「お誕生日おめでとう、私の竜」
かつて幼い少女が置いて行かれたのは、魔女が住むという森だった。
少女の生まれた村は昨今の竜災の影響を受け、荒れ果てていた。男だけが竜の病にかかり、どんどんと死んでいく。女子供ばかりが残り、畑は痩せ細った獣に食い散らかされる。
最初に穀物がなくなり、次に井戸が枯れた。すかすかになった木の根を齧っても腹は膨れず、肌を焼く雨で喉を潤す。
ない子種を育てるのは食うためだった。
赤子は食うために産み落とされる。死んだまま産み落とされて、生きて産まれても絞っても出ない乳のせいで死んで、女も栄養の行き届かない身体で子供を生んで、産み落として死んで、そして食われて。
この世に地獄を具現化したような有り様だった。
だけど少女が生まれたのはそんな村。少女がもしまだ働くこともできないほど幼かったら、自分も父母に食われた弟妹たちのようになっていたのかもしれないと感じていた。
だから少女は自分が幸せだと思っていた。父と母はたった八歳の少女を働き手として、最低限生きるだけの糧をわけてくれたから。それでもこの村にいる限り、子供には終わりが来る。
ある時、魔女の森は実りが多いという噂が村中で囁かれた。村人たちは魔女の森に行くか行かないかをよくよく相談した。
もともと、魔女に関する迷信は昔からあった。
魔女は人間を生贄にして不思議な力を使う。この世の災いは魔女が竜に命じてやらせている。魔女は人間を深く恨んでいる。
魔女の領域は昔から、生きて帰る者がいないと言われていた。だからこそ村人も、魔女の森に実りがあっても命惜しさで不用意に入ったりしなかった。
そんな森に立ち入ったのが、少女の父親だった。
少女の父親は竜の病に侵されていない貴重な男だった。女に物を食わせ、子を産ませ、それを村人でわけあって食う。彼は常におぞましい慣習の中心にいた。
少女の父親は食うものがいよいよ尽きたのを知り、少女と共に森にわけいった。そして少女に言いつけた。
『食べ物を見つけてくるまで帰ってくるな』
おそらく、食べ物を持って帰ったら儲けもの程度の、厄介払いだったのだろう。少女は痩せすぎていて、食いでのない身体つきだったから。
そうと知りながらも、少女は言いつけのとおり食べ物を探した。
だけどまともに食べることもできずに、常に飢えていた少女の体力は虫のよう。一日歩き通せば、倒れて動けなくなった。
(私、ここで死ぬのかな)
死ぬというのはどんな感覚なんだろう。
痛いのかな、苦しいのかな。
(私が死んだら、誰が食べてくれるんだろう)
森の獣だろうか、それとも森の主である魔女だろうか。
朦朧とする意識の中で、静かに息をする。
ただそれだけ。
何も思わない。
何かを考えるのも億劫になった時、少女の頭上が陰った。
最初、少女はそれを獣だと思った。
獣は食べ物だ。父だったら獣を狩れただろうに、と少女は思っただけだった。今から自分が食われることすら想像がつかないほど、思考が鈍っていた。
少女が苦しむ前に眠りにつこうとした時、その痩けた頬に暖かいものが触れた。
「可哀想に。まだこんなに幼いのに。なんで子供ばかり、こんな思いをしないといけないんだ……!」
それは声だった。言葉だった。心だった。
少女はその言葉が自分に向けられているなんて露とも思わなかった。
でも優しい手つきで身体を起こされ、おぶわれ、ぷらぷらと足が揺れているのを感じれば、それがようやく自分に向けられていた言葉だと自覚した。
重たい瞼をのろのろと持ちた上げた少女が見たのは、太陽のように明るい金の髪色で。
その明るい色をぼんやりと見ているうちに、少女をおぶった誰かは赤い屋根の可愛らしい家までやって来た。
家の前には小さいけれど畑がある。その畑で野菜を収穫していたらしい紅い髪の女性が、少女と誰かの存在に気がついた。
「あらあらあら。エルダーったら、どこでそんなものを拾ってきたの!」
「アマンダ。すみませんが食事をさせてあげても?」
少女を背負った青年のもとへ女性が駆け寄った。
少女の具合を見て、ちょっと困った表情になる。
「もちろんよ! って言いたいけれど……駄目ね、この子はもう駄目ね。生命の力が尽きてるわ」
「そんなっ。どうにかならないんですか。この子は僕の妹と同じくらいだ。この子を救えないなら、僕はまた妹を見殺しにするのとおんなじだ……!」
青年もまた、竜災で家族を失っていた。失った家族を彷彿とさせる少女が死んでいくのをただ見ているだけというのが、青年の心の傷を深く刺激する。
それを知っている女性が青年の頭をよしよしと撫でて。
「そうね、そんなのは悲しいわね。それならエルダー、約束できるかしら。この子を貴方の妹のように扱ってあげれる? 優しく生かしてあげられる? 貴方がこの子を生かしてあげるの。それが約束できるのなら、私がこの子を生かしてあげるわ」
女性の言葉に、青年は少し躊躇うような素振りを見せた。いくつか逡巡して、躊躇いや迷いもあったけれど、それでも青年は頷く。
「……僕がこの子を必ず生かします。だからアマンダ、お願いです。この子を助けてあげて」
「分かったわ! その子を渡して頂戴」
女性は満足したように頷くと、青年から少女を受け取って、その心臓に掌を当てた。
「これはね、私の古い友人……進化の魔女ダーヴィンが魔女を生かすために創った魔法よ。動け、動け、私の子よ。祝え、祝え、芽を吹く大地。紡げ、紡げ、生命の縒り糸」
女性から星屑のように燦めく光が零れ出ていく。
優しい力の奔流に、さわさわと女性の紅い髪が揺れる。意識のない少女の、ほつれだらけのワンピースもゆらゆらと揺れる。女性の導きで、途方もない力がゆっくりと少女に注がれていく。
青年はそれを静かに見守って。
やがて女性から溢れる光の粒子が全て収まると、死人と見間違うほどの色だった少女の頬に赤みが差した。
アマンダは微笑む。微笑んで歓迎した。
「お誕生日おめでとう、私の竜」
少女の左胸には、魔女の眷属である証の紋様が浮き出る。
これが、世界最古の竜種の誕生で。
魔女アマンダと英雄王エルダー、そして竜種レイチェルの始まり方だ。




