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BLOOD STORY  作者: 初、
12/25

第一章 12:聖堂地下に潜むもの

 リュカの手のひらの上の光球が、わずかに周囲を照らし出す。

 開いた床板の先、地下へと通ずる階段を降りる。石造りの階段は細く、苔のような湿り気を帯びていた。

 階段を一歩、また一歩と降りるごとに、じめっとした冷たい空気が肌にまとわりつく。

 まるで異界へと迷い込んだかのような錯覚すら覚える。ウィルは思わず身震いした。

 不意に、階段が終わる。リュカが手を伸ばして光球で照らすと、通路が先へと続いているのが見えた。

 通路を、さらに進む。

 しばらくすると、木製の扉が行く手を塞いだ。

 シリルが扉を押す。鍵は掛かっていない。

 キィ、と湿った音を立てながら扉が開いた。正面から風が流れてきた。

 そこは巨大な空間だった。

「ここは…?」と、ウィルが思わず漏らす。

 教会の地下に、こんな空間があるとはまったく想像だにしていなかった。

「地下墓地の跡のようですね。さらに掘り拡げたのでしょう」

 シリルの吐く息がわずかに白い。

 自らの体を抱きかかえるようにして、リュカが震える。光球が消えて、周囲が闇に染まった。

 空間の先に、明かりが見えた。三人から遠いところで、灯が点されている。

 暗闇の中、ゆっくりと明かりの方へと向かう。

 足音を立てないように気をつけていても、乾いた音がコツコツと空間に響いて反響する。

 ふと、声がするのに気付いた。明かりの方向だ。

 空間の端から、細い通路が延びていた。明かりはその先からだった。

「――どうしてこんなことを!」

 通路の先から聞こえてきた声は、女性のものだった。

 そのほかにも、複数の人の気配がある。

 三人は息を潜めて通路を進み、明かりの漏れる場所をそっと覗き込んだ。

 そこは地下牢のような空間だった。鉄格子が嵌った小部屋がいくつも並んでいる。

 壁に掛けられた燭台には火が灯っており、隙間風のせいか、炎がわずかに揺れていた。

 鉄格子の向こう側には、五、六人の修道女たちが後ろ手に縛られ、壁際に寄り添うようにして座り込んでいる。

 格子の前には、三人の修道女たちの姿があった。

 燭台の炎が揺れるたびに、格子と彼女たちの影が、縛られている修道女たちに重なって不気味に揺らめく。

 三人のうち、最年長と思われる修道女が、傍の修道女から小さなナイフを受け取った。

「足りないのよ。あれを取り返すための、兵士が。急がなければ、あの御方に見捨てられてしまう」

 独り言のような声だった。

 彼女は持っていたガラスの瓶に、ナイフの刃先をそっと浸した。

 瓶の中には、どろりとした液体で中ほどまで溜まっている。その色は、腐った血液のようにどす黒い。

「マルセラ様!」

 牢の中から、ひとりの修道女が声を振り絞る。

「どうか…、どうか正気にお戻りください…!」

 その目は、恐怖で涙ぐんでいた。

「正気?」と、マルセラはせせら笑う。

「私は、正気よ。新しい秩序のためなの」

 恍惚とした表情で言いながら、傍の修道女に牢の鍵を開けさせる。

 刃先がどす黒い液体で染まったナイフを手に、マルセラが腰を屈めて牢の中に入ろうとした、その時。

「やめるんだ!」

 ウィルが叫ぶ。

 そんな彼の服の裾を引っ張って、後ろからリュカが必死に引き留めている。

 しかし、小柄なリュカを引きずるようにして、ウィルはさらに一歩、前に踏み出した。

 その背後から、あきれたような息を一つ吐いて、シリルも姿を現す。

 侍女の格好をしたシリルを見て、マルセラの目が大きく見開かれた。

 次の瞬間には、忌々しそうな視線に変える。

「お前は――」

「そこまでにしなさい」

 言葉を遮って、シリルが冷たく言い放つ。

「あなたが黒幕だったわけですね、…マルセラ」

 キィィィ――。

 耳をつんざく咆哮をあげて、マルセラの傍らの修道女が跳びかかってきた。

 シリルが素早く前に出る。

 大きく踏み込んで容赦なく振るった斬撃が、一刀のもとに修道女の首を斬り落とす。

 転がった頭を見て、牢の中の修道女たちが悲鳴をあげた。

「無駄ですよ。観念なさい」

 シリルが剣先を、真っすぐにマルセラに向ける。

 にやりと、マルセラが邪悪な笑みを浮かべた。

「王国の犬め。無駄か、どうか――」

 マルセラは口を大きく開き、舌をだらりと突き出す。

 そして、持っていたナイフの刃先を舐めるように、舌先を切り裂いた。

 自身の血と、刃に塗られたどす黒い液体が混ざり合う。

 ドクンッ。

 マルセラの鼓動が、周囲にまで響くように、重たく膨れ上がる。

 眼球が裏返り、血管が浮き出た白目で、シリルを睨みつけた。

 オォォォ――。

 獣の遠吠えのような咆哮。牙を剥き、マルセラが突進する。

 シリルは剣を一度引き、脇構えへと姿勢を整える。

 短く息を吐いて、迎え撃つように踏み込んだ。

 両者が交差する、その瞬間。

 一閃。シリルが振るった太刀筋が、マルセラの首筋を正確に振り抜いた――。

 誰もが、そう思った。

 ガキンッ。

 金属がぶつかり合うような音。

 信じがたい光景だった。

 シリルの斬撃を、マルセラは左の前腕だけで受け止めていた。

 驚愕に目を見開いたシリルの頬を、マルセラの拳が殴りつける。

 シリルの体が吹き飛び、背後の鉄格子に激しく叩きつけられた。

「シリル様!」

 駆け寄ろうとしたリュカに、マルセラが跳びかかる。

 無防備なリュカに、それを避ける術はなかった。

 ガキンッ。

 伸ばされたマルセラの腕を、間に割って入ったウィルの剣が受ける。

 刃を滑らすようにして、剣先をマルセラの顔面に向けた。

 すんでのところで顔を反らして、マルセラが躱す。

 ザッ、と切っ先がその頬を切り裂いた。

「くッ――」

 マルセラが後ろに跳び退いて、ウィルたちから距離をとった。

 ウィルが後ろの二人を庇って立ち、剣を中段に構えた。

 シリルが自らの剣を杖代わりにして、立ち上がろうとする。ペッと血の塊を吐き出した。

「シリル様は、修道女たちを頼みます」

 マルセラを睨みつけたままで、ウィルが言う。

「おれが、倒します」

「――舐めるな! 小僧!」

 間髪入れずに、マルセラが叫んだ。

 振り上げた左腕が、どす黒く変色した。肉が盛り上がり、服が裂けて何倍にも膨れ上がる。

 両方の肩甲骨が盛り上がり、修道服を突き破って蝙蝠のような漆黒の羽が飛び出した。

 コォォォ――。口を大きく開けて、何かを叫ぶ。

 その衝撃波が、部屋中を震わせた。

 顔はまだマルセラの面影を十分に残してはいるが、裂けた口からは何本もの牙が見える。

「人間、じゃない…」

 呟いたウィルの背中に、シリルが声を震わせながら言った。

「――魔族だ」

 マルセラが地面すれすれを飛ぶようにして襲ってきた。

 振るわれた巨大な左腕を、ウィルが避けようとして、二人がまだ自分の後ろにいることを思い出す。

 避けるために半身にした体を、肩をぶつけるようにして勢いよく体当たりする。

 マルセラの突進の方向がわずかにずれて、壁に突っ込む。衝撃で壁が大きくめり込んだ。

 ウィルも体当たりの反動で、反対側に弾き飛ばされた。

 何度か転がって、ようやく床に仰向けに倒れる。

「ぅッ…」

 呻きながら、すぐに立ち上がった。

 ここで戦うのは駄目だ。

 めり込んだ壁から首を捻って血走った白目で睨むマルセラに、ウィルは剣を構えて駆けだした。

 マルセラが低く唸って、壁を蹴る。

 掴みかかろうと伸ばされた左腕を紙一重で躱して、背中の羽を斬り裂く。

 絶叫が響いた。

 斬れないわけじゃない。ウィルは自分を追ってくるマルセラを誘導するように、通路に入る。

 そのまま短い通路を抜けて、広間に出た。

 辺りは真っ暗だ。だが、こっちの方が戦いやすい。

 ウィルが振り返ろうとした瞬間、周囲がぽっと明るくなった。

 リュカが放った光球が、空間を淡く照らし出していた。

 マルセラが彼女に気付いて、にやりと笑う。

「――馬鹿め。のこのこと」

 踵を返して、目標をリュカに変える。

「危ないッ!」

 ウィルが振り向いて駆け寄ろうとするが、間に合わない。

 迫り来るマルセラを見据えて、リュカが笑みを浮かべた。

 口早に詠唱する。

「私も――」と、両手を前に突き出した。

「ここでなら、全力で戦えます」

 ――ガンッ!

 見えない壁が、マルセラの突撃を止めた。シリルの足元が半円状に削れている。

 グワォォォ――!

 マルセラが叫んだ。その背中から、どす黒い体液が飛び散る。

「忘れるな、おまえの相手はおれだ!」

 ウィルが剣を突き立てた。

 振り向こうとしたマルセラを、劫火が包み込む。

 慌ててウィルが剣を引き抜いて、跳び退いた。

「…熱ッ」

 焦げた自身の前髪を摘まむ。

「おれもいるんだから、少しは手加減を…」

 リュカが不敵に笑う。

「これでも手加減してあげてますよー」

 マルセラが左腕を振るった。炎が飛び散って消える。

「おのれッ――」

 巨大な左腕を振りかざして、ウィルに飛びかかる。

 ガキンッ。

 剣でそれを受け止めるが、そのままウィルの体が吹き飛ばされた。

 再び、リュカが早口で詠唱を紡ぐ。

 蛇のように猛火が空中を舞い、マルセラを包んだ。

 甲高い絶叫が、周囲を震わせる。

 ウィルが立ち上がりながら、烈火に燃えるマルセラを睨んだ。

「そうか、左腕か」

 駆け出す。

 炎の中で、マルセラの視線がウィルを見た。

 左腕を、ゆっくりと振り上げる。その瞬間、ウィルは高く跳び上がった。

 そして下降の勢いを付けて、剣を力の限り振り下ろす。

 振り下ろされた剣は、マルセラの首の付け根を斬り付け、そのまま左胸を大きく斬り裂いた。

 ぼとりと、斬り落とされた左腕が落ちた。

 どす黒い体液が噴き出す。

 グアァァァ――。

 マルセラが傷口を押さえて叫ぶ。

「――終わりだ」

 止めを刺そうと、ウィルが踏み込もうとした。

 その時だった。

「…惨めなものね、マルセラ」

 氷のように冷たい声が、空間に響いた。

 漆黒のマントに身を包んだ、女性と思しき姿がそこにあった。

 同じ色のフードを目深に被り、わずかに覗く整った顎は白い。フードの脇から、銀色の細い髪が垂れていた。

 マルセラの目に、灰色の瞳が戻る。怯えているように揺らいだ。

「当代様…」

 突然のあらたな人物の登場に、ウィルもリュカも動けずにいた。

「あなたに任せたのが、私の間違いでしたね」

 フードの女性が冷たく言い放つ。

「わ、私はただ――」

 情けない声で弁解しようとするマルセラを一瞥すると、フードの女性が腕を上げて手のひらを天井に向ける。

 青白い光球が放たれ、天井の一部を破壊した。

 爆発音とともに降り注ぐ大量の土砂。

「危ないッ!」

 咄嗟に駆け出したウィルが、リュカを押し倒して落ちてきた岩盤から彼女を守る。

 激しい音がこだまし、粉塵で視界が隠された。

 ウィルの胸の内側で、リュカが短く呼吸を繰り返す。その小柄な体から、小動物のような激しい鼓動を感じた。

 しばらくして、辺りが静まり、視界をようやく取り戻した。

 ウィルが顔を上げて、周囲を見回す。

 手負のマルセラの姿も、フードの女性の姿も、すでにそこにはなかった。

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