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魔女に喝采を、咎人に願いを、望まれぬ貴女に永劫を。  作者: 采火


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「人間風に言うなら、私がこの世界を支配するべきだと思わない?」

 燦々と降り注ぐ太陽の光が、滔々と流れる川面に反射して燦めく。もしかしなくても絶好の釣り日和では、と賢いレイチェルは気がついてしまった。


 腰に魚籠を吊り下げ、おやつのクッキーを手提げの籠に入れて。レイチェルは川へと遊びに来た。


 うきうきしながら、お気に入りの大きな岩へと腰かける。そこから釣り糸代わりに紫色の蔦を水面へと垂らして、魚が寄ってくるのをのんびり待った。


 レイチェルの操る紫色の蔦は、古竜の大森林の生き物にとって良い栄養だ。魔獣はもちろん、川にいる魚だって気に入っている。


 しばらく歌を口ずさんでいると、くんっ、と川の中に垂らしていた紫蔦(しちょう)が引っ張られた。レイチェルは満面笑顔で蔦を手元に引き上げる。


橙灯魚(とうとうぎょ)が釣れたわ! 今日は大物ね。ふんふんふーん」


 紫蔦の先端には真っ白な鱗の川魚。お腹だけがランプのように茜の色に染まっている。この魚は夜行性だ。昼間に泳いでいるのは珍しい。レイチェルは嬉しくて、獲った魚を手元の籠にぽいっと放りこんだ。


 一匹釣って満足したレイチェルは大きな岩の上で足をぷらぷらさせた。空を見上げてお天道様の位置を確認すると、ますます笑顔になる。


「そろそろおやつの時間だわ。今日はおやつにクッキーを焼いたのよ。ひと仕事したあとのおやつは格別ね!」


 大きな独り言が森に響いていく。いつものことなので、今さら魔獣たちも反応なんてしてこない。また森の主人がはしゃいでるな〜、くらいの気持ちだ。


 レイチェルの気持ちは完全におやつへと向く。ぽかぽかお日様の下で、きらきらの川面を眺めながらのティーパーティー。うきうきしながらクッキーの入っている籠を膝の上に乗せた。


 籠の中を覗く。

 橙灯魚がぴちぴちと跳ねていた。

 もちろんクッキーは濡れてるし、割れている。


「……あら? あらあら?」


 レイチェルは腰の魚籠を覗いた。空っぽだ。濡れてもいない。記憶を手繰り寄せてみる。自分でクッキーの籠に魚を入れていたような気がする。


「……そういう日もあるわよね! ……クッキーはお魚さんのご飯にしてあげましょ」


 仕方ないわ、仕方ないわ、と自分に言い聞かせて、空っぽの魚籠も手提げの籠へとしまった。


 おやつが食べられなくても、暖かい陽光と綺麗な川のせせらぎはかけがえのないものなので、これを見るだけでも気持ちは軽くなる。


 その気持ちに水を差すように、森がざわついた。

 耳を澄ませば、魔獣たちの遠吠えが聞こえてくる。


 レイチェルは立ち上がる。手提げの籠は膝から落ちて、クッキーまみれの橙灯魚は川へと逃げていった。


「お客様だわ。昨日の今日で。珍しいわ、珍しいわ。しかも……お母さんだわ!」


 クッキーでほんのちょっぴり残念になってしまった気持ちも、全部へっちゃらになる。お母さんが、アマンダが、会いに来てくれただけでレイチェルは嬉しい。


 レイチェルは自然な動きで、体内に格納していた翼を広げる。籠なんて忘れて、アマンダの魂が踏み入った森の入り口までひとっ飛び。


 アッシュグレーの短髪に、琥珀色の瞳。

 昨日はたくさんの有象無象を引き連れていたけれど、今日は控えめだ。


 ひぃ、ふぅ、みぃ。

 レイチェルは目視できた命を数えながら、ガンドルフの眼の前に降り立った。彼は気が立っている馬をどうにか宥めているらしい。


 でもそんなことはレイチェルに関係ない。馬が怯えようと、にこにこしながら彼らに近づく。


「今日のお客様はとっても少ないのね」

世界最古の竜種エンシェント・ドラグーン


 ガンドルフはレイチェルに気がついてくれた。

 気がついてくれたけど、レイチェルには不満がある。ぷっくり頬を膨らませて、ガンドルフに詰め寄った。


「そんな呼び方、悲しいわ。レイチェルよ。私の名前はあなたがくれたのよ」


 レイチェルの名前はアマンダがくれた。アマンダが、貴女の心は真っ白ね、と言ってつけてくれた。たとえ泥の中でも純粋な光があれば水底から顔を出すことができるのよ、と願いを込めてくれた。レイチェルの大切な宝物。


 虹色の瞳でじっとガンドルフを見つめれば、琥珀色の瞳が無感動にレイチェルを見つめ返してくる。


「悪いが、俺にそんな記憶はない」

「でもあなたはアマンダの魂を持ってるもの」


 レイチェルには分かる。

 ガンドルフの魂はアマンダのものだと。


 転生した時に魔女の国で記憶を置き忘れてきたのかもしれないけれど、アマンダの魂は肉のドレスをまとってガンドルフの形になった。それだけは事実。


 レイチェルが分かるのは、アマンダという存在の半分をもらったから。レイチェルの力はもともと、アマンダのものだったから。


 だけどそれを言っても、きっと眼の前の男は信じてくれなさそう。


 まぁいいわ、とレイチェルは気にしないことにした。今のレイチェルとガンドルフでは力の差が歴然すぎるから、ここは自分が大人になって譲歩してあげないと。


 だからレイチェルはにっこり笑う。

 笑顔を浮かべて、ガンドルフとお話をしてみようと思う。


「今日は何をしに来たの?」

「今日は取り引きにきた」

「取り引き?」


 レイチェルは首をこてんと傾けて、ガンドルフを見た。取り引きとはなんだろう。


「国への侵食をやめてほしい。そのためにお前は何を望む」

「望む? 望む? おかしなことを言うのね」


 レイチェルの頭は疑問符だらけ。

 レイチェルは何かと引き換えにしてほしいから森を侵食しているわけじゃない。そうしないといけないから、そうしているだけ。


 でもガンドルフの言葉を聞きたくて、耳を傾ける。


「欲しいものや、して欲しいことはないのか。森の侵食をやめてくれるなら、そのための対価をこちらも支払う」

「そうねぇ……」


 レイチェルは考える。

 欲しいものや、して欲しいこと。


 アマンダの魂を持つガンドルフにそう言われて、レイチェルの思考がくるりくるりと回転していく。


 お喋りしたい。お散歩したい。お料理が食べたい。一緒に眠りたい。ドレスを選びたい。


 でも、その対価として要求されていることを考えると、見合うものなんて何もない。


 困ったわ、とレイチェルは頬に手を当てる。


「森の侵食は止められないわ」

「なんだと」

「人間はこの森がなんなのか忘れてしまったの? 魔女アマンダが作って、私が整えたこの森。私はこれでも譲歩をしているの」


 ガンドルフの表情が険しくなる。


「どういう意味だ」

「国境なんて人間の物差しだってこと。この世界はもともと、魔女が指揮するべきものだったんだから。でもエルダーが魔女を狩って竜をたくさん殺したから、指揮できる人はもう私だけでしょう? 人間風に言うなら、私がこの世界を支配するべきだと思わない?」


 両手を広げる。ハミングしながら指揮するように腕を揮う。これが世界を統べることなんだってこと、ガンドルフに教えてあげる。


 髪を撫ぜる風、匂い立つ草土、奏でられる獣の声。やろうと思えば、全てを焦土に変えることも、過剰な豊穣で腐らせることだってできてしまう。


「でも私はそうしないの。アマンダの魔法によって私は世界と繋がり、この森の支配者になった。でもね、この森だけの支配者になったとも言えるし、世界に対して制限を受けたとも言えるの。私が自由になれるのはこの森の中だけ。それって、最大の譲歩でしょう?」


 レイチェルの虹色の瞳は目に見えないものすら見通せる。


 昔、アマンダは言っていた。

 見えないものを説明するのは難しいと。


 今のガンドルフには、レイチェルが受けている制約は見えない。それは他の人間も同じ。


 千年という時間の中で、エルダーの守った人類は魔女と竜種への贖罪を忘れてしまった。贖罪を忘れて、不条理だけを要求している。


 なんて愚かなのだろうと、エルダーが愛した人類を愛おしくすら思う。だけど人類は、それを理解してくれない。


「人間の国を侵食しようとするのも、譲歩だと言うのか」

「わざとじゃないのよ? そうしないと世界のバランスが崩れるから。人間が使っていく世界の命を、私が調律してあげてるの。その命の量が計り違えたように増えているから、受けるための器を広げているだけ」

「調律だと……?」


 ガンドルフが訝しげに眉をひそめる。

 レイチェルは自分の言葉でガンドルフの表情が動くのが嬉しい。


 だからもっともっと教えたくなって、彼の目と鼻の先まで近づいた。吐息の混じりそうな距離で、レイチェルは教えてあげる。


「人間は生きるために生き物を殺して食べるでしょう? 家を建てるために木を伐るでしょう? 道具を得るために石を掘るでしょう? 全部、全部、世界の命なの。その命を人間が削るから、私は増やして調律する。こんな森じゃ数はできないけど、その代わり個体に与える生命力を増やすことでバランスを保つ。それがあなたたちの言う魔獣よ」


 近づきすぎたのを牽制するように、ガンドルフが剣を一閃した。距離を取らされてちょっとだけ悲しくなる。翼を広げて宙に浮いて、ガンドルフを見下げる。


 ガンドルフも、後衛にいる騎士たちも、レイチェルの言葉が信じられないと言いたそう。信じられないなら信じなくてもいいと思う。人間はそういう生き物なのだとアマンダが言っていたから。


 ガンドルフがレイチェルを見上げてくる。


「……そんなことは初めて聞いたぞ」

「エルダーは知っていたはずだけれど。千年も経てば人間も忘れちゃうのね。薄情だわ」


 人間は忘れる生き物だ。

 忘れてしまったから、エルダーは約束を果たさなかった。


 レイチェルの中にある何かが鎌首をもたげる。

 エルダーは嘘つきだと非難しようとしてガンドルフを見下げれば、彼の琥珀色の瞳が真摯にレイチェルを見上げていた。まるでアマンダが、大丈夫よ、と言っているみたいに。


 ガンドルフがくるりと背を向けてしまう。無防備な背中を、レイチェルはぽかんと見つめる。


「そういうことなら、これまでの進軍は無駄死にだ。帰って上に報告をせねば」


 ガンドルフは馬に跨り、騎士たちに撤退の指示を出す。騎士たちは警戒を解くことなく慎重に退路を確保しだした。


 レイチェルは気がつく。

 置いていかれる。それは悲しい。

 また会えたのに、このまま行ってしまうのは寂しい。


 だから。


「ねぇねぇねぇ! もっとお話しましょうよ! こっちに来て頂戴!」

「うわ! 待て!? ぎゃぁっ」


 ガンドルフが森から出てしまう前に、彼を捕まえる。にっこり笑ってガンドルフの前に回り込むと、馬に乗っていた彼にタックルして姿勢を崩す。竜の膂力にガンドルフは勝てやしない。


 レイチェルはそのままガンドルフの膝裏に腕をまわして、よいしょっとお姫様抱っこ。密着度が高くなって満足する。そのままぐんっと高度をあげた。


 ガンドルフはぴしりと固まっている。

 率いてきた騎士たちがとっさにレイチェルに攻撃をしかけてきたけれど、すぐに届かなくなって。


「団長が攫われたー!」


 レイチェルが颯爽と飛び去ったその場所に、騎士たちの悲鳴が上がった。


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