第一章 10:近衛騎士セラフィヌス・ヴァレン
年配の警備兵に続いて、怒号のする方向にウィルは王城の庭を走る。
建物の角を曲がると、ふっと視界が開けた。
どうやら中庭に出たようだ。
そこは惨劇の現場となっていた。幾つもの兵士の死体が横たわっているのが見えた。中には燃やされたように、黒焦げになっているものもある。
そんな凄惨な光景の中に、疲弊して立っているのがやっとな何人かの兵士の姿、黒いマントに身を包んだ白い髪の少女、そしてこの場所に似つかわしくない、抜き身の剣を握った侍女の姿があった。
白い髪の少女の背後にある建物からも、何人かの兵士と、白衣をまとった高齢の男性が出てくる。
ウィルは、その侍女に見覚えがあった。王都に着いてから、その姿を何度か目にしている。
中庭に歩み出たウィルを、侍女が睨む。
返り血を浴びて、真っ赤に汚れたウィルの姿。しかし、侍女――シリルは、それを知らない。
「あ、」と、白い髪の少女が声をあげた。
正確に首筋を狙って振り抜いたシリルの斬撃を、ウィルは剣で受ける。
キンッ、と激しい金属音が響いた。続けて、シリルは素早く剣を引くと身を回転させて、後ろ薙ぎに反対側の首筋を狙う。
咄嗟にウィルは剣を捨てて、踏み込む。
腕をシリルの首に回して、彼女を背後から羽交い絞めにした。
思わず、シリルが剣を取り落とした。その表情が驚愕に歪む。
「は、放せっ」
シリルが必死にもがくが、抜け出せない。
「ち、ちょっと落ち着いてください!」と、ウィルが慌てる。「おれは敵じゃありません!」
「シリル様、違いますよー」と、間延びした口調で、呼びかけるように白い髪の少女が言う。
腕の中でもがき続けるシリルを、ウィルは必死で抑える。
「そ、そうですよ。おれはただ手紙を――」
目的を思い出して、ウィルが続けた。
「手紙を、届けに来ただけなんです。ヴァレン、…セラフィヌス・ヴァレンさんに」
シリルが叫ぶ。
「セラフィヌス・ヴァレンは、私だ!」
ウィルが驚きのあまり、目を丸くする。
緩めた腕からシリルは強引に抜け出すと、乱れた服の胸元を正した。
ウィルに向かって、さっと手を差し出す。その表情は悔しそうに歪んでいる。
「ほら、私に渡す手紙があるんだろ!」
ウィルが逡巡していると、後ろから年配の警備兵の声がかかった。
「ウィル。その方が、近衛騎士団副長の、セラフィヌス様で間違いない」
ウィルがさらに目を丸くした。
近衛騎士、それも副長が、どうして侍女の格好をしているのか。その疑問を、ウィルは口に出すことはできなかった。
「も、申し訳…」と、ウィルが腰の革製の鞄から取り出した手紙を、シリルがひったくるように奪った。
「それにしても」と、年配の警備兵がウィルの肩に手を置いた。「シリル様を、まるで子供のように。さすがは、オルヴァン・フェルナーの息子、というわけか」
シリルの手が止まる。
「オルヴァン、…オルヴァン・フェルナーと言ったか」
「はい」と、ウィルは頷いた。「おれ、…いや、私は、ウィル・フェルナーといいます」
シリルがさっと身を正す。
直立してウィルを見ると、深々とお辞儀をした。
「これは、失礼をしました。私は、セラフィヌス・ヴァレン。皆からは、シリルと愛称で呼ばれています」
「へー」と、白い髪の少女――リュカがウィルの正面に立つ。
リュカは、ウィルを頭から足の先までを眺めると、可愛らしい笑みで手を差し出した。
「私は、宮廷魔術師のリュカ・アルセーヌ。よろしくね」
ウィルがその手を握ると、リュカは嬉しそうに腕をぶんぶんと振った。
封蝋を切って手紙を読んでいたシリルが、視線を上げた。
「知らぬ間に、…ここまでも、か」
そして、近くにいた兵士に叫ぶ。
「王城にいるすべての近衛騎士を集めて。それと、この手紙を、アレクシス第一王子に届けなさい」
それから矢継ぎ早に幾つも指示を下した。
「はっ」と、兵士が短く返事をして、駆け出して行く。
シリルはあらたまって正面を向くと、ウィルの前に立った。
「ウィル殿に、お願い申し上げます。我々と、一緒に来てはいただけませんか」
すっと息を吸って、続ける。
「王国の、危機です」
ウィルは大きく頷いた。




