「魔女アマンダは死んだのに、私が生きているのはおかしいわね?」
力いっぱい翼で風を叩いて上昇すると、レイチェルは雲を突き抜けてしまった。これはうっかり、と思って急下降。ガンドルフの表情が死んだ。
騎士たちの間合いから出たので、地上が見える程度の高度を保って飛行する。上機嫌で飛んでいると、心做しか顔色のすぐれないガンドルフがぽつりと呟いた。
「その枷、外さないのか?」
レイチェルの首には、少し前にガンドルフが嵌めた隷属の枷がそのままになっていた。術者はガンドルフだったけれど、その術はとっくに壊されている。
ただのアクセサリーになってしまった鉄の首輪。さっさと壊すこともできたけれど、レイチェルはそうしなかった。
自分より体格の大きなガンドルフを腕いっぱいに抱えた彼女は空中で一旦停止すると、ぎゅうっと彼の首もとに顔面を埋ませる。
ガンドルフがぴしりと固まった。全身の筋肉が強張るのが分かって、それすらもレイチェルは楽しい。くふくふ笑いながら、レイチェルはまた滑空を再開する。
「だって千年ぶりのアマンダからのプレゼントだもの。もったいないじゃない」
「何度も言うが、俺はアマンダではない。心臓の魔女の名前で呼ぶな」
不快そうな声。
でも、ガンドルフの不機嫌よりも気になる言葉を見つける。
「心臓の魔女?」
「魔女アマンダの二つ名だ」
不思議な二つ名だった。
魔女には名前がある。
アマンダ、という名前もそうだけれど、それとは別に『名付けられた力』がある。
当然、アマンダもそれを持っているけれど、それは『心臓』なんかじゃなかった。
「人間はアマンダのことをそう呼ぶの?」
「そうだな」
「どうして?」
エルダーはアマンダの力の名前を知っていたはずなのに。レイチェルの疑問には、ガンドルフも困惑気味のよう。
「どうしてって……建国記にそう書いてあるからだ。最初に心臓を捧げて人類を救った、救世の魔女であると」
最初に心臓を捧げた魔女。
エルダーが英雄王と呼ばれるように、アマンダは心臓の魔女と呼ばれている。それだけのこと。
長い間、人間たちの間でアマンダのことがどう伝わっていたのか知らなかった。知りたいと思ったこともなかった。
でも今になって知りたくなった。
それは今この瞬間、レイチェルの腕にアマンダの魂が帰ってきてくれたから?
レイチェルは考えながら飛ぶ。
アマンダのことを考えながら飛んでいたら、ちょっと特別な所に来てしまった。
無意識だったのかも。
アマンダの魂を持っていたから、惹かれてしまったのかも。
ガンドルフが息を飲む。
レイチェルは優しくそっと、その表面に降り立った。
「ここ、とても素敵でしょう?」
森の中にぽっかりと存在する、透明度の高い湖。
覗きこめば底は随分と深い。でも湖の水面に降り立っても身体が沈むことがなく、水は足首程度しか浸からない。湖中には茨の根が張り、湖面には紫水晶のような薔薇の花が咲き乱れる。
その中央に鏡面の石碑が立っていた。
石碑は湖の底にまでぶっすりと刺さっている。柱のようなそれは、まるで鏡でできた杭のようだった。
「これは……」
「この底に、アマンダが眠っているの」
「心臓の魔女の墓か」
ガンドルフが驚いた。
石碑に近づいてまじまじと見上げたり、湖の底を見ようと見下げたり。やがて膝を折って、冥福を祈るように静かに頭を下げた。
レイチェルはその様子を見ながら、くすくす笑う。
アマンダの魂が、アマンダのお墓にお祈りしている。なんだか不思議な気分だ。
でも、お祈りをするのには足りないものがある。
レイチェルはその足りないものを探している。
「ねぇねぇねぇ、知ってるかしら。このお墓には足りないものがあるの。それは何だと思う?」
「足りないもの?」
祈り終えたらしいガンドルフが立ち上がってレイチェルを見る。石碑とレイチェル。それから湖底を順々に見やりながら、考えるように口元へ手をやった。
「墓碑はあるし……献花もあるし……遺体もあるんだろう? ……なにが足りないんだ?」
ぎゅうっと眉間にしわを寄せているガンドルフ。
レイチェルはにこりと笑った。
笑って。両腕を広げて。
「アマンダの心臓よ!」
ガンドルフに抱きついた。
ぎょっとするガンドルフが引き剥がそうとしてくるけど、レイチェルは彼の心臓の音を聞きたいから離れたくない。ぎゅうぎゅう抱きつきながら、レイチェルは声を上げる。
「だってエルダーが持って行っちゃったから、ここにはないんだもの! だからね、私は待っているの。エルダーが約束を果たしてくれるのを」
「約束?」
ガンドルフの動きが止まる。
追求されそうになったレイチェルは人差し指をガンドルフの唇にそっとあてて、にこりと笑った。
エルダーとの約束を思い出すと、レイチェルの思考は狂気に汚染されそうになる。でもエルダーへの憎しみよりも、アマンダの魂ともっと触れ合いたい気持ちが優った。
だから、このお話はここでおしまい。
レイチェルはガンドルフから離れると、紫水晶の薔薇の間を歩き出した。
「ねぇねぇねぇ、エルダーの話が聞きたいわ!」
「英雄王エルダーのか?」
「そうよ。アマンダを殺した咎人エルダーの話よ!」
「咎人? 英雄ではなく?」
ガンドルフがレイチェルを追いかけてくる。
立派な竜の翼を背中に格納するのを見せつければ、一瞬足が止まってしまった。だけどすぐにその足が動き出す。気ままに歩くレイチェルの後ろを着いてくる。
レイチェルは笑って振り返った。
「だってアマンダを殺したもの」
「……そうか。そうだな。お前から見たら、そうなるな」
琥珀色の瞳が瞑目する。
レイチェルはまた歩き出して、紫水晶の薔薇の間をすり抜ける。
思い出すのは遥か遠い昔の頃。
幸せだった時間が終わったあの日。
「エルダーはアマンダの心臓から剣を作って、この森を出て行ったわ。竜を滅ぼしたと聞いたのに、エルダーは帰って来なかった。返しに来るって言ったのに。約束をしたのに」
エルダーのことを思い出すと、胸がざわざわしてしまう。
そのざわざわで呼吸が苦しくなる。紫水晶の薔薇に罅が入って散ってしまう。浅い湖面はさざ波が立って広がっていく。
ガンドルフの動きが鈍くなった。レイチェルがちろりとそちらに視線を流せば、なんだか重たい荷物を背負ったかのように苦しそうな表情をしたガンドルフがいた。
「っ、何を返しに来るって言ったんだ」
「アマンダの心臓」
レイチェルはこてりと首を傾げる。
じっとりと琥珀色の視線を向けられて、ようやくレイチェルは自分が威圧をしていたことに気がついた。
表情がうっかり威圧した時の魔獣と同じで、ちょっとばつが悪くなる。エルダーとの約束を思い出すと、ついつい我を忘れてしまう。
威圧をやめて、ちょっとだけ肩をすくめれば、ガンドルフが深く息をついた。それからぐっと顔を上げる。
「建国記、では」
欠けた紫水晶の薔薇の破片を踏まないように歩いて、ガンドルフがレイチェルに追いつく。
「世界が竜により支配されていた頃。英雄王エルダーがある日、竜の命を断つことができる剣を持ってこの地に降り立った」
ガンドルフは語る。
レイチェルの知らない、森を出て行ったエルダーの話。
エルダーはその剣を使い、人類を救済した。
人類を襲う竜を次々と討ち滅ぼし、守った人々は彼の崇拝者となって国を作り上げた。気が遠くなるほどの数の竜を殺し尽くして、世界が平和になった。
世界が平和になった頃、英雄王エルダーは世界をまとめるために国を分けた。信頼の置ける仲間たちに一つずつ国を与えた。
「そして自らはこのエルダライト王国の君主となり、生涯を国に尽くしたとされる」
レイチェルは語るガンドルフを見上げて、首を傾げた。
「尽くして? それで?」
「それだけだ。尽くして、死んだ」
「どうして! アマンダの心臓を返しに来るって言ったのに!」
絶叫にも近かった。
天を衝くほどの怒声に、大気がピリピリと震える。
レイチェルの虹色の瞳が激昂の色に染まった。エルダーへの怒りが、ガンドルフの持つ血へと矛先が向かう。衝動的に彼を壊したくなって。
「待て、怒るな! 魔女アマンダの話はまた別だ!」
ガンドルフの首に手をかけようとする寸前で、レイチェルはきょとんと瞬いた。
アマンダの話。
アマンダの話が聞きたい。
目と鼻のすぐ先で、レイチェルはガンドルフの顔を覗きこむ。
「アマンダの話って?」
「英雄王の剣にまつわる話がある」
ガンドルフが顔を引きつらせながら、そっとレイチェルの身体を押して離した。
レイチェルはされるまま距離を取る。でも視線はガンドルフに釘付け。アマンダの話を聞きたくて、うずうずしてる。
ガンドルフもそれに気づいてか、咳払いをして訥々と話してくれた。
「それは英雄王が降臨される際に持っていた剣だ。血のように紅く、生きているように脈打つ剣だったと言われている。生きた剣を作るには魔女の心臓が必要だ。英雄王は魔女から心臓を貰ったと語ったらしい」
その剣の名前こそがアマンダ。
竜との戦争を終わらせるために身を犠牲にした、心臓の魔女の名前が剣に贈られた。建国記では魔女と英雄王の合意の元、剣が作られたと伝わっているそう。
レイチェルは思い出す。
千年前のあの日を思い出す。
確かに、そうだった。
アマンダとエルダーはお互いに納得していた。
殺されることも、殺すことも。
でも。
「……エルダーはずるいの。私をのけものにして、アマンダと勝手に決めて。エルダーはずるい。アマンダは私のお母さんだったのに……!」
アマンダはレイチェルの母になってくれると言った。レイチェルにアマンダをくれたのはエルダーだ。エルダーなのに、くれたものを勝手に取り上げたのもエルダーだった。
ぐるぐると胸の内に渦巻くエルダーへの恨みつらみ。だけどガンドルフにそれは伝わらない。伝わらないからこそ、困惑したような表情でレイチェルを見つめてくる。
「聞きたいんだが、お前と英雄王エルダー、そして心臓の魔女アマンダの関係はなんだ」
「そんなの決まってるわ。アマンダはお母さんで、エルダーは咎人よ」
レイチェルは笑う。
笑って、ステップを踏んで、紫水晶の薔薇を一輪手折る。
「アマンダはね、優しい魔女だったの。魔女はかつて何者だったか知っている?」
「いや……千年前、魔女は竜種討伐のために狩り尽くされた。残っているのは、英雄王が魔女アマンダに師事して習得したという魔術体系くらいだろうか」
「ふぅん。竜のために無害な魔女を何人も狩ったのに、薄情なのね」
レイチェルがもう一輪、紫水晶の薔薇を手折る。
ガンドルフの表情は苦々しい。
「そう言われると、自分がやったことでもないのに罪悪感を感じるな……。教えてくれないか?」
「仕方ないわね」
レイチェルはとんっと踵を上げて跳ねた。
不規則に並んだ紫水晶の薔薇たち。その一列、二列、三列向こう側へと着地する。
そこで咲いていた、赤みの強い薔薇を一輪手折る。
アマンダの髪はこれよりも紅かった。
「元々、エルダーの時代よりも前から、たくさんの魔女が狩られていたらしいの。ここよりもずうっと東の魔女は、呪詛の魔女が魔女狩りで殺された同朋たちの骨で真っ白な砂漠を作った。それは白夜砂漠って言われていて、この森の東側に広がっているわ」
レイチェルは摘み取った薔薇を片手に、背中から翼生やして空を飛ぶ。古竜の大森林の東のほう。萌黄の木々のさらに向こう側にある水平線。その色は真っ白だ。
白い水平線がいつものように見えるのを確認して、レイチェルはガンドルフのもとへと戻る。彼の眼の前で膝を抱えるようにして滞空した。
「この森の向こうにも大地は続いているのか」
「もちろん! でね、そこから逃げてきた魔女たちは自分たちの心臓を二つに分けたの。その片方に大地から吸い上げた生命の力を注ぎ込んで、世界で一番強い種へと進化させた。それが竜種。魔女は世界の管理を竜に任せて、自分たちは隠れることにしたの」
大地にも血管がある。目には見えないけど確かにそこに根を張る力の筋道。魔女たちの扱う生命の力は大地の血液で、あらゆる生命は呼吸をするようにその力を蓄えている。
この生命の力を、魔女たちは魔力と呼ぶ。
そんな中で、ある魔女がこの魔力を使って森羅万象を操り、超常の現象を引き起こした。
生物の超進化、竜種への到達。
進化の魔女により、その術がもたらされた魔女たちは、従者として次々と竜を創造しはじめた。
ただ誤算だったのは、竜種の性質が創造主である魔女の対極に位置するものだったこと。魔女が迫害された歴史が、竜種の進化に影響を与えたのかもしれない。
「たとえば薬草の魔女。彼女が生み出した竜の属性は毒だった。毒は病になって疫病となり、人類を滅ぼそうとした。その竜を倒すための方法をエルダーは探していて、アマンダと出会ったそうよ」
そしてアマンダはエルダーに伝えた。
竜を屠るには対になる魔女を殺すか、それより上位の魔女の心臓を使って討伐すればいい、と。
レイチェルがくるり、くるりと、空中でゆっくり回転する。空中からは、ガンドルフが眉間にしわを寄せながら考えている様子がしっかり見えた。
「……つまり、魔女アマンダは薬草の魔女よりも上位だったから、エルダーはアマンダの心臓で剣を作った、ということか?」
結論づけたガンドルフに、レイチェルはにっこりと笑う。翼を格納して、ガンドルフに飛びついた。
「さすがお母さん! 分かってるじゃない!」
「俺は男だ!」
「そんなことより!」
「そんなことより!?」
ガンドルフの性別なんて些細なことだ。
そう思っていたのに、ガンドルフからはジト目をもらってしまう。
そんなに重要なことかしら、とレイチェルは首を傾げた。でもやっぱり、「そんなことより」の気持ちが優ったので無視する。
ガンドルフに気がついてほしいのはそんなところじゃない。レイチェルは抱きついたまま、ガンドルフの頬を撫でた。
ちょっと分厚い耳も触ってみる。とっても柔らかくて、ぴくりと敏感に反応した。くすくす笑いながら、レイチェルは彼の耳元で囁く。
「竜を屠るには対の魔女を殺せばいい。この意味は分かる?」
「どういうことだ」
ここまで言っても気づかない。
気づかないことは愚かで、尊くて、愛すべき存在の特権だわ、とレイチェルは微笑む。
微笑みながら、レイチェルは嘯いて。
「私って世界最後の竜種のはずよね。そんな私を生み出した魔女はだぁれ?」
「……それがアマンダ、か?」
「そうよね? そう思うわよね? でも、それならおかしいわよね?」
レイチェルは笑う。綺麗に笑う。虹色の瞳の奥に狂気の灯火を揺らめかせて、仄かに笑う。
ガンドルフの琥珀の瞳に映る自分の表情にうっとりしてしまう。母と慕った人の笑顔によく似ている自分の顔に満足する。
「魔女アマンダは死んだのに、私が生きているのはおかしいわね?」
「それ、は」
ガンドルフの表情が変わる。
気づいたから願う。
レイチェルの願いを叶えてもらうために、ガンドルフに冀う。
願いたい、けれど。
「ねぇ、お母さん! お腹が空いたわ! 私、久しぶりにお母さんのシチューが食べたいの。いいでしょう? ね? いいわよね!」
「いや、待て。ま……!?」
レイチェルは摘み取った紫水晶の薔薇たちを地面に落として踏み砕いた。粉々になった薔薇の破片を踏みつけながら、またガンドルフの大きな体に抱きついて翼を広げる。
まごうことない竜の翼。竜種である証を惜しみなく広げて、レイチェルは飛ぼうとする。
そんなレイチェルの肩を鷲掴みして、ガンドルフは自分から引っ剥がす。
「待ってくれ! また来る! また来るから! 今日はもう帰るぞ!」
つれないことを言うガンドルフに、レイチェルは頬を膨らませた。
「いやよ、私はアマンダのご飯が食べたいの!」
「分かった! 分かったから! 良い子にしてたら食わしてやるから!」
言質を取った。
レイチェルは笑う。
にっこり笑って、ガンドルフに抱きついた。
「本当?」
「本当だ!」
大きく頷くガンドルフを、よいしょ、と横抱きにする。
「……は?」
「良い子で待ってるわ! あなたは約束をちゃんと守ってくれるものね? 送って行ってあげる!」
「だから空ぁあああ!」
ガンドルフを抱えて、レイチェルは飛んだ。
森の入口では、騎士団長が攫われたとやきもきしていた騎士たちがたむろしていた。
約束を交わしてご機嫌なレイチェルは、森の入り口にガンドルフを送り届けると、手をふりふり、自分の寝床へと帰った。




