1-7:魔塔主の画策
執行部から連絡を受け、他の仕事も片付けついでに、魔法魔術審査会から届いた書類を受け取ると、魔塔主補佐ジェフ・ギブスンはざっと目を通して、ふむと顎先をつまんだ。
「ようやくか。新規技法、ね」
新規魔術や技術の申請など、日々何件とある。いちいち魔術師連合本部であるこの塔に、個別に連絡などしてこない。おまけに新規魔術でもない。だが、ジェフはそれを知らせる書類を手にしている。
魔術の名門アルバス魔法魔術学院の元教授、上級魔術師ネイサン・リドルを代理人に提出された、『封印魔術古書における《表紙錠》《防護錠》二段階封印の解錠技法』の新規技法登録を認める通知だった。
「唯一無二の魔術ってのはよくあるが……」
技術は広く使えてこそだ。だがこの技法は、驚異的な演算能力が前提となっていて、とてもじゃないが実行できる気がしない。
なにからなにまで常識外れだなと、ジェフは黒ローブの内ポケットの胸元から紙巻き煙草を取り出し、口に咥えようとして横から伸ばされた手に奪われる。
「執行部は禁煙です」
業務カウンターに腰を引っ掛け寄りかかっていたジェフの右隣に、十代半ばの少女が奪った紙巻き煙草を右手に、栗色の巻き毛を揺らし、同じ色合いの目をにっこりと細めていた。
深緑色の膝丈のロングジャケットと、その裾から出る濃い灰色のスカート。臙脂色のタイを襟元に結ぶのは、魔術の名門アルバス魔法魔術学院の制服だ。
「……エヴァ・コレット。学校サボってアルバイトか? アルバスは学費の高さも名門とはいえ」
「無事、最終学年に進級です。奨学金も継続。選択講義も半分でいいって」
「で、飛び級してやることは卒業研究じゃなく小遣い稼ぎか。アルバスの教授が嘆くぞ」
アルバスから斡旋された、庶務の学生アルバイト。
平民の特待生でジェフによく話しかけてくる。魔術を学ぶには時間と金がかかる。魔塔は中級以上の魔術師で貴族出の者が多いから、同じ平民のジェフが気安いのだろう。
ジェフが上級魔術師で、塔で二番目に偉い役職の魔術師であることはあまり関係ないようだ。
もっとも魔塔や魔術師の序列は、役職だけに依らない。
「それで、なんの用だ?」
興味深そうに、ジェフから奪った煙草を口元の高さに掲げ、首を傾げて眺め回しているエヴァからそれを取り返して、ローブの内ポケットへと戻す。
「その書類、魔法魔術審査会からですよね。わざわざ個別に通知してくるということは……」
「圧力が解けて、とっくに審査が終わっている申請を審査会が通した。それだけのことだ」
魔法魔術審査会は、新規魔術の術式や魔法技術の審査と登録を担う魔術師連合の外郭組織だ。
「二年前、ですか。わたしがニ年生になった頃ですから」
「ああ」
二年前、冬から春へと季節が向かう頃、魔術界に激震が走った。
ジェフも驚いたが、あまり考えたこともない地下書庫に眠る書物が開いたことよりも、十年来の付き合いになる、元王子の魔塔主のその時の様子の方が見物だった。
『はぁ?』
笑んでもどこか冷めた氷色の目を大きく見開き、表情を取り繕うことも忘れて、ぽかんと間抜けに口を開けたまま驚く彼の顔など、そうそう見られるものじゃない。
王族としても魔塔主としても、隙を見せようとしない、クリストファー・ドゥクス・シルべスタにおいては。
(俺としてはもうそれだけで、<深園の解錠師>サマには拍手喝采だけど……魔術界はそうはいかねえよな)
封印を解除したのが魔術師だったなら、偉業を成した者を二年も放置することは絶対にない。
すぐさま、それこそ“二つ名”が与えられ讃えられただろう。
ネイサン・リドルの人を食った、出庫・閲覧申請からしてよくなかった。
ヴァスト家の文献調査のための名義貸しではなく、本気の封印解除狙い……それも“その弟子一名”による。
魔法魔術審査会に認められた技法の考案者名はセシリア・リドル――魔術師ではない、一般人に毛が生えた程度の魔力しかない当時十五歳の少女。
とはいえ、二年も認めなかったのは遅すぎる。
セシリア・リドルが国王から<深園の解錠師>の称号を賜り、王城禁書庫の管理者の地位を与えられた瞬間に、事は政治的な局面へと移行したというのに……ジェフはあいつも大変だなと、お歴々の圧力を解いた若き魔塔主に内心同情した。
「正直もっとかかると思ってました……本気ですね」
書類を持つジェフの手元を覗き込みながら、口元を揃えた指で押さえエヴァが呟いたのに、そうだなとジェフは肩をすくめ、そして明らかな困惑を浮かべて顔を顰める。
「あの顔で、うっとり微笑むんだぞ。見ちゃいられない」
「わあ……夜会だったら大事故ですよ。惚れ込んでますねえ」
「ああ、論文の“中身”にな……さて、戻るか」
思いの外、長い休憩になった。
業務カウンターに寄りかかっていた長身を真っ直ぐに伸ばし、エヴァの前を通り過ぎてジェフが彼女に背を向ければ呼び止められた。
「あの煙草って……」
「執行部は禁煙。上が破っちゃ示しがつかない、悪かった」
片手を上げてひらひらと動かしながら、目敏いなとジェフは感心する。
アルバスは五年制の教育機関。最低入学年齢は十三歳。編入も飛び級もあるが稀で、留年や退校する学生の数の方がずっと多い。
素材と、紙の裏に付与した術式に気がついて読もうとしていた。
(実践より理論が得意で、新規魔術の審査官を目指しているそうだが素質十分だ)
あの紙巻き煙草は、刻んだ薬草に使い過ぎてはいけない強壮魔法薬を染み込ませ、巻いている紙の裏全体に魔術を付与している。
使い捨てにするつもりはないのだが、魔性植物を使った紙でないと薬の効果と副作用の抑制をうまく両立させられない。魔道具にすらなっていない、まだ改良途中のものである。
(ったく、あの元王子様は。兄弟子に容赦無く仕事を押し付けて、出張ばっかりしやがって)
塔の廊下を歩きながら、ジェフは胸の内で悪態を吐く。
二年前、王城からの一報で臨時の大陸会議が開かれ、『深園の書』への対処について議論がされた。
(それを成した者が何者かはともかく、約三〇〇年、閉じられていた本は開かれた)
シルベスタ王家所有の封印魔術古書であるため、所有権は国王フランシス・グロスター・シルベスタにある。
だが調査権だけは、絶対に魔術師連合として譲れない。
そして都合の良いことに、つい最近シルベスタ王国の魔塔主は代替わりした。
王族である、元第二王子のクリストファー・ドゥクス・シルべスタに。
(正直、あの間抜け面を見ていなかったら、あいつの仕込みかと思ったところだ)
本の所有国。クリストファーは大陸七ヶ国の魔塔主の間で圧倒的優位を手にした。彼は王族であり魔塔主であることを存分に生かし、関連各所へ根回しと調整に尽力した。
現在、『深園の書』は、王城図書館と封印古書管理会の共同監督の下、アルバスの教授も含む魔術師連合と王立学術院による共同調査が行われている。
シルベスタ王家からの委託事業としているため、調査費用の大半は王家持ちだ。
それぞれが適度に口を出せ、相互に干渉し合って独断で本を自由には出来ず、それぞれの領分を生かし調査が進むようになっている。
同時に、クリストファーは王が少女に与えた称号、<深園の解錠師>を認める考えを段階的に、魔術界へ浸透させていった。
『あれを読んで、認めないという方が魔術師としての感性を疑うよ』
まるで恋人を思うような面持ちで言ったクリストファーは、たしかにあの論文に書かれた内容に惹かれ、惚れ込んでいるのだろう。
しかし。
『それに、取り込んでおくべきだろう』
クリストファーの話す声は穏やかで優しい、けれど氷色の眼差しの奥にある冷ややかさは、十年来の付き合いがあるジェフでもぞくりとするような戦慄を覚える。
本来の彼は気の優しい、いい奴だ。見ているこちらがはらはらするほど、他者を気遣い自分を後回しにする。
だが、時折、父親であるフランシス王にそっくりだともジェフは思う。
敵だと見做した者に対して、冷酷無慈悲で容赦しないところが、特に。
*****
夜も更けて、クリストファーへの報告をまとめ終えたジェフがそれを持って、魔塔主の執務室を訪れれば閉めているはずの鍵が開いている。
錯視効果のある防御結界に覆われている塔において、外部からの侵入者は考えにくい。
それに執務室の鍵はただの鍵じゃない。
(こじ開けた形跡はないか)
ジェフが魔術付与した鍵であり、扉だ。そう簡単に執務室の入口は破れない。彼が得意とするのは繊細な術式と魔力付与だ。特に魔道具の開発と治癒魔術に長けている。
ノックをすれば返事があった。
大陸会議に出ていたクリストファーが、予定より早く戻ってきたらしい。
「やあ、遅くまでご苦労だねジェフ」
「……まったくだ。予定よりずいぶん早いな」
戻ったばかりであるらしい。旅行鞄から書類の束や本を執務机に出す手は止めず、迎え入れてくれたクリストファーに応じながら、ジェフは執務机に報告書類を置くと一人掛けソファの席に座った。
「書面でも済む報告が多かったから、早々に切り上げた。互いに多忙の身の上なのに、どうして空白地帯の砂漠の真ん中なのだか」
ああ、疲れた。そう取ってつけたような調子で呟いて、クリストファーは銀髪をひと束ねにしている紐を解いて頭を振りながら、執務机の背もたれの広い椅子に身を預けるように腰掛ける。
「中立機関だからだろ」
「そんなことはわかっているよ。示す手段として他にやりようはあるという話だ」
空白地帯の砂漠は、大陸の東北寄りにあるどの国にも属していない場所だ。日中は灼熱地獄で夜は凍えるほど気温が下がり、水場もなく砂嵐が頻繁に起きる。魔物も住まない地。そこに魔法魔術で維持される白亜の塔がある。
シルベスタ王国から魔術付与した馬車で往復半月移動に取られる。
組織上層に権威にこだわる御仁が多すぎると、言いたいのだろう。
それはジェフも同意するところだ。
「それより、魔法魔術審査会から知らせはなかった?」
やはりこいつの仕業かとジェフは、肘掛けに頬杖ついて回転式の椅子を右へ左へと揺らしている、クリストファーを軽く横目に睨む。早々に切り上げた大陸会議から戻るより早く、知らせが届くのはなにかある。
「ようやく“解錠師“を、魔法魔術知識に精通した技能者と位置付ける合意が取れた。それをいち早くお歴々へ知らせたまでだよ」
「各国の公平性に考慮して、大陸会議の場にある転移陣は、非常時を除き送信制限がなかったか?」
「我が国は当事国だよ、ジェフ」
転移陣とは、規定範囲の物質を、特定の場所とやりとりできる魔術が付与された陣のことだ。
魔術師連合の関連施設に設置されていて、書類や物資など、生物ではないものを送って受け取れる。
「このままでは封印魔術古書に関する主導権を、王家に掌握されてしまう」
「いまのところ、陛下は、他の封印魔術古書に手を出してないが」
「そうだね、父上らしい」
クリストファーの話す調子にわずかに重みが乗る。
それだけで、ジェフは少しばかり執務室内の空気が緊張をはらんだように感じた。
「その必要はない。本を読み解いても、それを行使できる者は限られている」
開いたところで魔術師に利を与えるばかり。警戒や要らぬ敵意を向けられる可能性も大きい。
いつでも本を開くことが出来ることと、これまで以上に本を管理する姿勢を見せる方が、魔術師にもそれ以外にも威を示せる。クリストファーの説明にジェフはなるほどと納得した。
「王城禁書庫には、現存する封印魔術古書の大半が集まっている。我々が保管を委託しているものも含めて」
淡々と話すクリストファーは封印魔術古書のことなど、大して気に留めていない様子にジェフには見える。
それよりも国王や、王家を意識しているようだ。
十五歳で突然、継承権を放棄して臣に下ると自ら宣言し王家を出たとはいえ、クリストファーは家族と良好な関係を築いている。だが、王家を牽制することに彼はためらいがない。魔塔主としては正しい。
「ああ、そうだジェフ。明日、王城に使いを出してくれないかな」
くるり、と。
掛けている椅子を一回転させて、クリストファーは魔塔主の白ローブから、一通の書状を取り出した。
黒の封筒に金の封蝋。魔塔主による正式な書状だ。移動中に書いたらしい。
ひらりと、まるでジェフの手に吸い寄せられるように、掌に収まった封筒を彼は見下ろす。
「僕からの、正式な要請書として届けておくれ」
「お前はまた、そういう才能と魔術の無駄遣いを……要請?」
「東部支部の魔法史研究で、ペトラ病の治療薬の処方が記されている可能性が高い文献の存在がわかってね」
「へえ、そりゃすごいな」
ペトラ病は、東部から南部にかけて周期的に流行が発生する、原因不明の風土病だ。
致死率は八割を超え、特効薬が存在せず、魔法薬による対処療法しかない。
それが事実なら多くの者を助けられる。治療薬の機序から病気の原因にも手が届くかもしれない。
「大した発見だ。辺境伯家が所有していることもつきとめた。だが困ったことがあってね」
「辺境伯家が調査を渋っているのか?」
貴重書を表に出したくない、家の中を探られたくないなどで、この手の調査協力を拒否する貴族は多い。
わからなくもないが、人命がかかっているものだから協力してほしいところだ。
王命で協力を命じてほしいということだろうか、ジェフの問いをクリストファーはいいやと否定した。
「いくら卿が協力的でも、誰も開けられない本ではどうにもならない」
「誰も開けられ……って」
「人命を救う、二級封印魔術古書。魔術師連合が最初に要請するに値し、<深園の解錠師>の手並みを拝見するに相応しいものだろう?」
「お前……」
ああ王城の返事が楽しみだと、両手を組み合わせるクリストファーに。
完全に趣味と実益を兼ねているなこいつと、ジェフは額に手をあててうなだれた。
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