「君から見て、世界最古の竜種は壊れていたかい?」
王城の敷地内には幾つもの建物がある。
そのうちの一つ。王城の中枢部から宝物庫へ続く庭園回廊を歩いていると、どこからともなく静かな影が現れて跪いた。
影が膝をつくのは、ガンドルフとともに回廊を歩いていたアベラルド王太子。影の小さな声を断片的に聞こうと耳を済ましても、ほんの一歩離れた距離でさえ、王太子直下の隠密の声は届かない。
影が去ると、アベラルドが穏やかな微笑を浮かべ、ガンドルフへと振り返った。
「大暴走発生を確認したそうだ。古竜の大森林に近い国民の避難は済んでいるけれど、念の為、計画通りに砦へ向けて魔獣たちを誘導してもらう。ガンドルフ、これが頭を使うということだよ。いつ起こるのか分からないなら、起こしてやればいいんだ」
こともなげに話すアベラルドに、ガンドルフが苦虫を噛み潰したような表情になる。
王太子曰く、大暴走の理屈が分かっているのなら、先手を打てば良いとのこと。
世界の何かを調律してるらしい世界最古の竜種の意識をそらして、魔獣を一匹でも多く殺せば良い。殺せば殺すほど、大暴走が起こしやすくなるのなら、その前に大暴走の原因である魔獣たちを根絶やしにする勢いで狩り尽くせ、と彼は言った。
ガンドルフはそれを止めたかった。王太子の作戦では騎士たちの生存率が極めて低い。訓練された騎士であっても、あの世界最古の竜種と真っ向から対峙できる者はいない。できるとしても、イレネオか、第一部隊長くらいだろう。
王太子をこちら側に引き入れたいとは思っていたが、無茶な作戦の容認をすることはできなかった。だから直訴をしようとしたところ……ガンドルフは王城に軟禁された。その間に、王太子がガンドルフの名前を使い、イレネオへ直接指示を出したらしい。
王太子がゆったりとした足取りで歩き出したので、ガンドルフもそれに続く。
ようやく軟禁から開放されたと思ったら、散歩をしようと言われてこんなところまで連れてこられた。ガンドルフの堪忍袋の緒はずっとぴんっと張ったまま。
「……それで、お話とは。そのような作戦ならなおのこと、前線指揮から騎士団長たる私を離しては、戦力不足になるのではありませんか」
「焦らない、焦らない。君とこうしてゆっくりと話す機会は、そうそうないのだから」
「ゆっくりしていたら、死人が増えるだけです」
「君は本当、根っからの騎士だねぇ」
くすくすと笑うアベラルドに、ますますガンドルフの眉間に深いしわが寄せられる。
騎士の生死がかかっているのに笑っている王太子。ガンドルフは失望しそうになるけれど、なんとか踏みとどまった。その態度がいつもと違って、どこか悟ったようなものだと感じられたから。
「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだい」
「貴方は私のことを嫌っていると思っていたのですが」
良い機会だと思った。
人払いしているのか、隠密の護衛以外は周囲に人がいない。公的な護衛じゃない隠密に聞かれたところでどうこうもできないと踏んで、ガンドルフは思い切って問いかけた。
王太子は歩きながら、肩越しに視線だけで振り返る。
「どうして?」
「公式の場では私を避けますし、接触も最低限です。騎士団の任務に関しても、私が騎士になってからは、危険な単独任務を振られることもありましたから」
それに騎士団長になってからは立場上、顔を合わせる機会も多い。そうなったら今度は嫌味が増える。ガンドルフとしては、避けられるなら避けたい側の人種だった。
前を歩くアベラルドがちょっとだけ肩を竦める。居心地が悪そうに身体が揺れた。
「うん、ごめんね。若気の至りというのと、僕自身がどうすればいいのか分からなかったことの、迷走の果てだよ。許してほしい」
若気の至りって言っても、アベラルドはまだ二十歳になったばかりだ。若くして騎士団長を務めているガンドルフとそう歳は離れていない。それでも年の離れた弟くらいの感覚の年齢差ではあるけれど。
ただ、言ってることは、実の弟だとしても。
「許してほしいの度を越えていると思いますが」
「そうだよね、うん。でもその償いはこれからするからさ? ……まぁ、君が生きていたらだけれど」
ガンドルフは視線を鋭くさせる。
庭園回廊を進むアベラルドの歩みは淀みない。やがて簡素でありながらも剛健な建物が回廊の先に見えてきた。
その建物を見据えながら、アベラルドは話し出す。
「王家にだけ伝わる話がある。君も英雄王の血を継ぐからね。これを聞いた上で、どうするか選ぶといい」
「選ぶ、ですか。それに私が英雄王の血を継いでいると知って?」
ガンドルフの片眉がぴくりと跳ねる。
王太子にまわした報告書には、ガンドルフが魔女アマンダの魂を保有してることしか書いていなかった。
イレネオにまとめさせた英雄王の血筋と分かった該当者のリストにも載っていない。貴族籍であるガンドルフの家系図をさらっても、王家の血筋との関わりはなかった。平民の騎士たちとは違い、貴族籍でありながら確証が得られないのはただの言いがかりで、不敬にしかならない。だからこそ、リストからは除外させたのに。
ガンドルフの言いたいことを察してか、アベラルドは肩越しにこちらの様子を伺ってきた。
「何故、と聞いたそうだ。でもね、今回のことがなくても知っていたよ。父から教えてもらった。貴方は私の異母兄だとね」
「異母兄……!?」
「そう。本来なら、貴方がこの国の第一王子だ」
自分が王子……?
ガンドルフの足が止まる。
アベラルドとの距離が離れていく。
ハッとして、ガンドルフは前を行く人物の背中を追った。
「そんな冗談は」
「冗談じゃないよ。貴方の容姿が母親似だったからこそ、知られなかっただけだ」
アベラルドは語りだす。
ガンドルフ自身も知らなかった、出生の秘密。
約三十年前、陛下が若くして即位した頃。ちょっとした気の迷いで手を出した侍女がいた。侍女は結婚を控えていて、その後すぐに領地へと帰ってしまったけれど……結婚後、かなりの早産で子供を産んだと報告を聞いたらしい。
「陛下は蒼くなったそうだよ、本当の早産じゃなければ、月齢があってしまうって。歴代の王家にはたまに、こうして羽目を外す大馬鹿者がいたわけだ。市政にいる英雄王の血筋はそういう者たちだよ」
アベラルドの口から語られた秘密に、ガンドルフは愕然とした。そうして同時に、母がどうしてあんなにも自分に厳しかったのかと気がついた。
ガンドルフが父と慕った人のように、騎士を目指していたからじゃない。誠実であれと言われ続けたのは、おそらく母自身にも言い聞かせるためだったのかもしれない。
父は知っていたのだろうか。ガンドルフが自分の子ではないことを。
でも、知っても知らなくても、父は騎士らしい誠実さをもって自分を育ててくれた。グレイマン家が、誠実という言葉を体現するような家であったことは間違いない。
両親のことに思いを馳せながらも、今始めて知った異母弟と実父に対しては、やはりどこか複雑な気持ちになる。
不敬と分かっていながらも、あえて言わせてもらえるのならば。
「……爛れていますね」
「本当にね」
王太子であるアベラルド自身も同意してしまった。
愚痴るようにその本音が溢れてくる。
「これを直接父から聞いた私の気持ち、察してくれる? 父の不義で生まれた兄がいる。王室法であれば第一王子であり、王位継承権第一位になる人だ。もしがめつい老害たちに知られたら、無駄な争いになりかねない。騎士のうちに排除できればと思っていたのに……まさかめきめきと功績を上げて騎士団長になるとはね。私の異母兄上は本当にお強い」
「良い鍛錬になりました」
「嫌味かな。あぁ、ここだよ」
嫌味を言っているのはアベラルドのほうでは、と思いながら、ガンドルフは足を止めた。
アベラルドが立ち止まったのは小さいながらも警備が厳重な建物。ガンドルフはあまり近寄らないけれど、ここが宝物庫であることは知っていた。
扉の前には二人の衛兵が立っている。アベラルドは衛兵に近寄ると、宝物庫の扉を開けさせた。アベラルドとガンドルフの二人だけが、宝物庫の中へと入る。
その名の通り、国が所有する宝が保管されている部屋だ。年に一度、一般公開されることもあるので、入ってすぐの部屋は美術館のように展示ケースで飾られているものが多い。
その宝物たちの間を、アベラルドは迷いのない足取りで進む。
「それで、今お話しされたのが、王家にだけ伝わる話でしょうか」
「まさか。それはこっち」
アベラルドがようやく足を止めたのは、壁にかけられた一振りの剣の前だった。
この国で一番古いもの。
伝説やお伽噺だけに収まらない、創世記が具現化されたもの。英勇王エルダーが魔女の心臓で作り、人類悪となった竜種を屠ったとされる剣。
騎士は皆、一度はこの剣を見る。
叙任式の際、国王がこの剣を持って式典をするからだ。国王の戴冠式の際にも使用されるそうで、この剣こそ王国の、世界の象徴と言われるもの。
アベラルドがその剣を見上げたので、ガンドルフも同じように剣を見上げた。
「これが英雄王の剣だ。英雄王はこの剣とともに、子孫へ遺言を残した。『いつか、最愛の竜が壊れてしまったら、その時にこそ最後の約束を果たせ』ってね」
ガンドルフは剣から視線を外し、アベラルドを見る。アベラルドは変わらず剣を見上げていた。
「約束……? 英雄王は誰かと約束をしていたのですか」
「東の森の世界最古の竜種に、この魔剣アマンダを返却することを約束していたそうだよ」
「最愛の竜というのは」
「おそらく、世界最古の竜種のことだろうね。英雄王によって、彼女以外のすべての竜種は滅んだから」
ガンドルフの中に怒りが湧く。
なんて身勝手なことか。さっさとエルダーがこの剣を返却していれば、あの少女は苦しまなかったはずだ。笑いながら怒り、心を引き裂かれるように慟哭する。あんなにも狂気をまとうようにはならなかったはずなのに。
でも同時に、心の底では何かがそれを否定した。エルダーの身勝手で世界は救われたのだと。あの少女も救われるのだと。
……救いと言うのだろうか。
エルダーが滅ぼした少女の同胞。世界で一人ぼっちの彼女に与えられたのはなんの救いなのか。
分からない。
分からないのに、心の中の何かが彼女は救われるのだと主張する。
ノイズがかかったかのように思考が何者かと混ざった。自覚したガンドルフはハッとして頭を振る。
「……それで、殿下が私に選べと言うのは」
「君から見て、世界最古の竜種は壊れていたかい?」
アベラルドがゆっくりとガンドルフへ視線を向ける。
短い期間、それもたった数度の邂逅でしかなかったけれど、ガンドルフはあの少女が朗らかに笑う表情を知っている。楽しそうに笑いながら、狂気に飲み込まれそうになる瞬間も目の当たりにした。
あの少女の心をあんなになるまでにしたのは、やはり英雄王だという気持ちが強い。
ガンドルはまっすぐにアベラルドを見返した。
「もし、壊れていると言ったら」
アベラルドは微笑む。
「もちろん、君がこの剣でもって討伐するんだ」
英雄王の子孫は、為政者らしく答えた。




