1-1:繰り返していた悲劇
本日2話目です。最新話にご注意ください。
――あの日はひどく暗く、吹き荒ぶ風は冷たく、横殴りの雨は無慈悲だった。
地面に打ち立てた木の柱に縛りつけられた女は、強く吹く風に嬲られるまま、雨に打たれている。
ずぶ濡れて、重く水を含んでいるのに、細い体を包む衣服が風に煽られてはためき、長い黒髪が乱れて靡く様が、男の目には周囲の思惑に翻弄された彼女の人生と重なって見えた。
王城の外郭広場に設けられた公開処刑の場は、ひどい悪天候にも関わらず異様な熱気と喧騒に満ちている。
日頃の鬱憤の捌け口を求め、耳にした噂を信じ、王家を食い物にした悪女と罵る人々。これから展開される残酷な場面に期待し、爛々と目を光らせている群衆のなんと醜悪なことだろう。
だが、抗うようでいて流されるまま、処刑人として壇上に立たされている自分よりは、遥かに彼等の方がましだと男は思う。
『父親が収監される地で囚人達の世話をさせてもいい、荒んだ下賎の者共に娘が奉仕する姿を見れば父親も改心するやも――』
ここで処刑しなければ、女は飢えた獣の巣に投げ入れられ、父親の側で争うように引きちぎられ蹂躙され…… 死よりもむごい目に合う。
告げられた言葉を思い出し、男は吐き気を催し奥歯を食い締める。
『拒否したければするがいい。ただの慈悲だからな。婚約者とその父親の不始末をどう処理する?』
すべてを呪いたかった。なによりもどうにもできない自分自身を。魔術師であるのに、罪人を前に王権を示す剣の刃を見せつけていることにも男は憤っていた。
邪竜が吐く、すべてを燃やし尽くす赤黒い炎のような、破滅的で激しい憤り。
それでいて、きっと誰よりも平然と冷めた顔でこの場にいることも男はわかっていた。そういった表情がもう張り付いて剥がれないのだ。
「セシリア・ヴァスト……」
この世のすべてが呪われろといった思いで、力なくうなだれている罪人の名を男は口にする。けれど風雨の音と群衆の声にかき消されたのか反応はない。
鉛色の雲が厚く垂れ込める空に、鈍い光が不穏な明滅を繰り返している。
ああ呪われろ、そう脳裏で唱えながら男は剣を構えた。せめて苦しまぬよう一息に柔らかな胸を貫く。
歓声が上がる中、かふっ、と罪人の女が喉を鳴らし、血を吐いて、絶命していくのが突き立てた剣を介して伝わる。
その時、がんっと頭を強く打ちつけたように、男の視界が真っ白になった。
夥しい月日が、繰り返された時が、場面が、男に押し寄せて通り過ぎていく……。
もしかしたら叫び声を上げていたのかもしれない。わからない。何故ならいままさに絶命した女を消滅させるが如く雷が落ちたからだ。
ひどく混乱した頭で、それでも男は咄嗟の詠唱で落雷の先をわずかに逸らせた。
それは誰にでも出来ることではないけれど、いまの男にはこんなことくらいしか出来ない。
そうではない力が、選択肢を持てる力があったなら、違っていたのか……。
男は天を見上げた。昼でも夜のように暗く、男の代わりに慟哭するような風と雨。
男の白いローブと銀色の髪もまた、重く濡れていたが気にならなかった。激しい憤りも消えて、もう真っ暗な虚無しか男には残っていない。
雷の側撃を免れず、焦げた縄が千切れ、胸を赤黒く染めた女の体が、どさりと音を立てて柱からずり落ちる。
ただ音に反応し、無感情な氷色の眼差しを足元の横倒れた女へと落として、男は息を呑んだ。
「っ……」
ほんの一瞬、錯覚にも思える。
けれどたしかに顔を半ば隠す黒髪の隙間から、男を見ていた。絶望した眼差しで。
いまはもう生命の光を失った菫色の瞳に、男は無意識に強く願っていた。
また次がくるのなら、どうか彼女だけは。
ここに、この場所に、戻ることがないように――。
それは繰り返していた悲劇の前に、あまりにも弱くて小さな切なる祈りであった。
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