「そうよ、私は喝采の魔女アマンダ。世界の終焉を喝采した女!」
――悠久に飽きたら、白夜砂漠を越えて魔女の国へ行きなさい。
母と慕った人は言った。
ぷつりと途切れた意識が揺さぶられて、焦点が像を結ぶ。名前を呼ばれた気がしたレイチェルが意識をもたげると、ずっとずっと会いたかった人が目の前にいた。
「レイチェル、レイチェル!」
「あ……アマンダ……?」
「はぁい、アマンダよ!」
ちょっと癖っ毛な紅い髪に、森と同じ新緑の瞳。
愛嬌たっぷりの笑顔で、アマンダがレイチェルの目の前に立っていた。呆然としていたレイチェルだけれど、その唇がわなわなと震える。
何もかも同じだった。
アマンダを見上げる自分がいる。その姿はいつの間にか千年前の、幼い姿に戻っていて。
「アマンダっ」
懐かしい。
胸の内に湧き起こった感情に涙がじんわりと滲む。
自分は死んだのだろうか。死んだから魔女の国に来て、アマンダに会えたのだろうか。考えることはいっぱいあった気がする。いっぱいあったと思うけれど、アマンダに会えたから全部吹き飛んだ。
わぁっとアマンダの懐に飛び込む。声をあげて泣く。もうずいぶんと、泣くことを忘れていた。泣き方をアマンダが教えてくれたはずなのに。
「アマンダ、アマンダぁ……っ! どうして、どうして私を置いていったの。どうして私を連れて行ってくれなかったの。ずっとずっと、寂しかったのにぃ……!」
わんわんと泣きじゃくるレイチェルの小さな頭をアマンダが撫でてくれる。優しい声で、アマンダが言葉を返してくれる。
「あらあら、寂しかったの?」
「さみしかった!」
「でも、もう寂しくないでしょう?」
もうさみしくない?
そんなことはなかった。レイチェルの寂しさを埋めてくれるものなんて、この千年何もなかった。だからレイチェルは声をあげて泣く。
「さみしい! アマンダがいない世界はさみしい! お母さんみたいになりたかった! ずっと笑っていたかった! でもつらいの。しんどいの。笑顔でいるのも、エルダーを憎み続けるのも、もう疲れたよぉ……!」
アマンダは言った。
笑顔を忘れずにね、って。
笑顔でエルダーを憎むのよって。
レイチェルは言いつけを守った。
アマンダのように笑って、笑顔でエルダーを憎んだ。
でもアマンダのようにはできなかった。
憎いはずの人間の子に心臓をあげたり、魔女の力を分け与えたり。アマンダのように憎いはずの存在を慈しむことはできなかった。赦しを与えるのもできなくて、復讐することもできなくて、ただただ時間が流れて。
千年もひとりぼっちで気持ちを持て余し続けて、レイチェルは疲れてしまった。
疲れたの、もういやなの、と泣き続けるレイチェルを、アマンダは優しくそそのかす。
「それなら、レイチェル。私と一緒に魔女の国へ行く?」
「行きた……!」
反射的に行きたいと答えようとして、レイチェルの言葉が詰まる。
頭の裏側で、誰かの影が自分を呼んでいる。
レイチェルはじっとアマンダの新緑の瞳を見つめた。アマンダは不思議そうにこてりと首を傾げる。
「どうしたの、レイチェル?」
「……アマンダ、魔女の国にはガンドルフはいる?」
頭の中の影を鮮明にしようと目を瞑れば、呼んでいたのはガンドルフだった。
短く刈ったアッシュグレーの髪に、誠実な強さを持つ琥珀の瞳。身体は大きくて、逞しくて、アマンダとは違ってちょっぴり汗臭い。
そんなガンドルフとレイチェルは約束をした。
羊を、生きている羊を見せてくれるって。
魔女の国に行ったらその約束は果たされるのか分からなくて、レイチェルは不安そうにアマンダを見上げた。
だけどアマンダは笑う。楽しそうに笑って嘯く。
「いるわよ? だって私がガンドルフだもの!」
レイチェルの虹色の瞳が揺れた。
「……う」
「レイチェル」
「ちがう……」
レイチェルが顔を伏せて絞り出すように言えば、アマンダが優しく抱きしめてくれた。背中を撫でて宥めてくれた。
でもそれも、全部違う。
「ガンドルフはね、私がアマンダって呼ぶと怒るの。違うって怒るの。アマンダの魂を持ってるけど、エルダーの血を引いてる。姿かたちが全然違う。在り方だって違う。ねぇ、アマンダ。教えて、アマンダ。――彼は、誰?」
いつの間にか、レイチェルの姿は成長していた。
黒曜石のような色の髪は腰まで伸びて、手足も牝鹿のようにしなやかに伸びる。アマンダが着ていた胸元が大胆に開いたドレスがぴったりと着れるくらいの、大人の女性になっていた。
アマンダとお揃いのドレスを着たレイチェルがゆっくりと立ち上がる。レイチェルの視線はアマンダと同じ高さに追いついていた。
アマンダが満足そうに微笑みながら、レイチェルから一歩離れる。
ゆっくりと指揮をするように両手をあげた。
「レイチェル、千年は長かったわね。エルダーが理解していると思ったから彼に託したけれど、長い年月で願いは歪み、たわみ、ねじれて、失われてしまった」
歌うように言葉を紡ぎながら、アマンダは腕を揮う。アマンダの指先を追いかけるように光の粒子が尾を引いていく。
レイチェルは彼女の言葉の意味が分からない。分からないから不安にかられて、離れた彼女に一歩近づく。
「アマンダ……?」
「そうよ、私は喝采の魔女アマンダ。世界の終焉を喝采した女。英雄となった咎人に願いを与えた女。そして――人類に望まれなかった可哀想な子どもに、永劫を与える女!」
アマンダが両手を振り上げた瞬間、レイチェルの身体に力の奔流が迸る。
あまりにも膨大な生命の力。魔女が魔力と呼ぶ力。魔圧で髪もドレスも巻き上がる。苦しいほどの力が、レイチェルの全身に迸っていく。
だけどレイチェルは気がついた。レイチェルは知っていた。レイチェルはこの力を一度、身をもって、感じていて。
それは、そう、千年前の。
「さぁ、レイチェル。千年前、喝采の魔女の半分を受け取り怨嗟の竜として生まれ変わった貴女は、かつてのあの日に、もう半分の力を継いで完全な魔女になった。二つに分かれた力が一つに戻った。だからきっと見えるはず。今まで見ていなかったものだって、本当は見れるはずなのよ」
「見える、って」
アマンダは微笑む。微笑んで、大地を指さした。
いつの間にか、大地には複雑な幾何学線が幾重にも引かれ、淡く輝いている。
「進化の魔女ダーヴィンが大地に刻んだ辰星の予言書には全てが書いてあるわ。それを解読して、彼を助けてあげて。……私がかつて、貴女にしてあげたように」
レイチェルの目が見開かれる。
「待って、それって、アマンダ……!」
「大丈夫よ、レイチェル」
アマンダは微笑んでいる。
記憶よりもずっとずぅっと愛らしく凛として、誰かを、何かを祝福するように微笑み続けている。
「私がいなくても彼がいる。だから寂しくないわ!」
アマンダにとんっと突き放される。
レイチェルの瞳から涙がこぼれた。
アマンダはひどい。
千年前も、千年後も変わらずひどい。
だってアマンダの掌は、とっても優しくて温かかったから。もう一度その手を握りたいと思ってしまうから。それなのに握らせてくれないのだから、アマンダはひどい。
なんとなく。
千年前、エルダーがアマンダに、ひどい人だ、と伝えた意味が分かった。




