第二章 1:街道を行く二人の影
内湾に突き出た半島に領土を擁する、マリオール王国。
その王都パール・シティから離れた街道に、二人の姿はあった。
黒い短髪の、長身の男性。腰には長い剣を吊るしている。
その後ろには、黒いマントを纏い、黒いフードを目深に被った女性。フードの隙間から、幾すじかの銀色の髪が垂れていた。しかし、その足取りはややおぼつかない。
日差しは高い。
二人は行商隊の後を追うように、街道を南に進む。
街道とはいえ、街から離れるほど危険は多い。
貨幣や貴重品を大量に積んだ行商隊は、野盗にとって格好の獲物だ。そのため行商隊自体が、自衛のために武装していることが多い。二人が追う行商隊も、そういった武装隊商のひとつだった。
フードの女性が、ふらりとよろける。一瞬だけ、意識を失ってしまったようだ。
気がついた時には、彼女は黒髪の男性に抱きかかえられていた。
「――ルナ、…大丈夫か?」
黒髪の男性が、顔を覗き込む。
ルナと呼ばれた女性は、わずかに顔を赤くして、彼の胸板を押し返した。
「…大丈夫よ、シュタ。ちょっとめまいがしただけだから」
「そうか? 今日は日差しが強いから、あまり無理するなよ」
「だから、大丈夫だって!」と、ルナは彼を突き放して、脚を踏ん張る。
正直にいって、陽光が苦手だ。それは相方の、シュタインも知っている。どうして苦手なのか、それは彼女の素性を理解すれば当然のことだ。
ルナは人間の母親と、ヴァンパイアの父親をもつ、ヴァンパイア・ハーフだ。
もう少し太陽がその勢力を落としてからの旅路にしたかったが、そうもいっていられない。次の目的地であるベルフェルまで、まだ遠い。
足を引っ張りたくはない。いや、足を引っ張るわけにはいかない。ルナはぼんやりとしてくる頭を、必死に叩き起こした。
「日除けの魔法とか、ないわけ?」
前を歩くルナに、シュタインがのんきに声をかける。
「そんな都合のいいものあるわけないでしょ」
ため息混じりに応えると、ルナは街道の先を眺めた。
行商隊がだんだんと遠ざかって行く。十数台の馬車とその護衛からなる、大きな隊商だ。
乗せて行ってくれないかな――と、ルナはぼんやりと考えた。
辺境の村、メルヴェでの事件が切っ掛けだった。
村人が忽然と姿を消したという噂。
とある筋から調査を依頼されたシュタインとルナの二人は、そこで住民たちが、異様な怪物と成り果てた凄惨な現場を目撃する。
調査の結果、それが、二人が追うある組織の仕業だと判明した。
「新世界」を名乗る新興宗教だ。
表向きは夜と静寂を司る神、ネレイラを祀る宗教だが、裏の顔がある。
――そういうふうに、ルナは、シュタインから聞かされた。
どこから依頼を受けて、どうやって情報を仕入れているのか。ルナの目から見ても、この黒髪の男性には謎が多い。
しばらくして、日が遠くの山の影に隠れ始めた頃。宿場町、モルデに着いた。
小さな町だが、王都に近いこともあって、商人たちや旅人らしき人々の姿が多く見える。
安宿を何件かまわって、ようやく空いている宿を見つけることができた。野営だけは避けたいルナはほっとした。
宿屋近くの酒場に入り、遅めの夕食を取る。
店内は賑やかで、すっかり出来上がっている男たちの騒ぎで溢れていた。
二人は隅っこの席に座り、幾つかの料理とアルコールを注文する。
給仕が運んできた葡萄酒を一口だけ舐めると、ルナは眉をしかめた。
「慣れないのよね、これ」
「そうか? 旨いけどなあ」
シュタインがグラスの中身を一気呑みする。
パンと肉料理が運ばれてきた。香草のいい香りがする。
「そう言えば――」と、肉を頬張りながらシュタインが聞いた。「幾つだっけ?」
葡萄酒を舐めて、再び眉間にしわを寄せながら、ルナが聞き返す。
「幾つ?」
「年齢だよ、ルナの」
「十五」
「へー。十五か」と葡萄酒を口に含んで、思いっきりむせる。
「お前、まだ十五なのかよ」
「そうよ」と、スープにパンを浸して口に放り込んだ。
テーブルに置かれた角灯のオレンジ色の灯が、ルナの白い肌を艶っぽく染める。
端が少し吊り上がった大きな目。色素の薄い瞳。銀色の髪から覗く整った輪郭の上に、尖った小さな鼻が乗っている。その落ち着いた雰囲気も相まって、大人びた顔立ちといえる。
若い女性が珍しいのか、ちらちらと店内の視線を向けられる。それを、ルナはいっさい気にした素振りも見せずに、こんがりと焼かれたひとかけの肉片を口へ運んだ。
「んー。美味しい」
故郷の母親もかなり料理上手だったが、この酒場の料理もなかなかのものだ。特にこの羊肉の香草パン粉焼きは格別だ。
遠くの席から、男の怒鳴り声が響く。そしてそれに別の男が、大声で応対する。
ガシャン、と何かが倒れる音。
「…お。ケンカか」
シュタインが音のした方向をちらりと見た。
まったく意にも介さない様子で、ルナは三度、ぶどう酒を口に含む。
そしてこくりと呑み込んだ。
喉の奥に嫌な痺れを感じる。背中から這い上がってきたその感覚が、ぶるりと肩を震わせた。
やはりまだ慣れることができそうにない。
諦めて、ルナは葡萄ジュースを頼むことにした。




