第一章 11:聖堂に潜むもの
すっかりと日は暮れて、王都に夜のとばりが降りはじめた。
普段は日付けが変わる頃まで酔っ払いたちで賑やかな繁華街も、今日は人影ひとつ見えない。明かりもすべて消されていた。
王都全体に、戒厳令が敷かれた。
真っ暗に閉ざされた街の、北西部。この一帯だけ、異様な物々しさを放っていた。
無数の松明が並ぶ。教会を兵士たちが取り囲んでいた。猫一匹、通り抜ける隙も無い。
兵士たちに、重装備の近衛騎士が指示を飛ばす。
教会の正門の前には、シリルとリュカ、そしてウィルの姿があった。
シリルが、松明の灯でおぼろげに照らされる教会を見つめながら言う。
「突撃するのは、この三人にします。大人数で突撃しても、こちらの被害が増えるだけでしょうから」
そして、ウィルの方を振り向く。
「わかっているとは思いますが、決してバラバラにならないよう。まとまって動きます」
その言葉に、ウィルが頷く。
動きづらいからと、ウィルは装備の提供を断った。父親から借り受けた剣の柄を、そっと撫でる。
「セラフィヌス、…シリル様は、その」
ウィルはわずかに言い淀んで、おそるおそる言葉を続けた。
「シリル様は、その格好で行くんですか…?」
「シリル、でいいですよ。ウィル」と、侍女の服装のままのシリルが答える。「私も、この格好の方が動きやすいので」
にやにやと笑うリュカを、シリルは無視する。
「定刻です。行きますよ」
シリルが宣言して、鉄製の門を押し開けた。
ギィ、と錆びた音を響かせて、教会の門が開く。
教会の中からの反応はない。何人もの修道女が生活しているはずだが、今は誰ひとりの気配も感じられなかった。
扉を押し開けて、礼拝堂に入る。
燭台にも明かりが灯されていない。窓から差し込む月明かりで、ようやくおぼろげに様子がうかがい知れる程度だ。
だが、ウィルは気配を感じた。何かがいる。
リュカが早口で詠唱する。彼女の手のひらで、ボッと光球が生まれた。
それをふわりと天井付近に放り投げる。
教会の内部が、柔らかな光で照らされた。
「――っ」と、不意にくぐもった悲鳴があがる。
振り向いたウィルの視線の先には、修道女の姿があった。
眩しそうに目を覆いながら、こちらを恨みのこもった視線で睨みつける。
「どうやら、すでに囲まれているようね」
ウィルが慌てて周りを見る。
シリルの言葉どおり、すでに四方を修道女たちに取り囲まれていた。
修道女たちは獣のように唸りながら、じわりじわりと間合いを詰めてくる。
シリルが静かに剣を抜いた。
ウィルが戸惑いながら周囲を見まわしていると、シリルが修道女たちから視線を外さないままで言う。
「彼女らを、人間だと思ってはいけません。アンデッドではなさそうですが、…もう、元の姿には戻れません」
「何者なんですか」
ウィルもようやく剣を抜きながら、問う。
「手紙には、感染せし者とありました。私たちが、動く死体と呼んでいたものです」
シリルがウィルの横を駆け抜けて、一人の修道女との間合いを一気に詰める。
修道女がそれに反応する間を与えず、シリルが振るった剣が一太刀で彼女の首を刎ねた。
切断された断面から、どろりと粘つくどす黒い体液があふれ出す。
頭を失った修道女の体が、どさりと膝から崩れ落ちた。
それが、合図となった。
獣のような咆哮をあげながら、修道女たちがいっせいに襲い掛かってきた。
掴みかかってくる腕を、シリルはあっさりと斬り落とす。そのまま距離を詰めると、また一人、修道女の首を刎ねた。
修道女の突進を、ウィルは身をひねって躱す。
その背中に肩から体当たりして、勢いのまま弾き飛ばした。
人の形をしている者に、剣を振るうのに戸惑いがあった。さらに相手は、武器すら持っていない。
次々と、シリルが修道女たちを仕留める。その剣捌きに迷いはない。
「ためらう必要はありません。葬ってあげるのが――」と、最後の修道女の首を刎ねた。
「彼女らに対する優しさ、…弔いです」
そう言い切ると、シリルが眉間にしわを寄せて唇をきゅっと固く結んだ。
「本当の敵は、彼女らをこんなふうにした、何者か、です」
静まり返った礼拝堂の奥を睨みつける。
「さあ、行きましょう」
祭壇を脇を通り抜けて、三人は裏庭に出た。
下弦の月明かりが、周囲を冷たく照らす。
ほどなく、夜目にも慣れてきたのか、建物や、木々の輪郭がはっきりと浮かび上がってきた。
三人が出てきた教会のほかに、確認できる建物は二つ。修道女たちの宿舎と、シリルたちが昼間に訪れた遺体保管所。
シリルは迷わず、遺体保管所へと歩を進める。
ウィルとリュカも、それに付いて行く。
「今更ですが、」と、先を歩くシリルに、ウィルが問いかける。
「あの手紙には、何が書かれてあったのですか?」
微かに、シリルが振り返る。
「父上から、何も聞いていないのですか」
「…はい」と、ウィルは頷いた。
シリルは建物の前に立つと、極力音をたてないようにゆっくりと扉を押し開けた。
「国境近くのメルヴェという村で、一夜のうちに住民すべてが忽然と姿を消す、という事件がありました」
短い通路を進みながら、シリルが小声で続ける。
「その件で、兄が調査に赴いています。手紙は、その兄からのものです」
シリル――セラフィヌスの兄、レオン・ヴァレンからの手紙。
「調査をはじめた日の夜更けに、兄の一行は何者かの集団に襲われました。これを退け、翌朝、現場を確認すると」
シリルが、石造りの壁や床を調べる。
高い天井の上部付近の、明り取りの窓から、光のカーテンのような月明かりが差し込んでいる。
「変容した、村の住民たちだったことがわかりました」
ウィルは息を呑んだ。
「彼らは、何かに感染していると思われました。狂犬病のような、なんらかの病に。兄たちは、それを、感染せし者と呼んで、現在も引き続き調査中です。そして――」
シリルが、部屋の隅にあるベッドの下を覗き込んだ。
「もう一通、別の手紙が同封されています。…ウィル、ベッドを動かすのを手伝ってもらえませんか」
どす黒く汚れたシーツを被ったベッドを、二人で横にずらす。
ベッドがあった場所にしゃがみ込んで、シリルが指の関節で床をこんこんと叩いた。
何か所か同じように床を叩いていたシリルは、ふと返ってくる音が軽くなる箇所があることに気付いた。
シリルの手が止まる。
「もう一通の手紙の差出人は不明です。しかし、その手紙は、兄の手紙を補足するものでした」
手探りで、シリルが床を調べる。指が床の隙間に引っかかった。
シリルは上体を起こすと、隙間に指を掛けて重たそうに引き上げた。
ズズッ、と床板が開いた。地下へと繋がる通路がそこに現れた。
「病ではありません。人為的な、仕業だと。そしてそれは、この王都にまで迫ってきている」
「こんな仕掛けが…」
ウィルは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「おそらく敵は、この先にいます」
シリルの声も、わずかに緊張しているように聞こえた。




