『隣の席の田中くんが異世界最強勇者だった件』（短編版）
「空気」だった彼が、ある日、異世界最強の勇者に？
私だけが知ってしまった、隣の席の秘密。これは、その始まりの物語――。
教室の隅、窓際の席に座る田中健太くんは、クラスの中で完全に「空気」と化していた。背はひょろひょろと頼りなく、いつも猫背でボサボサの黒髪は前髪の奥に所在なさげな目を隠している。制服のシャツは、きちんとアイロンがかかっているのを見たことがないし、今日も例えば襟元が軽くヨレていた。彼はまるでこの世界に存在していないみたいに、クラスにいるのに、その存在を誰も気にしない。
隣の席に座る私だって、特別な彼を意識していたわけじゃない。ただ、席が隣だったから、たまに目に入るくらいの存在。地味で、おとなしくて、クラスにいつも一人でいる。いじめられているところを何度か見かけたけれど、何の反応もせず、まるでそれが当たり前の日常だとでも思っているみたいだった。
でも、私だけは違った。彼に対する周囲の反応は、どうもおかしい。何かが、根本的にずれている。私にはなぜだか、田中くんの「異変」がはっきりと見えていたのだ。
最初の異変は、体育の短距離走で起こった。いつもビリを走っていた田中くんが、スタートラインに立った時、私にはなんだか、ただ微かな胸騒ぎがあっただけだ。今日の彼は、いつもより少しだけ、背筋が伸びている気がした気がしたから。ピストルの音が鳴り響いた瞬間、それは起こった。「ビュッ！」と、まるでバネが仕込まれているかのように地面を蹴った田中くんは、矢のように私の視界から消え去った。あまりにも速すぎて、私には一瞬何が起こったのか理解できなかった。わずか一瞬で、田中くんは私の視界から外れた。
「え……？」
私は無意識に声を漏らした。だけど、私の隣で走っていたはずの女子たちも、一瞬は驚いたような顔をしたが、すぐに「気のせいかな？」「ちょっと速くなっただけだよ」と、まるで魔法にかかったかのようにその異常さを忘れていく。先生ですら「田中、意外とやるじゃないか」と笑うだけで、その驚異的な速さの理由を深く追求しようとはしなかった。
数日後の球技大会。怪我で交代選手がいないバスケットボールの試合で、誰も期待していなかった田中くんが代役としてコートへ出た。そこで彼は、信じられない跳躍力で相手のエースのシュートをブロックし、風のようなスピードでコートを駆け上がり、完璧なシュートを決めるという離れ業を演じた。チームは逆転勝利を収めたが、その試合のヒーローが田中くんだと認識しているのは、私だけだった。クラスメイトたちは、ただ「よく分からないけど勝てたね」と首を傾げるばかりで、田中くんの異常な活躍をすぐに忘れてしまったようだった。
私は、周囲の鈍感さに苛立ちを感じながらも、私だけが彼の秘密を知っているという事実に、特別な優越感と、同時に得体の知れない胸の高鳴りを感じ始めていた。期末テストでは全教科「5」を取り、家庭科の調理実習では神業のような包丁さばきを見せる。彼の異変は、学校生活の多岐にわたっていたが、それらも全て「普通」として認識されてしまう。
そんな中、いつものようにいじめっ子リーダーの大野裕太とその子分たちが、田中くんを絡んでいた。いつもなら無抵抗な田中くんが、今回は違った。彼は無意識のうちに、人を圧倒するような「気迫」と素早い動きで彼らを撃退し、混乱に陥れた。大野たちは何が起こったのか理解できず、その屈辱的な状況を学校の不良上級生に告げ口した。
私は、この一連の出来事を目撃して、田中くんが人間離れした存在であることを確信した。そして、不良上級生に呼び出され、校舎裏に向かう田中くんを心配して尾行した。
校舎裏で待ち受けていた不良上級生たちを、田中くんは呆れるほどあっさりと退けた。まるで彼らの存在が埃のように軽く、払うのが面倒だとでも言いたげな顔で。そして、その場に突如現れたチンピラ（ヤクザ）たちに対しても、彼は鮮やかな体術で次々と撃退していった。その動きは、まるで熟練の武術家のようだった。この衝撃的な光景を目の当たりにした私は、彼の強さと、誰にも知られていないその秘密に、強い憧れを抱いた。そして、その憧れは、かすかな恋心へと変わっていくのを感じた。
後半：異世界の扉、二人の始まり
あの校舎裏での出来事以来、私は田中くんを意識しない日はなかった。彼がいつまた「異変」を起こすのか、私は常に目を凝らしていた。そして、その日は突然訪れた。
放課後、人影まばらな廊下を歩いていた私の目の前で、田中くんが突然、眩い光に包まれたのだ。光は次第に形を成し、やがてそれは、どこまでも続く真っ白な空間へと続く「ゲート」になった。田中くんは、まるで意識がないかのように、そのゲートの中へと吸い込まれていく。
「田中くんっ！」
私は反射的に叫んだ。思考するよりも早く、体が動いていた。危険だという理性は一瞬でかき消え、私は田中くんを追って、光のゲートへと飛び込んだ。なぜか、自分なら田中くんを追える、そんな確信があった。
体が宙に浮くような奇妙な感覚の後、私は硬い地面に投げ出された。目を開けると、そこは見たこともない森の中だった。巨大な木々がそびえ立ち、聞いたことのない鳥の声が響く。まさに、漫画やゲームでしか見たことのないような「異世界」だった。
私は、田中くんを探して森の中を進んだ。すると、前方から嫌なうめき声と、何かが争うような音が聞こえてくる。息を潜めて近づくと、そこにいたのは、ゴブリンと戦う田中くんだった。学校では冴えない田中くんとはまるで別人だ。動きは鋭く、素早い。手にした剣で、次々とゴブリンを倒していく。その姿は、まさしく異世界の「勇者」だった。
田中くんが最後のゴブリンを倒し、剣を血振るいした時、私は意を決して声をかけた。
「田中くん！」
彼は驚いたように振り返り、私を見て目を見開いた。
「佐藤さん！？ どうしてここに…？」
彼の声は、学校で見せるそれよりもずっと力強く、生気に満ちていた。
私は、ゲートを追ってここに来たことを説明した。田中くんは、私が自分を認識でき、異世界までついて来られたことに酷く驚いていた。
「俺は……時々、こうしてこっちの世界に来て、魔物と戦っているんだ。気づいたらこんな力がついてた。まさか、佐藤さんにまで見られるとは……」
彼は、どこか遠い目をして呟いた。彼の言葉の端々から、ずっと一人で戦ってきた孤独が滲み出ていた。
私は、彼の孤独を埋めたいと強く感じた。
「私、田中くんの力になりたい！」
私の言葉に、田中くんは少し困ったような顔をしたが、やがて小さく頷いてくれた。こうして、私たち二人の秘密の協力関係が結ばれた。
私たちは異世界で魔物を倒し、その素材を売って資金を稼いだ。時には危険な目に遭いながらも、二人で協力することで、私たちは着実に強くなっていった。異世界に安全な隠れ家も見つけ、私たちは田中くんの不思議な力で、現実世界と異世界を自由に行き来できることを知った。この共有された秘密と危険を乗り越える中で、二人の絆は深く、強固なものになっていった。
異世界での冒険を進めるにつれ、私たちはより強力な魔物が跋扈する地域へと足を踏み入れた。そこで、私たちは、この異世界全体を覆うような、不穏な「闇の勢力」の存在を認識し始めた。彼らはただの魔物とは違い、明らかに組織だった動きを見せ、世界を侵食しようとしているようだった。
異世界の脅威が現実世界にも影響を及ぼし始めているかもしれない。そんな予感に、私は震えた。だけど、隣には田中くんがいる。彼の隣にいれば、どんな困難も乗り越えられる。
これは、隣の席の空気だった田中くんが、実は異世界最強の勇者だったと、私だけが知ってしまった物語の、ほんの始まりに過ぎない。
隣の席の「空気」だった田中くんが、まさか異世界最強の勇者だったなんて――。
この短編プロローグを読み終えたあなたへ。
佐藤花だけが田中健太の「異変」に気づけた理由とは？
彼の驚くべき力の正体、そして彼がなぜ一人で異世界と現実を行き来し、戦い続けてきたのか？
二人の前に立ちふさがる「闇の勢力」とは一体何なのか？
そして、彼らの関係は、この先どうなっていくのか――。
全ての謎と壮大な冒険は、いよいよ【2025年8月3日】から、連載本編で幕を開けます。
秘密と冒険、そしてかすかな恋の物語が、ここから加速する！
ぜひ、連載本編にもお付き合いください！
「隣の席の田中くんが異世界最強勇者だった件」本編、ご期待ください！
