「これは立派な脅しですよ!」
ガンドルフは全力で馬を走らせると、騎士団本部に帰還した。途中、砦に寄って緊急時の対応を指示してきたけれど、忙しくなるのはこれからだ。
騎士団本部の建物では帰還の知らせを聞いたイレネオが待っていた。着の身着のまま、ガンドルフは移動する時間も惜しいと言わんばかりに、廊下で話を切り出す。
「二ヶ月後には大暴走が起こる。それまでにどうにかするぞ」
「二ヶ月後ですか!?」
案の定、イレネオが目を剥いて一瞬歩調が乱れた。
でもすぐにガンドルフの背中を追いかけてきて、その情報源を確認してくる。
「世界最古の竜種がそう言ったので?」
「ああ。我々はとんでもない勘違いをしていた」
「勘違いですか?」
「古竜の大森林は侵してはいけない。あれは世界の自浄作用だ」
「自浄作用……?」
イレネオが困惑気味に聞き返してきた。
ガンドルフは馬上で何度もレイチェルの話を反芻していた。それで至った結論に、大きく頷く。
「世界最古の竜種は世界の管理者として、魔獣たちを抑制している側だった。『大暴走を防ぎたかったのか』と聞かれたぞ。俺たちが古竜の大森林の侵蝕を防ごうとしたのは間違いだったらしい」
理屈としては理解できないが、仕組みとしては理解できる。イレネオも理解したのだろう。ガンドルフの背中から、混乱したように声をかけてくる。
「待ってください、意味が分かりません。大暴走は世界最古の竜種が起こしているのではないのですか」
「違う。世界最古の竜種は大暴走を起こさないようにギリギリまで抑えている側だった。古竜の大森林が広がれば広がる分、世界最古の竜種の支配域が増えて、大暴走は起こらなくなる」
レイチェルの言葉が正しければ、彼女自身が人間のための防衛機能のようなものだ。
皮肉が過ぎる。
人類を脅かす世界最古の竜種が、人智が及ばないものへの防衛手段になるなんて。
イレネオが口を閉じた。ガンドルフの話を冷静に分析しているのだろう。ひと通り考えがまとまったのか、重々しく話しだした。
「……言いたいことは分かります。ですがこれは、脅しのようなものですよ。国で考えてみてください。自分の支配域で争いなんて起こす君主はいません。それと同じです。これは立派な脅しですよ!」
「たとえそうでも、二ヶ月後に大暴走が起こるのは変わらん」
言い募る部下に、ガンドルフは諦めたように首を振った。事実は事実だ。あの場面でレイチェルが嘘をつく理由がない。
わざと大暴走を起こしているのなら、あの場ですぐに発生させることだってできたし、騎士たちが古竜の大森林に踏み入った瞬間にけしかけることだってできたはずだ。
だけどレイチェルはそうしていない。
魔獣たちを騎士たちにけしかけはしたけれど、想定の範囲だった。対応できないほどの魔獣はいなかったし、統制のとれた魔獣は古竜の大森林から出たがらない。
それにもっと言えば、レイチェルにとって魔獣たちは家族のような存在に見える。無益に殺すなんて発想は持っていないように感じられた。
レイチェルと関わるにつれ、ガンドルフは自分の判断が甘くなっているのかと思う時がある。理性では疑えと言っているのに、本能はレイチェルを信じろと主張してくる。じわじわと、レイチェルによって眠っていたものが起こされるかのように。
これがアマンダの魂を持つということなのだとしたら、少し怖い。
自分が人類の敵になりかねないとしたら、隣りにいるイレネオはどうするだろうか。……いや、必ず切り捨てるはずだ。そうでなければ副騎士団長なんて務まらない。
そしてガンドルフだって、人類の敵側にまわらない。騎士団長として最善を尽くすのみ。そう在るべきだ。
だからこそ、大暴走を。
「どうにかするぞ」
「どうにかするって……どうするんです」
騎士団長用の執務室のドアノブに手をかけたところで、イレネオが刺々しい言い方をした。
「上層部にかけ合って信じてもらえますか? 大暴走が実際に起きるのであれば、国家規模で物事が動き出します。腰の重い御老体たちが貴方の言葉で頷くとは限りませんよ」
執務室に入るやいなやの厳しい言葉。
騎士団に対して関心の薄い上層部に対するこれまでのあれそれで、イレネオが吐き捨てるように言った。もちろんガンドルフだって分かっている。だからこそ、次の一手は決めている。
「王太子を味方につける」
「王太子ですか」
外套を脱いだガンドルフは、視界にかかった前髪をかき上げながら執務机に座る。イレネオが正面に立って、非難するような視線を向けてきた。その視線をいなすように、ガンドルフは弁じる。
「うちの王太子は優秀だ。自分の足もとを盤石にすることに余念がない。平時であれば騎士団との関わりはないが、大暴走となれば、俺たち騎士団との信頼関係を築くのに絶好の機会になる。これを逃しはしないはずだ」
「そうですね。両手を挙げて同意します。しますが、あなたは王太子と仲が悪いじゃないですか」
ガンドルフはそろりと視線を逸らした。
何故か王太子であるアベラルドはガンドルフを目の敵にしている。表向きは差し障りのない対応をするものの、ガンドルフ個人に対しては地味に嫌な嫌がらせをしてくる。
嫌味程度ならまだ可愛い。今回の古竜の大森林攻略も、王太子によるガンドルフへの嫌がらせの一環で、やたらと要所要所で手間をかけさせられる場面が多かった。
たとえばガンドルフが愛剣を手入れに出す。通常なら二、三日で戻って来るのに、王太子が武器庫の一斉点検をねじこんで一ヶ月かかった。愛剣が戻って来るまで支給用の剣を使っていたけれど、自分の膂力で破損しないかひやひやした。
たとえばガンドルフが各騎士団部隊の訓練に向かう。都度都度、視察と言って現れては、訓練が温いだの過剰だのと言って物申す。もちろん、訓練メニューは各部隊長と相談の上で適切なものを行っている。最初は真面目に聞いていたガンドルフも、ただの嫌味だと気がつくのはすぐだった。
他にもちまちまとした嫌がらせがある。
イレネオも、そんなガンドルフへの嫌がらせの煽りをくっているものだから、王太子と協力関係を結ぶのに否定的だった。
とはいえ、昔はそうでもなかった。ガンドルフが部隊長だった頃は、年が近かったからか気さくに話をしていた。王太子との関係が悪化したのは、ガンドルフが騎士団長になってからだった。
ガンドルフは悩ましい。昔の王太子だったら、こんなにも悩んだりしなかっただろうに。
どうして彼の機嫌を損ねてしまったのか、それだけがガンドルフには分からない。分からないから、改善することができないでいる。
椅子に深く腰掛けて、肺の中の空気を全て押し出すように息を吐いた。つられたようにイレネオもため息を吐いている。
「どうするんですか。味方につけたい人物が、今一番の敵ですよ?」
「……じゃあ宰相に直接、話をつける」
「それができないから、王太子を頼ろうとしたんじゃありませんか。一番の頑固者は宰相です」
「……」
ガンドルフは頭を抱えて机に突っ伏した。
王国の上層部は頭の堅い人間が多すぎる。地位的にガンドルフは国王に直接進言ができるけれど、上層部を無視して根回しなしで何かをやると反発を買いすぎる。
不用意な行動は自分の首を絞めかねない。先日の古竜の大森林攻略に失敗した時のように、非難轟々されるに決まっている。あれは無茶な攻略を提案した王太子が悪かったんだが。責任を取らせれるのはいつだってガンドルフだ。
騎士は実直であり誠実であるべきだ。
騎士団長は常にそういう姿が求められる。求められるからこそ、イレネオのような腹芸のできる副官がつけられる。
騎士団長になって三年。象徴としての姿が板につきすぎて、ガンドルフは表立って上層部に強く反発するのははばかられた。そうじゃないと騎士たちに示しがつかない。騎士団長の姿を投影した彼らによって、造反などになったら目も当てられないから。
騎士団トップ二人は深すぎるため息をついた。
上層部よりも世界最古の竜種を懐柔したほうが、はるかに楽な気がしてくる。
「……はぁ、まぁ、いいです。報告書を書いたらください。私が王太子にまで報告を上げますから」
「すまない、イレネオ。今度、飯を奢る」
ガンドルフが報告書を書くべくペンと紙を用意する前で、イレネオがとてもよい笑顔になった。
「西区に美味しいワインを出す店があるんです。そこで」
「分かった」
ずいぶんと上機嫌になったイレネオに、ガンドルフの頬も少し緩む。イレネオはワインに口うるさい。そんな彼が行きたがる店だから、間違いなく美味しいのだろう。
食事という楽しみができた二人の間に、強い結束力が生まれた。
「それじゃ、さっさと報告書を書いちゃってください」
「もちろんだ」
「それと、私が王太子に掛け合っている間、あなたは世界最古の竜種のご機嫌を伺っておいてくださいね」
報告書にペンを走らせたばかりのガンドルフが書き損じた。
世界最古の竜種のご機嫌伺い。
ガンドルフはペンを持ったまま、また頭を抱えてしまった。ペン先からインクがぽたりと落ちる。書き始めたばかりの報告書にインクの穴ができてしまった。完全に書き直しだ。
ガンドルフはため息をつきながら、紙を取り替える。
「ご機嫌伺いって言われてもな……そんなことよりも騎士団の強化をしたほうがいい」
「そんなこと、ではありません。重要任務です。できるだけ交流して、こちらに有利な方向に持っていってください。森の侵蝕方向を被害が最小にできるほうにするとか」
さすがイレネオは有能だった。
相手が知的生命体であると確信した途端、一計を案じる方向に舵をきってきた。
とはいえその方法はガンドルフ任せ。ガンドルフはペンにインクを付けながら首を振る。
「そんなことを言われても、どうしろと」
「向こうの精神年齢が幼いのなら、お菓子でもぬいぐるみでもいいので、買って行ってみてはどうですか」
ガンドルフは考える。
レイチェルの精神年齢はたしかに幼い。ただ幼いだけではなく、すごく大人びた瞬間も垣間見える。
千年の孤独がレイチェルにもたらしたものに思いを馳せながら、ガンドルフはイレネオの提案を一考してみる。
「ぬいぐるみか……」
「おすすめは、ファニー通りのジニアス雑貨店です」
「詳しいな」
「こんなこともあろうかと、調べておきました」
「……ほんと、妙なところで有能だな、お前」
こんなことなんて、どんなことだ。
まさか前回の今回で、世界最古の竜種にぬいぐるみを贈ることを読んでいたのだろうか。
ガンドルフは部下の有能さに恐れ慄いた。




