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魔女に喝采を、咎人に願いを、望まれぬ貴女に永劫を。  作者: 采火


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9/16

「人間風に言うなら大暴走《スタンピード》かしら」

 レイチェルは空から落ちた。

 角持ちの鷲と一緒に空中散歩を楽しんでいたけれど、懐かしい気配を感じて真っ直ぐに落下。ガンドルフの眼の前でクレーターを作りながら着地をすると、土埃の中で笑顔を浮かべた。


「また来てくれたのね、嬉しいわ!」


 ガンドルフの腰が引けている。警戒の色が強くて、レイチェルは首を傾げた。


「あら? あらあら、怯えているの? どうして? 私、あなたにひどいことなんてしないわ」

「どの口が言うのか」


 苦虫を噛み潰したように言うガンドルフは、心底レイチェルと会いたくなさそうだった。むしろ会ってしまったのが不運とすら思っていそう。


 レイチェルは悲しくてじんわりと涙がこみ上げてくる。待っていたのに。レイチェルはずっと母が帰ってくるのを待っていたのに。どうしてそんな顔をされないといけないの。


 虹色の瞳にこんもりと水が溜まって、レイチェルはだんだんと地団駄を踏んだ。紫の茨がレイチェルの感情に合わせるかのように、彼女の背後でびたんびたんとしなって土煙をあげる。


「ひどい! お母さんったらひどい!」

「わぁあああ! 待て! 暴れるな! よし、チョコレートをやろう。ほぅら、口を開けろ」

「ちょこれーと?」


 知らない名前にレイチェルはきょとんとする。

 ガンドルフが背負っていた背嚢から小さな箱を取り出した。


 箱を開ければ可愛らしい紙に包まれた茶色の粒が現れる。ガンドルフがそれをつまんで、地団駄をやめたレイチェルの口の中に放り込んだ。


 反射的に口を閉じたレイチェルの舌に、今まで味わったことのない甘さが広がる。飴とも蜜とも砂糖とも違う。少し苦みもあるのに、その苦みすら甘く感じる。


 初めて味わうコクのある甘さに、レイチェルの虹色の瞳がこの千年で一番明るく燦めいた。


「っ、ま、ぁあああ! すごいわ! すごいわ! とっても甘くて美味しいの!」


 ぴょんぴょこ跳ねるだけじゃ飽き足らず、レイチェルは翼も広げて空を踊るように飛び回る。ガンドルフが地上でほっとしたように胸を撫で下ろしていた。


「そりゃ良かった」

「ねぇねぇ、まだ持っているの? まだ持っているの?」


 レイチェルはすすす、と降りてきてガンドルフの眼の前でホバリングする。箱の中を覗き込もうとすれば、ガンドルフが箱に蓋をしてしまった。


 ガンドルフはチョコレートの入った箱をレイチェルから遠ざけるように持つ。


「チョコレートはまだある。だがこれはご褒美だ」

「ご褒美?」


 レイチェルの視線がガンドルフの持つチョコレートの箱を追う。


 チョコレートが欲しい。チョコレートが食べられるならなんだってしようとレイチェルは決意した。そんなレイチェルに、ガンドルフが提示した条件は。


「話をしよう。俺の質問に一個答えたら、一個くれてやる」


 レイチェルは目を瞬く。

 首をこてんと傾げて、ふよふよと宙に浮く。


「お母さんの質問に、私が答えられることなんてあるかしら」

「分からなかったら分からないでいい。やるか?」


 分からなくても良いのなら、やってみて損はない。

 とにかくレイチェルはあのチョコレートが食べたかった。食べたいから、ガンドルフの提示した条件に元気よく返事する。


「いいわよ!」

「じゃあ、立ち話もなんだし……」


 ガンドルフが場所を変えようと言ったので、レイチェルはそのまま彼にタックルをかました。がっしりとガンドルフの腹に腕を回す。レイチェルの笑顔は変わらない。


「それなら近くに素敵な場所があるのよ!」

「またかよぉおおお!」


 レイチェルはガンドルフを肩に担ぐと空高く飛んだ。目指すのはお気に入りの川辺だ。天気がいいので、川面がきらきらと燦めいてきっと気持ちいい。


 あっという間に目的地に着くと、レイチェルは河原の石ころの上にガンドルフを落とす。ガンドルフは受け身を取りながら石の上に転がってぼやいた。


世界最古の竜種エンシェント・ドラグーンと分かっていても、三十路近い俺が運ばれるのはなんだか大切なものがごりごり削られていく気分だ……」

「何か言った?」

「いや、なんでも」


 レイチェルはしゃがんで、河原で伸びているガンドルフの顔を覗き込む。ガンドルフが頭を振りながら上体を起こした。


「で、ここは」

「私のお気に入りよ!」


 レイチェルが両手を広げる。

 風が吹いて、彼女の長い黒髪が空に舞い上がる。川の中からは色彩豊かな魚が高く跳ねて、レイチェルとガンドルフを歓迎した。


 レイチェルはにこにこと笑ってガンドルフの手を引いた。楽しい気持ちを包み隠さず河原を歩く。手を引いて彼と歩けることがすごく嬉しい。


「……嬉しそうだな」

「だって嬉しいもの! お母さんと手を繋いで歩いているのよ? それだけで楽しいわ!」


 レイチェルはガンドルフの手を引っ張って、踊るように小石の上を跳ねた。


 赤、青、黄。

 河原に転がっている灰色の石に紛れて、絵の具の顔料そのままのような色合いの石がある。レイチェルは色付き石だけを踏むようにステップを踏んで歩く。るんるんと歩いていたら、ふとガンドルフの足が止まって、前へ進めなくなった。


 レイチェルは不思議に思って振り返る。彼はレイチェルの足元を凝視していた。


「これは全部、魔鉱石なのか……!?」


 レイチェルは首を傾げる。

 ガンドルフは気がついていなかったのかしら。


 河原の石に混じっている色付きの石は、レイチェルが魔獣たちと同じように無機物にも生命の力を注いだ成果物だ。色によって様々な属性が付加されるその石を、人間たちは魔鉱石と呼ぶ。


 この河原には、レイチェルが気まぐれに生命の力を注いだ石が山ほど転がっている。レイチェルはくすくす笑いながら、立ち止まるガンドルフの腕を引っ張った。


「そうよ、これは全部魔鉱石。欲しかったら持っていくといいわ。で、ここが特等席!」


 ガンドルフの腕を引っ張って、レイチェルは跳躍する。河原にどっしりと構えられた大岩はレイチェルのお気に入りだ。その大岩の天辺まで一足で跳び上がる。


 ガンドルフはさすが騎士らしく、レイチェルの跳躍に危なげなく付いていった。引っ張られるのに任せて体重を預け、レイチェルのエスコートで大岩の上に立つ。


 その表情がぴしりと固まった。


「……待て。これは銀鉱石か? こんな大きなものが存在して良いのか……!?」


 レイチェルはくすくすと笑う。

 こんな程度で驚くガンドルフがあんまりにも滑稽で愛おしい。


「すごいでしょう? すごいでしょう? ここに座るとね、頭がスッキリするのよ。大地からの接続を切ってくれるから」

「大地からの接続? 前にもそんなことを言っていたな……」

「正確には大地の血管だけれど。土よりももっと深い所にあって、根っこのように世界中に這っているの」


 レイチェルは大岩の上で目を閉じる。

 人間が銀鉱石と呼ぶ石は大地に流れる生命の力を阻害することができる。常に大地と接続しているレイチェルはその強すぎる影響に疲れると、ここに来てすべてをリセットする。この石は千年の間、世界の奔流に呑み込まれそうになるレイチェルの癒やしの砦になってくれた。


 銀鉱石の大岩の上でレイチェルが大きく伸びをすると、ガンドルフがその場に腰を下ろしながら見上げてきた。


「その大地の血管は具体的に何をするものなんだ。その力で竜が生まれたんだろう?」

「そうねぇ。魔女たちは大地の血管のことを『辰星の予言書(エトワール)』と呼んでいた。すべての生命は辰星の予言書(エトワール)によって誕生と進化をもたらされる。だから魔女は大地から竜という生命を生み出すことができたのよ」

「……すまない、分からない。どうして竜を生むことができたんだ」


 レイチェルは瞼を閉じたまま、くすくす笑う。昔、それこそレイチェルが竜になったばかりの頃。同じ質問をアマンダに聞いたから。


 あの時、アマンダはこうやって答えた。


「魔女たちはね、辰星の予言書(エトワール)を読むことができるのよ。私たち竜種は大地の血管を純粋な生命の力でしか感じ取れないけれど、魔女たちは文字通り予言書として辰星の予言書(エトワール)を解読できたの」

「解読?」

「そうね、たとえば……あの魚」


 レイチェルは川の中の魚を示した。真っ白な魚。夜行性のくせに、今日もお昼に泳いでる。


「橙灯魚って言うんだけれど、あの魚が他の生き物に進化するまでに、どれくらい生命の力を供給すればいいのかが分かる。あの魚に一万年分の生命の力を注ぎ込んだら、鰓呼吸をやめて肺呼吸を初めて、陸で二足歩行しているかもしれないわね?」


 レイチェルの虹色の瞳が燦めいた。瞳の中で光の魚がくるりと泳ぐ。


 ガンドルフに視線を向ければ、彼は愕然としていた。


「まさか魔女たちは、本来なら何万年もかけて生まれただろう竜種を、そうやって生み出したのか……!?」


 レイチェルは笑う。にっこりと笑う。笑ってしゃがんで、ガンドルフに両手のひらを差し出した。


 ガンドルフの目が胡乱なものになる。


「……なんだ、この手は」

「ご褒美をくれる?」


 忘れてないでしょう、とレイチェルは催促する。虹色の瞳でガンドルフの降ろした背嚢を見つめる。その視線に気がついたらしいガンドルフが、背嚢から小さな小箱を取り出した。


「そうだったな。その約束だった」


 ガンドルフが差し出したのは、チョコレート一粒だけ。レイチェルはぷっくりと頬を膨らませる。


「足りないわ! ツケて踏み倒す気!?」

「人聞きの悪い! 大地の血管のことを聞いただけだろう!」

「いいえ! 魔鉱石のこと、大地の血管のこと、大地の血管ができること、竜がどうやって生まれたのかってこと、辰星の予言書(エトワール)の解読のこと! ほら五つ!」

「細分化されるのか!?」


 ガンドルフが渋々とレイチェルの手のひらにチョコレートを追加する。レイチェルは満面笑顔。


「ありがとうお母さん!」

「俺はお母さんじゃない!」


 ガンドルフの否定はものともせず、レイチェルはずいっと彼に顔を寄せると、ぱかりと口を開けた。


「それじゃ、あーん」


 ガンドルフの頬が引き攣った。


「……自分で食べなさい」

「いや! 食べさせて!」


 うるうる。

 レイチェルは虹色の瞳に期待を散らしてガンドルフを見つめた。


 鼻の頭がくっつきそうなほどの距離で、ガンドルフと顔を突き合わせる。レイチェルの八重歯が早くチョコレートをもぐもぐしたくてうずうずしている。


 じっと待っていたら、ガンドルフは諦めたようにレイチェルにチョコレートをあーんしてくれた。レイチェルはチョコレートを五つも食べられて大満足。


 口の中に蕩ける甘さを堪能して、ぺろりと唇を舐める。ご機嫌なレイチェルがガンドルフの持つ小箱に入っているチョコレートの数を数えた。


「質問はまだあるわよね?」

「……竜も魔女のように辰星の予言書(エトワール)とやらを解読して、生物を進化させられるのか?」

「いいえ。魔女は竜にその権限を付与しなかったのよ」


 竜に与えられたのは調律と守護だけだった。

 たまに大地の血管が乱れることがあるから、その乱れで出た影響を均したり、大地の血管を脅かすものを排除したりする。魔女たちはその役割だけを竜に割譲した。割譲することで、かつて何者かであった生き物たちを竜に進化させた。


 だから竜種(ドラグーン)と呼ばれる。

 同じ竜であっても、竜として進化する根本が違うから。


「そもそも竜種の始まりは、進化の魔女ダーヴィンが魔女狩りから逃げてきた魔女たちを守護する存在として設計したものよ。辰星の予言書(エトワール)はその副産物。東にある白夜砂漠の侵食を抑えるために大地に新しい設計図を進化の魔女が敷いたんですって」


 でもいつからか、辰星の予言書(エトワール)が世界に与える影響が大きすぎて、魔女たちが調律しないといけなくなった。世界を汚染する白夜砂漠の呪いに対抗しようとしたものが、進化の魔女ダーヴィンの許容量を超えてしまった。竜種に調律の役割を与えられたのも、後付けだったとか。そう、アマンダは言っていた。


 レイチェルが口をぱかりと開ければ、ガンドルフはまた一つ、チョコレートを食べさせてくれる。こんなにも甘いお菓子は千年前にはなかった。アマンダなら、これも世界の進化よ、と言いそう。


 だけどアマンダの魂を持つ眼の前の彼は、そんなことも知らないでいる。


「大地の血管が乱れたらどうなる」


 だから、愚かにもこんなことを聞く。

 人類は進化しているようで衰退しているのね、とレイチェルは感じる。


「天災が起こるわ。火山があれば噴火するし、断層があれば地震が起きる。たまに生命が無差別に進化して、進化した生命が大暴れすることもあるの。人間風に言うなら大暴走(スタンピード)かしら」


 エルダーは魔女の役割を人類が引き継げるはずだと考えていた。魔女がいなくても人類は世界とともに進化していけると。その果てにこんな大事なことを忘れてしまっているのはあまりにも愚かで罪深い。


 だからガンドルフが真顔で尋ねてきて、レイチェルはちょっとびっくりしたくらいだ。


「防ぐことはできるのか」

「防ぎたかったの?」

「どういうことだ」


 ガンドルフの顔が怖くなる。

 なんでそんなに怖い顔になるのかしら、とレイチェルは瞬く。


「だっていっつも人間が邪魔をするから。私が森を広げようとすると嫌がるじゃない」


 レイチェルが唇を尖らせると、ガンドルフの眉間に皺が寄る。


「森を広げる理由は」

「人間がね、世界の命を削っているの。削りすぎると、補うように大地の血管が活性化するから、平穏だったはずの部分で大地の血管が過剰活性する。そうして発生した余剰な力を、私は再分配するために森を広げているけれど、人間たちは再分配した生命の力をここでまた削ってくる。悪循環ね?」


 レイチェルは辰星の予言書(エトワール)を読めない。だから直接支配領域を増やすことで、大地の血管を調律している。千年前だったら世界のあちこちに魔女がいたから、彼女たちの手の届く距離だけを調律してやれば、世界は保っていられた。


 ガンドルフの表情が強ばった。

 アマンダはいつだって朗らかに笑っていたけれど、この人はいつも怖い顔をしている。レイチェルは虹色の瞳でじっとガンドルフを見つめる。


「……その循環が限界に来ると、どうなる」


 最後の一粒のチョコレート。

 それを摘んだレイチェルはにっこりと笑った。


「当然、制御ができなくなるの。魔獣たちは勝手に森の外に行こうとするし、森の木々も勝手に成長して樹海になったり、氷の山になったり、火の川が生まれたり。私だって影響を受けるから、普通じゃいられない。それでも家やお墓を守るために全力を注ぐから、魔獣はついつい放置しちゃうわね」


 死に絶えた魔女たちの役目を、レイチェルが一人で担わないといけない。その負担を超えるから、大暴走(スタンピード)が起きる。


 その仕組を理解したガンドルフは苦虫を噛み潰したような表情になって。


「……次、いつ限界がくるか分かるか」

「どうしましょう? チョコレートがなくなってしまったわ」


 ガンドルフは一度、言葉を飲みこむ。

 それから致し方ないと諦めたように息を吐いて。


「また持ってきてやるから」


 レイチェルはにこにこと笑う。

 ガンドルフとの約束。それを得られただけで嬉しい。嬉しいから、教えてあげよう。


「約束よ? 今の感覚ならそうね――」


 銀鉱石から飛び降りる。滔々と流れる川にちゃぷんと足を浸す。


 大地の血管に接続。生命の力の貯蔵量を把握。超過二九八パーセント。


「これなら、満月をあと二回は見れると思うわ」


 まだ大丈夫ね、とレイチェルは笑った。


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