オルヴァンは木刀を正面に構えたまま、微動だにしない。ウィルの動きを、ただ見据えていた。
転瞬、ウィルが踏み込んだ。剣先を振り、わずかに牽制を入れて、左から木刀を薙いだ。
カツンッ!
木刀同士がぶつかる音が響く。
オルヴァンが木刀でそれを受け止め、体を反転させながら斬り込んでくるのを、ウィルがさらに踏み込んで避ける。
お互いの背中が、一瞬だけ触れる。
ウィルが身を落として地面に片手を付き、オルヴァンに足払いを繰り出した。
オルヴァンが左足を掬われて、体勢を崩す。
ウィルが立ち上がりざまに、木刀を振り下ろした。
それをオルヴァンは片膝立ちで、受け止める。
続けて振り下ろされたウィルの木刀を、オルヴァンは体を反らして紙一重で避け、その勢いでウィルの顎を蹴り上げた。
「――痛っ」と、ウィルが思わず身を引く。
あらためて踏み込もうとしたウィルの鼻先に、オルヴァンが剣先を突き付けた。
ウィルが動きを止める。悔しそうに、オルヴァンを見た。
「…なかなか良い動きだ」
オルヴァンが木刀を引きながら、息子を褒める。
蹴られて真っ赤になった顎をさすりながら、ウィルはまだ悔しそうな顔をしたままだ。
「実戦だと、痛みに怯んでいる暇はないぞ」
「…はい」
その通りだ。ウィルは小さく頷いた。
パチパチ、と乾いた音。
突然、森の奥から場違いな拍手の音が響いた。
音のした方向に、二人は同時に振り向いた。
「さすがです、おじさま」
木々の合間から、金色の髪の女性が姿を現す。
「――あっ」と、思わずウィルが声をあげた。
膝下まで丈の、胸元に細い白のフリルがあしらわれたゆったりとした淡いミント色のドレス。そのウエストを太めの革のベルトで締めている。
側から見ればただの街娘だが、その顔に見覚えがあった。
「…お知り合いですかな?」
言葉は丁寧だが、オルヴァンのその表情は怪訝さを隠せていない。
金色の髪の街娘が、ちょこんとウィルの横に立った。肘でウィルを突く。
「パティアさま――」言いかけたウィルの腕をつねる。
「パ、パティア…です。あの、第二王女の…」
「はじめまして。姪のパティアです。義叔父さま」
パティアが優雅にお辞儀をする。
一瞬、驚愕に目を見開いたオルヴァンは、すぐに片膝を突いて臣下の礼をとった。
「これはパティア様とは、知らず…。大変な失礼を致しました」
「何をおっしゃるんですか、義叔父さま。私こそ、お会いできて光栄です」
パティアが腰を屈めて、オルヴァンの腕をとる。
「私は、身分を捨てた身です」
「そんなことをおっしゃっては、叔母が悲しみます。どうぞお立ちになって」
腕を引かれて、ようやくオルヴァンが立ち上がる。
彼は思案するように一度、目を閉じて大きく深呼吸をする。
再び開かれた目でちらりと息子を見ると、視線を戻してパティアに優しく微笑んだ。
「こんな森の奥までいらっしゃったということは、何か大事な用件があるのでしょう。粗末な所で申し訳ありませんが、どうぞ、軽く食事でも」
パティアの目がぱぁっと輝く。
「もちろん。朝から何も食べてないんです」
オルヴァンに案内されて、家に入る。その後を、ウィルも続いた。
清潔な木の香りが、パティアを迎え入れる。窓から、午後の陽光が差し込む。森の木々に囲まれているせいか、その光は、パティアには柔らかく感じられた。
「少しの間、姫様を頼む」と言い残して、オルヴァンは炊事場へと向かった。
テーブルについたパティアが、物珍しそうに周囲を見回す。
とりあえず、向かいの席に座ってはみたウィルだったが。――正直、気まずい。
王女相手に、何を話せばいいかわからない。
幼い頃に亡くなったウィルの母親、――ルシアナが、パティアの父親、要するにマリオール王国君主の実妹であることを知ったのも、つい先日のことである。
「…お茶でも飲みますか?」
「ええ」と、パティアは屈託なく笑顔で頷いた。
ウィルは立ち上がって、沸かしてあったハーブティーを淹れる。
パティアは興味深そうに、それを見つめる。
「これ、森で採れた香草で作ったんです。お口に合うか、どうか…」
ウィルが言い終わるよりも早く、パティアは抵抗もみせずにひと啜りする。
「んー。とてもいい香り」
ウィルはほっとして、椅子に座り直した。
パティアはカップをテーブルに静かに置くと、その大きな碧い瞳でウィルを見つめた。
思わず気後れするウィルを、じっと見る。
「ウィルは、私のことをどう思う?」
一瞬、何を言われているのか理解できず、ウィルは瞬きした。
「え、えっ?」と、混乱した頭を、なんとか整理しようとする。
パティアがぐいっとテーブルから体を乗り出した。
「私がやらなきゃいけないと思うの」
パティアの目は真っすぐに、ウィルを見たままだ。
「教会での一件、あれから私なりに調べたのよ」
シリルたちが「動く死体」と呼んでいた、あの歪な塊。そして、襲ってきた兵士や、修道女。黒幕の、マルセラとの戦い。
「あの修道女たちは、何かに感染させられて、操られていたんじゃないかって。それが医務官の見解だった。私もその通りだと思う」
ウィルは、彼らの濁ったような灰色の目を思い出した。
襲ってきた兵士は、目の前で崩れ落ちて肉塊へと成り果てた。
パティアは少し目を伏せて、椅子に座り直す。
「シスターマルセラのことは、ほとんどなにもわからなかった。出生も、出自も不明。孤児院で問題行動の多かった彼女を、教会が引き取ったということだけ」
マルセラ、あれは――。
「人間じゃ、なかった…」
ぽつりと呟いたウィルを、パティアが口をとがらせて恨めしそうに見た。
「私も見たかったのに!」
シリルは彼女のことを、魔族と呼んだ。
魔族などというものは、おとぎ話か伝承でしか聞いたことがない。少なくとも、ウィルはこれまでの人生で、一度もそのような存在と関わったことはなかった。
こっちは命がけだったんだと言いかけた言葉を、ウィルは呑み込んだ。
「まあ、いいわ」と、パティアが続ける。「半年前、シスターマルセラは別の街の教会から、パール・シティに派遣された。新人の教育係という名目でね」
炊事場の方から、香ばしい匂いが漂ってきた。断続的に金属の音も聞こえてくる。
「私は、ね――」
パティアの目が輝いた気がした。
「王国の皆を守る責任があるの。ウィルもでしょ。そう思わない?」
言いながら、彼女が身を乗りだす。
「行きましょう。彼女がいた街。――ベルフェルに」




