「みんなで楽しく、スタンピードの開演よ!」
今日も空は青く澄み渡っている。
レイチェルは針葉樹天辺まで飛翔すると、視線を森の外のほうへと向けた。
最近、ガンドルフがこない。
牧場に連れて行ってくれると約束してから、もう十日も会っていない。
レイチェルの支配領域を侵そうとする有象無象はいるくせに、その中にガンドルフはいなくて、レイチェルはちょっと不満だ。
「ふふ、今日もお客さんがいっぱいね。でもだめよ。エルダーの血はこの森に入ってきたら」
レイチェルは歌うように囁やきながら、眼下に広がる命を掌で掬う。
「……あら? あらら?」
ひぃ、ふぅ、みぃ、と、エルダーの血を持つ命を数えようとして、首を傾げた。
「エルダーの血がいない。不思議ね。それに私の魔獣たちがすごい勢いで死んでいく。だめよ。これじゃあ、大地の血管が乱れた時の逃げ場が足りなくなっちゃ――」
レイチェルの目前できらりと何かが光った。
針葉樹の上、踵を下げて、レイチェルはゆっくりと背中から落ちていく。レイチェルの目前を、寸での差で槍が通過していった。
レイチェルは自由落下の中で、くるりと身体を折る。
「ひどいわ、ひどいわね、エルダー。そんな所にいるなんて。あなたの末裔はなんて手癖が悪いのかしら!」
着地。からの疾駆。
レイチェルは槍が飛来した森の入り口へ向かって風のように駆けた。
レイチェルが走れば森の端まであっという間。
森の一歩先。そこに沢山の命の気配を感じる。さらにその命たちの向こうには、櫓のようなものが建てられていて。
その櫓の上に男がいる。夜色の髪を持つ男。その男がレイチェルに向かってまた槍を投擲してきた。
「広がれ、広がれ、私の森よ。呪え、呪え、血を吸う大地。塞げ、塞げ、闇の茨!」
レイチェルが唄えば、森から櫓まで一直線に道ができる。道から紫色の茨が生えて、槍を弾いた。その間にも夜色の髪の男からの直線的な攻撃は止まない。
魔術加速を用いる槍の投擲。
副騎士団長イレネオの十八番だ。
槍の後ろから寸分違わずに槍が投擲される。
一本目を茨で弾いたけれど、二本目への防御が間に合わなかった。
レイチェルの腹に槍が刺さる。
「やったか!」
まだ櫓までは距離がある。あるけれど、有象無象のざわめきに紛れて、槍の投擲主がレイチェルを仕留めたと一瞬だけ期待した声が聞こえた。
レイチェルは笑う。くぷりと腹からせり上がってきた血を口から吐き出して、にっこり笑う。
「くふ……竜がこれで死ぬと思ったの?」
森の中でレイチェルの茨に絡め取られた騎士も。森の外でこちらに剣を向けている騎士も。櫓の上から槍を投擲した副騎士団長も。
全員がレイチェルを見て、息を呑む。
全員の視線を集めて、レイチェルは笑う。
「ねぇねぇねぇ、これで死んで欲しかったの? ふふ、うふふふふ! これで死ねるのなら嬉しいわぁっ!」
腹を貫いた槍に手を添える。レイチェルはぞくぞくと背筋を駆け上がっていく何とも言えない感触に頬を紅潮させた。
これは何というのだったか。
快感、というのだったかしら。
「なっ、に……!?」
「素敵な装飾品、返してあげる!」
レイチェルは腹から槍を引き抜くと、櫓の上にいる夜色の髪の男めがけてその槍を撃ち込んだ。
イレネオが櫓から飛び降りる。騎士たちはレイチェルへと向かって剣を向けると、魔術を展開する。
それを見て、レイチェルは両手を広げた。
両手の先から、レイチェルの血がぽたぽたと大地に落ちていく。腹の傷は大地の血管から吸い上げた生命の力によって修復された。竜種の特権だ。
「広がれ、広がれ、私の森よ。呪え、呪え、血を吸う大地。塞げ、塞げ、闇の茨」
森の侵蝕が始まる。
魔獣たちが集結し、人間たちに牙を剥く。
レイチェルは目前の人間たちに向けて、掌を掬うように合わせてみせた。そして、ここにいない過去の亡者に向けて告げる。
「ねぇ、言ったでしょう、エルダー? 末代まで祟ってやるって。私、ちゃぁんと約束を守っているの」
虹色の瞳孔が大きく開かれた。
森の、魔獣の、少女の。
すべての雰囲気が一変する。
穏やかだったものが悍ましく。可憐だったものが惨たらしく。鮮やかだったものが灰になる。
女王レイチェルの支配する古竜の大森林が、その掌を返す。
「総員、構えろ! 死力を尽くして国を守るぞ!」
「今日はすごく気合が入っているのね!」
「我らが王のご命令ですので……!」
イレネオが号令をかけるやいなや、レイチェルに肉薄した。魔術で加速した槍に体重を乗せて翔んだイレネオの速さは尋常ではない。
でも、その尋常を上回れるのがレイチェルだ。ダンスのステップを踏むようにして、イレネオの槍を避けていく。
避けながら、じわじわと自分の支配域を、古竜の大森林を、少しずつ広げていて。
「えぇ、えぇ、好きなだけ暴れるといいわ! あなた達が死ねば死ぬほど、殺せば殺すほど。怨嗟の声で祝福されて、この大地で新たな生命を得られるの。あなた達が魔獣を生み出すの……! 私の可愛いお友達をね!」
「魔獣がお友達ですか!」
いつかのガンドルフと同じ言葉。
けれど、今のレイチェルはそんなことを思い出す余裕もなくて。
「えぇ、そうよ! さぁ、あなたも私の舞台においでなさいな!」
レイチェルが指先を伝っていた血を散らした。
イレネオの足元へ紅い雫が飛んでいく。
「広がれ、広がれ、私の森よ。呪え、呪え、血を吸う大地。塞げ、塞げ、闇の茨!」
イレネオの足元がレイチェルの支配域と化す。大地の血管との接続もできるようになった。その証に逼迫したイレネオとレイチェルの間に、紫色の茨が出現する。
「……っ、これだけやっても、まだ余裕があるみたいですね……! さすが世界最古の竜種と言うべきでしょうか!」
「褒めていただけて光栄よ!」
イレネオが後退し、間合いが開く。
レイチェルは虹色の瞳にイレネオを映す。
彼は、違う。エルダーの血じゃない。エルダーの血じゃないけれど、命を殺しすぎた。
故に。もちろん。全力で。――叩き潰す。
それがこの古竜の大森林の役割だから。
大地の血管から過剰なほどの生命の力が雪崩込む。
レイチェルの虹色の瞳がひときわ美しく燦めいて。
これから始まるのは蹂躙だ。
生命を失った世界による、調律という名の蹂躙だ。
死にすぎたから。
命を失いすぎたから。
もう止められない。
大地の血管が、辰星の予言書が、正常と判断するまで止まらない。レイチェルを通して、生命の力が眷属たちに分配されていく。
レイチェルは笑顔で告げる。
「さぁ、始めましょう! みんなで楽しく、大暴走の開演よ!」
竜の少女の朗らかな声が、呪われた大地に響いた。




