「彼女は幼いんだ。あまりにも幼すぎる」
騎士団による古竜の大森林遠征は犠牲者を最小限に抑え、退却という結果に終わった。
王太子立案での古竜の大森林攻略。
現騎士団長ガンドルフ・グレイマンの指揮での敗走に王城では批難が殺到した。
出発から世界最古の竜種との邂逅までの経緯を説明し、遠征や退却の判断が正しかったかどうか、エルダライト王国の大臣が密集する評議会で非難轟々の中、議論が続いている。
伝説との邂逅はそれだけで遺産だと王太子は主張していたけれど、それに伴った犠牲者が多すぎるとの声が当然のように上がった。騎士団の剣はなまくらだったのか、国家の防衛として不安の声が上がるなど、騎士団の肩身も狭い。
頭の痛い議会から退室したガンドルフは、ようやく自身の執務室でひと息ついた。
帰還から議会まで休む暇なく動き回っていたガンドルフは、もう今すぐにでも帰宅したいくらいにくたくただった。だけどまだ今回の遠征の報告書ができていない。報告書の提出も待てずに連行させた議会のお歴々に、悪態の一つもつきたくなる。
家に帰りたい気持ちと、仕事が終わっていない現実。生来の生真面目で誠実な性格が仕事の天秤を重くした。
執務机で憂鬱なため息を吐きだしていると、副団長のイレネオがお茶を淹れてくれる。
「ご苦労様です」
「あぁ」
「だいぶお疲れですね」
「世界最古の竜種からの議会での紛糾は体力的にも精神的にもきついぞ。代わってくれ」
「嫌です」
心の底からお前もどうだと水を向けてみるけれど、腹心の部下にあっさりと断られてしまった。ガンドルフはまた一つ、疲労から深いため息をつく。
「それで、世界最古の竜種の様子はどうでしたか」
「……一応、話は通じるみたいだった」
「なんですか、その間は」
疲労感満載のガンドルフに、イレネオは労る気持ちがわずかばかりありそうなものの、いちいち相手にしてはくれない。
砦からひと足早く帰還していたイレネオは、二度目の古竜の大森林攻略戦の報告をガンドルフに同行した隊長から聞いている。
その上でお茶のカップに添えて、隊長が提出してきた報告書をガンドルフに差し出した。
〝騎士団長が世界最古の竜種に空から捕獲されて攫われた。三時間ほど捜索。魔獣討伐数、以下別紙。騎士団長はその後、世界最古の竜種に空中より投下された。〟
これは本当ですか、と暗に尋ねてきているイレネオに、ガンドルフは遠い目になる。
確かにその通りだけれど、何故か嘘偽りがない報告に心が疲れていく気持ちが増していくばかり。
言いたいことは沢山ある。だけどガンドルフは言葉を選ぶのを諦めた。
自分の気持ちを言葉にしたところで愚痴にしかならない。そんなものを優秀な部下に聞かせるくらいなら、もっと有益なことを話すべきだ。
ガンドルフは報告書に確認済みのサインをすると、横に寄せた。それからお茶をひと口頂いて、紙とペンを引っ張り出す。
世界最古の竜種の話を、覚えている限り紙に記し始めた。
「イレネオ。竜と魔女に関係する伝承に心当たりはあるか」
「英雄王の竜種征伐と、心臓の魔女の剣ですね。我が国どころか、大陸創世紀にも記されていますよ」
自分の執務机に戻りながら、イレネオはガンドルフも知っている話を挙げてくれる。だけどそれはガンドルフの聞きたいことではなくて。
「他には」
「他、ですか? 何か気になることでも」
イレネオが椅子に座りながら、その視線をガンドルフに向けた。ガンドルフはペン先を少し休めて、イレネオと視線を合わせる。
「世界最古の竜種が言っていた。本来なら世界の支配者は魔女であると。竜は魔女の対であり、世界を管理する存在として生み出された。自分があの森から出ないのは譲歩であり、心臓の魔女の言いつけだからだと」
「……そんな話、聞いたことがありません」
「だよな」
世界の支配者だとか、管理するとか。
そんなことがまかり通っている世界なら、もうとっくに滅んでいる。
竜が滅んだと言われて千年経つ。
これまで世界最古の竜種の実在すら怪しまれていた。たった一匹の竜で世界をどうこうできるはずがない。何事もなく世界が回っていたのだから、あの少女の姿をした竜の話が真実とは考え難い。
それでも、千年もの間一人でこの森を支配してきた世界最古の竜種の言葉だ。
伝説の存在が話すことを軽んじるのも、違うと思う。
「詳しく調べることはできるか」
「少し時間をください。史学に明るい文官に確認をします」
「頼む」
イレネオがガンドルフの言葉をメモする。
ガンドルフはじっとその様子を見つめた。
気がついたイレネオが顔を上げる。
「何か言いたげですね。だいぶお疲れのようですけど、大丈夫ですか?」
イレネオの心遣いに、ガンドルフはぽろっと本音をこぼした。
「アレとの会話は濃密すぎる。歴史学者がいたら垂涎ものだと思うぞ。千年前のことをあたかも昨日のことのように話すからな」
「世界最古の竜種というくらいですからね。竜種は長生きとも伝わっています。とはいえ千年前の記録でも、せいぜいが数百年程度の寿命だったはずですが」
「数百年か。それでも人間にとっては長いな」
二人でしみじみと話し合う。
千年という寿命と、竜種という圧倒的強者としての力。その力の片鱗を思い出すと、たとえ見た目が少女であっても恐ろしいと本能が警鐘を鳴らす。
イレネオは直接世界最古の竜種を見ていないけれど、相対した騎士たちは皆口を揃えて「恐ろしい」と言っていた。
「だからこそ、世界最古の竜種は我々にとって脅威でもあります。我々が十回人生をやり直しても得られないだろう知恵と力を蓄えているのですから」
ガンドルフも頷く。
あの場で唯一、まともに世界最古の竜種と相対できたのはガンドルフだけだった。
千年もの間、蓄積されていた竜種の力は底が知れなかった。まるで赤子の手をひねるように、騎士たちを殺した。まるで真新しい玩具で遊ぶような笑顔で、先行した騎士たちの命を刈り取った。
そのことは忘れない。忘れられない、けれど。
「そうだな。そう、だが」
「が?」
イレネオがさっさと言え、というように胡乱な視線を投げつけてくる。ガンドルフは口籠りながら、一度目の出会いと、二度目の偵察で感じた印象をそのまま話した。
「彼女は幼いんだ。あまりにも幼すぎる」
「幼いとは? 容姿からは幼くは思いませんが。黒髪の長いストレートヘアー。瞳は虹色。翼は黒、ドレスは赤。ドレスの形もだいぶ露出の高いものだったようで。胸囲、腰、尻が……」
かなり細かい世界最古の竜種の容姿報告に、ガンドルフの表情が引きつる。誰だ、世界最古の竜種のスリーサイズを目視で測った騎士は。
普段から女性にそんな目を向けているのだろうか。騎士としてだいぶ不安になる特技を持っている人間がいるのを知って、微妙な気持ちになる。
ガンドルフは頭を振ると、つらつらと世界最古の竜種の報告書から把握できたことを話すイレネオを制した。
自分がその身で感じたことをそのまま伝える。
「言動が子供なんだ。気に入らないと癇癪を起こす。気に入ったらころっと機嫌を変える。アレは情緒が育ちきっていない五歳児みたいなものだ」
怖いのは自分の思い通りにできるだけの力を持っているということ。
だから時代の王や騎士団は、あの竜種をどうにかしたかったのではないだろうか。子供の癇癪で国を滅ぼされたら、たまらないから。
ガンドルフの話を聞きながら、イレネオがうなずき返す。だけどもう一つ。国としての考え方にはもっともらしい大義がある。
それが今回、王太子が古竜の大森林遠征を立案した理由。
「厄介ですね。あの竜は森に立ち入るだけで無差別に殺してきます。大暴走に備えて魔獣数の調査をしようにも、これじゃ進みません」
「まったく、頭の痛い」
ガンドルフは呻いた。
森から出てくる魔獣の増加を受けて、王太子は最悪の事態である大暴走の発生を危惧している。その事前調査が元々の遠征任務の目的だった。
決して世界最古の竜種の討伐だけが任務だったわけじゃない。眠れる森の古竜を起こしてしまった今、この国がどう動くか、明日からまた連日行われるだろう議会を思い出して憂鬱になる。
でもそんなガンドルフに、イレネオがちょっと悪い顔になって笑う。
「ですが、今回の遠征で我々はあの竜への切り札を手に入れたわけですから」
切り札。
一瞬、何の話かと眉をひそめたガンドルフだけれど、すぐにその意図を察して苦笑した。
なるほど、自分のことか。
あの世界最古の竜種は、ガンドルフの言葉だけはよく聞いてくれる。それはおそらく、アマンダの魂をガンドルフが持っていることと関係していて。
自分の魂がかつての心臓の魔女だったのかと、思いを馳せてみる。とはいえ、世界最古の竜種に対して思い入れがあるかと言われたら微妙なところだ。
何をしたいか分からない。
何がしたいか分からない。
本当に癇癪を起こす子どものようで、扱いづらい。
そんな世界最古の竜種をどうにかしろと言われても、今の段階ではどうにもできない。
というわけで。
「あなたには特別任務ですよ」
イレネオが紙にペンを走らせる。それをガンドルフに渡してきた。書いてあるのは次に世界最古の竜種と接触した時に尋ねておきたい事柄だ。
それを眺めたガンドルフは頷きながら、自分の書いた報告書をイレネオに渡しておく。これで史学者に聞いておくことを、イレネオが事前にまとめてくれるはずだ。
それを渡したガンドルフはここからが本番だと言わんばかりに視線を鋭くした。雰囲気の変わったガンドルフに、イレネオも姿勢をただす。
「イレネオ、特別任務の前に頼みたいことがあるんだが」
「頼みとは?」
ガンドルフは、ふぅ、と息を吐き出した。
どうせ接触できるのは自分しかいない。いやむしろ、自分なら他人よりも穏便に接触できるだろうという確信がある。
だからガンドルフは恥を忍んで、イレネオにお願いした。
「料理を教えてくれ」
イレネオがぱっちりと目を瞬いた。
「料理……ですか?」
「世界最古の竜種に要求されたんだ……」
イレネオが微妙な顔になる。
何がどうしてそういう流れに。
ガンドルフにも分からない。本当に唐突だったから。だけど、会話のきっかけになるのなら料理の一つや二つ、こなしてみせよう。
妙な覇気を背負ったガンドルフに、イレネオは呆れながらも、騎士団の厨房へ料理の手ほどきをしてもらえるように手配した。




