4-5:飴と無知
アルバス魔法魔術学院・最終学年の学生エヴァ・コレットは、ここ数日、実に素朴な疑問を持ちかつ聞くに聞けないでいた。
「うーん、上手くいきませんね」
「いかねえなあ」
「そもそも無理があるんですよね」
「情報量がデカすぎる」
魔術師は洗練された術式を好む。
理由は様々ある。
一番は発動の速さ。そして次に精度。
それはあれこれ長々としたものより早く発動できるし、処理が分割させないよりロスも少ない。魔力効率だっていい。それはわかる。
だけど。
(それって、すべてにおける最適解なのかな?)
といった疑問がむくむくとエヴァの中に発生していた。超一流の中でも一流の魔術師や魔術関係者との共同研究のなかだからこそ起きた疑問といえた。学生同士の試行錯誤では、それは洗練させるに越したことがないからだ。
だがいまは違う。
右を向いても左を向いても、前や後ろを見ても、エヴァからみればもう完成されているとしか思えない理解不能な術を編み出す先輩諸氏ばかりなのである。大人の中に子供が混ざっている状態だ。自分が思いつくような疑問なんてきっと彼らは真っ先に考えることに違いなくその上で試行錯誤しているに違いない。
だからきっと自分の疑問は愚にもつかないものなのだろう。
でもどうしても、彼らがエヴァの考えついたことを避けていることに対する、納得いくような理由が見当たらないのだ。
(だって、この場合、大事なのは過程よりも結果じゃない?)
ペトラ病治療薬の開発は全体でいえば着実に進んでいるといえた。
様々な人がいる集落の現場で、どのように魔法薬を保存し持ち運び、処方するか。
これについては結晶化した砂糖の殻の中に詰め、小粒の飴に仕上げることが決まった。これなら人に量の調整も何粒といった目安で組むことができる。
というわけで、いま白銀鋼の実験室の中には、煮詰めたお砂糖の甘い匂いが漂っている。
実験室の空気だけならまるでお菓子屋の店先だった。しかし、そこに並ぶのは色とりどりのお菓子ではなく、眉間に深い皺を刻んだ魔術師たちと、無数の紙に書き殴られた目眩がしそうに高度な数式だった。
実験室にいる面々は、ジェフは二十代半ばだが、あとは三十代四十代のおじさま魔術師に占められていて、なんともちぐはぐな感じだった。
「やはりできるだけ小さな粒にして……」
「それはすでに意味がないと議論は終わっただろう、結局微量の調整になるなら意味がない」
「誰もが簡単に処方しやすくというのも厄介ですね」
うむーと魔法薬研究の魔術師達が顔突き合わせて唸る。
結局のところ処方や一粒の量を決めるためにも、問題はやはり魔力濃度に行き着いた。
これが解決しないことには、これ以上は前に進めない。
薬を飴にすることで、包み紙を魔紙にすることができるようになった。
魔紙は高価な魔法素材だが、魔木繊維の量を調整することで量産は可能だ。しかし、そうなると魔法素材としては弱いものになる。弱い魔紙に、魔力濃度を低減させる仕掛けの術を施すのが非常に難しい。
ジェフが煙草の毒性を抑制するよりはるかに強力な魔力を低減させ、濃度を一定に保つといった複雑な術式を組み込むには素材強度に問題がある。
だからこそエヴァは思うのだ。
(術式を分割してはいけないの?)
そうすれば、魔紙だけじゃなく魔法薬を覆う砂糖の結晶に術を仕込んで二段階でいけそうな気がする。
魔術付与できるのは魔法素材だけじゃない。
結晶構造のような一定の強度があるものにも付与できる。だが、誰もそれを言い出さないのは砂糖が試すまでもなく脆いからだめなのだろうか。人が口にするものだから人体への影響を考えてなのかもしれない。しかしそれなら魔法薬も一緒だ。
「お前はどう思う? エヴァ」
突然にジェフから尋ねられて、エヴァはびっくりした。
同時に、紙にセシリアと問答しながら書かれた魔術式を見下ろす。エヴァにはまったく思いつくことすらもできないような高度な魔術式だ。
「あ……えええと、工房で生産を依頼する時、術式があまりに高度だと大変そうかなと」
「あ〜それもあるなっ!」
ぺちんと額を叩いてジェフが叫んだ。
ジェフの叫びに、一緒に魔術式を検討していたセシリアがきょとんと首を傾げる。
「そういうものなんですか?」
「ジェフさんの魔道具は一点ものが多いんです。すごく洗練されてて回路も緻密だから、工房で再現が難しくて」
「あーそっかあ……そういうこと全然考えていませんでした」
しょぼんとセシリアが意気消沈したのに、どうして彼女まで落ち込むのとエヴァは慌てる。彼女は魔術師ではないから当然魔導具だって作ったことはないだろう。それにエヴァが知る限り、彼女が触れている魔導具といったら……。
「せ、セシリア様は仕方ないですよ! 魔術師が作った魔導具といっても魔塔主様の部屋にあるジェフさん製のものばかりでしょう!? それになんといっても普段触れているのは、この世界で再現不可能な封印魔術古書や王城禁書庫といった古代遺物ですし!」
「そりゃ、封印魔術古書や古代遺物じゃ、なんでもありな感覚になるよな」
「そういうもの?」
「知らないことは仕方ないです!」
「そっか……ふふ、ありがとうございございます。一つ賢くなった気がしますっ」
ふわふわと微笑んだセシリアに、そこで喜ぶんだとエヴァは衝撃を受ける。
プライドの高い人が多い、アルバスの学生にはない反応だ。
(別の場所で、セシリア様に聞いてみようかな……やっぱりそれはありえないって言うかな)
もじもじとエヴァがそんなことを考える側で、ジェフが頭を抱えて唸り魔法薬研究の魔術師とああだこうだと議論を始める。だんだん慣れてきたけれどやっぱり半分も理解できない。アルバスでは一応優等生の評価をもらい、初級魔術師の資格も取ったけれど所詮自分はそんなものなのだと思う。
(そうよ! だって私はリドル卿に強引にこんな場違いな場に押し込まれてしまった学生なんだもの、別に多少頓珍漢なこと聞いてもよくない?)
「あのぉ、セシリア様。やっぱり魔術式って一つじゃないとだめですか?」
「え? 別に一つじゃなくてもいいと思いますよ」
「え? そうなんですか! じゃあどうしてジェフさんとあんなにやっきになって?」
「効率が悪いですから」
当然のようにセシリアが言い切ったのに、エヴァは混乱した。しかしセシリアの話ぶりでは術式の分割はありのようだ。けれど効率が悪いのはよしとしない。
(でも分割したら効率悪くなるのは当然だし……どういうこと?)
「ええと、仰っている意味がよくわかりません。分けたら効率は悪くなりますよね? なのにいいって?」
「意味があるならいいと思いますよ。でもこの魔紙に術式を載せるにはそんな余裕もないから、正直手詰まりかも……魔法薬に加工を加える? でもそうすると成分の安定が……うーん」
ぶつぶつとセシリアまで頭を抱えてしまったが、エヴァは目から鱗が落ちる思いだった。アルバスの生徒として彼女もまた思っていた。洗練されない効率の悪い術式の構築は悪だと。
だが、意味があるなら分けてもいい。
つまり、分ける意味があるのなら、それはありということなのだ。もしかするとエヴァが考えていることは、そんなにおかしなことでもないのしれないという希望が出てきた。
言ってみようか、どうしようかとそのまま半時間ほどためらったが、なにもないよりはいいかとそろりとエヴァは手を挙げることにした。本当にそろりと小さく控えめに。
「あのぉ……術式って一つじゃ駄目なんでしょうか?」
実験室にいた魔術師達が一斉にエヴァを振り返った。今日はネイサン・リドルが王城の用事でいないのがせめてもの救いだ。あのエヴァを買ってはくれるが、サディストで魔塔主とも魔術戦で張り合えるセシリアの師匠がいたら、どんなことを言われるかわからない。
(とはいえ、視線が痛い……)
皆、なにを当然のことをと半ば呆れたような眼差しでエヴァを見ている。
セシリアだけは、どういうことだろうと不思議そうな顔をしていたけれど、それはさっきの会話があるからだろう。これから言うことで、がっかりさせそうな気もする。
「はあ? なに言い出した、エヴァ・コレット」
「ええええと、でっ、ですからジェフさん、分ける意味があるならいいんですよね!? 包み紙に安定や保存を組み込む術式はできる気がして……」
「それくらいならまあ。だが、なんだそりゃ?」
「だ、だって! 砂糖に魔術付与できるじゃないですか。飴って砂糖の結晶ですよね! それに飴の中にある間は魔力消費させる、包み紙がそれを丁度いいように制御して一定に保存する、それなら実質均衡とれないかなあ……って」
「なにっ!?」
「べ、別に、一つの魔術式に全部詰め込む必要なくないですか? 量産しなきゃだし! みんながみんな魔塔のレベルと思ったら大間違いなんですからぁ……!」
話してる途中からどよめきだした魔術師たちに怒り出したらどうしようと思いつつ、学生の思いつきだから仕方ないじゃないかと自棄ぎみにエヴァは一息に言い切った。
工房で量産するためには、複雑怪奇な高度すぎる魔術式だって再現は難しいのは事実なのだから。
「お前……」
「わかってますよ、学生の単純な思いつきです。みなさんみたく難しいのは、私には無理ですもん……」
「天才か!?」
「だから、一つずつ分担する方法しか具体的に考えられな……へ?」
たしかに量産を考えるとそうだ、ジェフ殿の回路を一般工房で再現は……と、周囲のざわざわが一つ一つの言葉となってエヴァの耳に入ってくる。
「意味あります! すごいエヴァさん! そうですよ、お砂糖ならいくらだって加工できますよねっ! ねっ?」
「え……そうなの? 脆いからーとかそんな理由があってじゃなかったの?」
「いや、普通に魔法薬と一体化して考えてた」
「え?」
「魔紙より素材として劣るものですしね」
「へ?」
「消費するだけなら簡単だ。案外悪くないかもしれん。硬度など工業レベルで調整可能では?」
「ええ……」
(そんな理由だったの!?)
ここ数日悶々とその理由を考えて、半時間も言い出そうかどうしようか悩んでいたのはなんだったのだ。結構、皆に気を使ってもいたのにと、エヴァはがっくりとと近場の机に手をついて項垂れた。
「なんて……徒労……」
いまこの瞬間、この場の一番の功労者になったにも関わらず、突然肩を落とした発案者の姿に実験室の面々は不可解そうに首を捻る。
「え、すごいのにどうして落ち込むの?」
「いいんです、セシリア様……忌憚のない意見交換って大事ですね」
とにかく魔法薬の開発は大きな前進をし、後日、この話を聞いたネイサン・リドルが「だから発想ってのは大事なのよ、この娘の名前ちゃんと開発者に載せなさいよ」と大笑いしたのだった。




