第12話 昨夜はお楽しみでしたね
「…くん。た…とくん。拓人くん!」
「んっ?」
「もう、こんな格好で寝てたら風邪引くよ。」
誰かの声がする。
その声につられるように、俺は零れ落ちそうになる意識を何とかかき集め、鉛のようにずっしりと重い瞼をひらく。
すると、真っ先に目に入ったのは家にいない見慣れない黒髪ロング。
「天音さん?どうしてここに?」
「なに?寝ぼけてるの?ほら、もう朝だよ。」
「んっ!」
窓から降り注ぐ光を浴びて反射的に身体を起こす。
「眩しい…。」
ボーッとした頭でなんとか目の前の出来事の把握を試みる。
(そういえば、料理の特訓兼新しい映画の役作りのために一昨日から一緒に住むことになったんだっけ。…けど、なんでリビングなんかで寝てるんだ?)
頭の上に疑問符がついた俺の目に壁一面の大きなプロジェクターが目に入ってきた。
「あっ。」
そのプロジェクターには、ナットフリックスの文字が写し出されており、その下、あなたへのおすすめには、天音さんの出演している映画のバナーがズラリと並んでいた。
その画面を見て、俺は昨日あったことを思い出す。
確か昨日は天音さんの歓迎会をやったはずだ…。
そうだ。、本当は、一昨日の同居初日にやるはずだったが、バタバタして出来なかったんだよな。
えっと、確かあの日は、歓迎会のために作ったオードブル料理を一緒に食べて、食後のデザートにフルーツの盛り合わせを食べた後、みんなで映画を観ることになったんだ…。
最初は各々のおすすめの映画を観たんだけど、ツカサ姉が天音さんの出演作を見たいって言い出して、そこから、天音さんの作品鑑賞会が始まったんだ。」
視界の端でモゾモゾと動いているのが見える。
そちらに目を向けるとタオルケットに包まれたモゾモゾと動く物体が見える。
タオルケットの隙間から見える瑠璃色の髪からその正体が、ツカサ姉だと確信する。
そのとなりにはもう一枚畳まれたタオルケット。
どうやら全員、映画を見ている途中でリビングで寝てしまったみたいだな。
ん?待てよ。
同居を始めた一昨日が土曜日で、歓迎会をした昨日は日曜日。
その翌日つまり、今日は月曜日。
学校がある日だ。
外は、太陽がかなり空高く昇っていて外はかなり明るい。
背中をすーっと冷たい感じのものが通り抜けた。
嫌な予感がする。
「あの…天音さん今って、何時ですか!?」
「ん?7時だけど?」
慌てて、時計を確認するが、短針ははっきりと文字盤の7を指していた。
「完全に寝坊じゃないか!まだ、弁当も作ってないし、急いで作らないと。ほら、ツカサ姉も、早く起きて。」
慌てて肩を揺らして起こそうとするが、ツカサ姉は、びくともしない。
「ツカサねえっ起きないと、遅刻するよ!!」
「うるさいっ!」
「ごはっ!」
拳が飛んできた次の瞬間に、顔に衝撃が走ると、俺の視界は、真っ赤に色づいていた。
「そういえば、ツカサ姉の寝起きが悪いこと忘れてた。」
顔にジンジンと痛みがあるが時間もないため、とりあえず立ち上がり、急いで弁当を作る。
「なんとか間に合った。はい。弁当。」
余り物と、豚しゃぶサラダや、卵焼きなどの簡単なものを急いで作り、弁当はなんとか30分で完成した。
「ん。」
「拓人くん。ありがとー。…顔大丈夫そ?」
「ははっ。大丈夫。平気ですよ。」
とは言ったものの、口の中はまだ少し切れていてほんのり、血の味がする。
何てことを考えながらエプロンを脱ぎ、急いで身支度を済ませた。
「それじゃあ、時間もないんで俺、そろそろ行きますね。二人は今日、仕事ですか?」
「うん!私は9時から、映画の撮影なの。確かツカサちゃんは、モデルの撮影だったよね、何時から?」
「…10時からよ。」
「そんなに遅い時間に始まるなら1時間目だけでも受けたら?ツカサ姉、出席日数かなりヤバいでしょ。」
「今日の撮影場所、都内から少し遠いのよ。ていうか私が学校に行こうが行かなかろうがあんたに関係ないでしょ。ていうかあんたこそ早く学校行ったら?遅刻するよ!」
「はいはい。言われなくても、行きますよ。」
心配しただけなのに。なんで、俺の方が怒られてるのだろうか。
天音さんとのやり取りを見て思ったが、ツカサ姉は、俺にだけやたら厳しい。
俺と天音さんがたとえ同じことをしても態度は、全然違うだろう。
(料理を褒めてくれたから、少しは仲良くなれたと思ったんだが…。やっぱり嫌われてるようだ。)
「…あっ!そうだ。天音さんこれ。」
「ノート?」
「これに毎日、食べたもの書いてください。これを見て次の日の食事を決めるので。…くれぐれも食べ過ぎないでくださいね。」
「…拓人くん。私のこと食いしん坊だと思ってるでしょ。私だって少しくらい我慢できるんだからね。」
「まさか、そんなこと思ってませんよ。」
「本当に?」
「もちろん。ただその日の食べたものによって栄養バランスを調整しないといけないので、書いてほしいんですよ。」
「…わかった。ちゃんと書く。」
まあ、多少はそんな節があるとは思わないでもないが。
そんなことをここで言ったら不機嫌になるのは明白だってことを俺は先の一件で学んだ。
女性に対してのデリカシーのない発言はその後の機嫌を取るのが解決するのが大変なのは目に見えているので決して口には出してはいけないのだ。
「それじゃあ、行ってきます。」
「気をつけてねー。」
笑顔で手を振る天音さんの姿はなんとも愛くるしくて癒される。
あの笑顔を見ただけで今日も1日頑張れそうだ。
俺は自分の心にじんわりとした暖まりを感じながら、ペダルを回して、自転車をこぎだした。