2-6:今世の出会い
エヴァ・コレットは普段は魔塔の執行部で庶務の学生アルバイトをしている。
しかし、時折、業務部が運営を担う見学ツアーガイドも手伝う。
約三十名ほどで区切った見学参加者を引き連れて、いままさに中庭を案内中だ。
魔塔の防御結界の土台の一つと伝えられている敷石を見せ、これから塔内部へ誘導するところで――これはどういう状況なのだろうか……。
(私は、普通にガイドの仕事をしていただけなのに)
ツアー参加者に場違いにかわいい女の子がいることは、開始早々気がついていた。
エヴァが魔術で一時的に閉じたように見せた、北門をじっと見ていたからだ。
最初は魔術を初めて見て驚いたのかなと思った、そういったツアー参加者は珍しくない。
赤紫色の帽子を被り、木苺色の品のいいワンピースを着ている、黒髪の少女。
身なりはいいものの貴族のお嬢様というには少々地味だ。付き添いの家庭教師らしい女性も同様。
なんとなく気に掛かりながら、順路通りに中庭にきて土台の石について案内したら、少女自ら近づいてきて見て触ってもと尋ねてきた。
(あまりに熱心に石を眺め、なにかぶつぶつ呟くのに妙な親近感を覚えて、もしかして同じような魔術の学校の学生さんかなって話しかけたら、意味はわかるけどなにを言ってるのかよくわからないことを喋りだして……)
エヴァが戸惑っているうちに、どこからか唐突に現れた黒髪おかっぱ頭の男性が、少女を抱き上げてぐるんぐるん笑顔全開で振り回し……これはどう考えても通報事案と思ったら、どうやらご家族のようだった。
エヴァの案内するグループには入っていない男性だ。
見学ガイドとして勝手に混ざらないよう注意したら、共同研究の打ち合わせに訪れたという塔の来客だった。
「だから私は見学ツアーの参加者ではないよ。ガイドのお嬢さん」
どこか飄々と浮かれた響きの滲む、柔らかな声音で男がそう言った時。
ふとエヴァの目に、少女を抱える男の袖口からカフスボタンの刻印が見えて、「えっ!?」と彼女は自分の目を疑った。明らかに貴族とわかるもので、エヴァも知っている家のものだったからだ。
(グリフォンの銀盾……って……)
さあっと、エヴァは自分の血の気が引く音が聞こえた気がした。
それは黄金を守る「知識」に「聖性」を表す。
まるで知の領域におけるその立ち位置を示すかの如く……。
(ヴァスト家――! 執行部的に絶対粗相しちゃいけない侯爵家――!)
“学究のヴァスト”――なにかしらの研究に関わる者なら、知の領域に密やかに君臨するこの家の名を知らぬ者はいない。というか中等教育以上を真面目に受けていたら、普通に何度も教科書でその家名を見る。
(見間違うはずない。執行部でこれと同じ紋章入り財団通知は、おなじみの書類の一つだものっ)
何気に研究部を支える出資財団の一つである。
この財団は研究者個人にしか出資をしないため、魔塔と直接関わっているわけではないのだけれど。
(どうして上から数えた方が早い序列の侯爵家の方々が……一般人みたいな顔してしれっと普通にっ!?)
やや年の離れた兄妹らしい二人は、エヴァの目の前でなにやらじゃれている。
見た感じ、兄の側が一方的に絡んでいて、妹の側が冷静対処をしているといったところだ。
「見学なんて言ってくれれば、いくらでも都合をつけるのに……」
「そ、それは……ご迷惑なので」
「でも非公開な場所とか見たくない? ああでも、可愛い妹が魔塔に目をつけられたらちょっと困るなあ。うん、やっぱりなしにしよう。なにか面白いものは見つけたかい?」
なんだか、きらきらした麗しき兄妹愛な様子が繰り広げられているが、そろそろツアー参加者を集めて塔へ誘導する時間である。ツアー参加者の好奇の視線もちらちらと感じるし、エヴァとしては勘弁してほしい。
「ふむ……へえ、なるほど。天文記録なら最も古い記録で統一王朝前からあるにはあるけど状態がねえ。大方消失もしている。えっ、建国時代からでいいの? それなら取り寄せるまでもないと思うよ。暦関係は比較的記録は探しやすいからいいよねえ」
なにか、さらっとすごい話をしている気もするけれど、一応、ヴァスト家のお嬢様はツアー参加者だ。
どうしたものかと思案していたエヴァを、さらに気絶しそうに困惑させる事態が起こった。
塔の最上階の執務室にいるはずの人が、中庭におりてきたのである。
(え、もうどうして一般公開日の見学時間帯にこの人が中庭におりてくるの!? しかもこっちに向かってくる!)
きらきら輝く白ローブをまとった銀髪の青年――魔塔主クリストファー・ドゥクス・シルべスタ。
その高貴で優雅な美貌は、彼が名乗らなくっても何者か伝わる……中庭にいるツアー客がどよめき出したが、元第二王子の圧倒的王族感に気圧されて、近づく者がいないのはエヴァにとって幸いだった。
エヴァ一人では、ツアー参加者を抑え切れる気がしない。
魔術を使えば簡単だが、善良な一般市民への威嚇・拘束・攻撃に類する魔術行使には法的制限がある。
「ひっ……!」
すぐ側で、引きつったような声が聞こえて、エヴァは声がした方向へと視線を向ければ、なぜかヴァスト家の少女が怯えたように兄の背中に隠れている。
(え、どうして?)
おや、どうしたのかなと、それまでにこにこ相好を崩していたヴァスト家の令息が妹を見て、目の細め方をわずかに変えたのをエヴァは見た。
政治も社交もしないらしい侯爵家の令息であっても、貴族というものはそういったものなのだろうか。
ひっ、と言いたいのはエヴァの方だ。
さくっと、一歩踏み出して彼は恭しく一礼した。
「まさかヴァスト侯爵令息が魔塔にいらしていたとは、知らせを聞いて挨拶をと」
「それはわざわざ。ただ上司の代理で来ただけの一介の研究員に痛み入ります、閣下」
双方にこやかにただ挨拶を交わしただけだというのに、実に優雅な雰囲気だ。
芝生の庭にいるはずなのに、エヴァは見たこともないはずの王宮の廊下の幻影が見えた気がした。
(……両方目の奥が、全然笑ってないんだけど。貴族怖っ)
ヴァスト家のお嬢様も、少し後ろに控えている付き添いの女性も、このまま見学ツアーを離脱しそうだから、いまかなと、エヴァは「魔塔主様」とそっと声を掛ければ、にっこり彼は氷色の目を細めて首をわずかに傾けた。
行けということだろう、小さくお辞儀して、エヴァは足早に少し離れ、「では皆さ〜ん、塔の内部へご案内します」と声を上げた。
ほんの十数分で、丸一日働いたくらいに疲れた。運営部に時給の上乗せを要求したい。
*****
どうしてこんなことに、と。
セシリアは兄アーサーの後ろに隠れるように、塔から出て来てアーサーに挨拶した相手に震えそうになるのを必死に抑えていた。
だって兄とマリーもいる前で、会ったこともないクリストファーに怯えて震えるなんて明らかにおかしい。
それはクリストファー本人に対しても同様だ。
(どうやら、わたしとマリーのツアー参加はなかったことになってしまったみたいだし)
まるで最初からいなかったかのように、ごく自然にエヴァはこの場を離れて他のツアー参加者を集め、彼等を引き連れて塔の中へと入っていった。
当然の対応だ、クリストファーがアーサーのことを「ヴァスト侯爵令息」と呼んだ瞬間から、その妹とわかっているセシリアもただの一般ツアー参加者から「ヴァスト侯爵令嬢」となってしまった。
そして兄に付随して挨拶の場になっている以上、それを無視してエヴァがセシリアを連れて行くことは常識的に考えて無理である。
(せめて、ヴァスト家って口にしなかったら逃げられたかもなのに……)
そうクリストファーに胸の内でセシリアがぼやいていたら、彼女の顔を見て視線を合わせるようにひょこっと横倒しに上半身を傾けて、クリストファーがのぞき込んできて出かかった悲鳴を飲み込む。
「そちらのレディは?」
内気な令嬢と言われているし人見知りでやり過ごそうと決めて、セシリアは帽子のつばの影と兄の背中で顔を隠すようにぴったりとアーサーに寄り添った。
「妹ですよ、閣下。少々人見知りで、失礼は可愛らしさに免じてお許しください。セシリア、ご挨拶だけしておこうか」
昔からセシリアに激甘な兄アーサーだけれど、クリストファーに対してもブレないとは大したものである。
本当は、挨拶もできればせずにやり過ごしたいけれど、仕方がない。
セシリア・ヴァストとしては初対面。
しかし、セシリア・リドルとしてクリストファーと顔を合わせて話しているためか、それとも兄が側にいるためか、前回ほど動揺はしていなかった。
そっと兄の背中から半分だけ顔を出し、心持ち早めにセシリアは頭を下げた。
「……セシリア・ヴァストと申します。ロウル公爵閣下」
そして再び心持ち早めに俯けた顔を上げて、さっとアーサーの背に隠れる。
ふふっと、なにがおかしいのかクリストファーが笑む声が聞こえた。
「はじめましても言わせてくれないのかい? レディ?」
「はずかしがりやで、我が妹は」
さりげなく近づこうとするクリストファーとセシリアの間に入るように、一歩彼に近づいたアーサーの動きに合わせてそっとセシリアはマリーの側へと移動して、離れた場所からぺこりと頭を下げた。
夜会やその他、公の社交の場ではないし、挨拶としてはこれで一応失礼にはならないだろう。
「では、我々はこれで閣下」
「“学究のヴァスト”の次期当主とご令嬢にお会いできて光栄だったよ。君たちと挨拶できる者は限られるからね」
「ご冗談を」
にこにこと始終和やかに、まさかの中庭の挨拶を終えてセシリアは東門から外に出て、兄が乗って来た公用馬車に乗った。
「クリストファー閣下とどこかでお会いしたのかい?」
並んで座る不思議そうな兄の問いにぷるぷると勢いよくセシリアは首を横に振った。
「ま、苦手なら避けておけばいいよ。利害もないし」
「アーサー様」
「だってそうだろう? ヴァスト家なんだから。表立って王族と付き合う必要はない。僕らが忠誠を捧げるとしたらそれは研究対象か興味を持つもの対してだ」
ねえと、軽い口調で同意を求めて見下ろしてきたアーサーに、セシリアはようやくほっと肩の力が抜いた。
「まったく、そうやってお嬢様を甘やかすのですから」
「あの、お兄様はまだお仕事じゃ」
「もう終わりだよ。私がしなくていいことまでしたんだ、今日はおしまい!」
よいのだろうかとセシリアは思ったが、ふらふらしているように見えて押さえるところは押さえる人だし、人がなにか言ってきく人でもないため気にしないことにした。
なんとなく中途半端に終わってしまったけれど、とりあえず逃げ道はありそうで親しくなれそうな人もいそうだということで、ひとまずセシリアはよしとしたのだった。
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