2-2:運命から逃げきりたい
根気よくドアをノックする音は専属侍女のマリーだろう。お嬢様と呼びかける声も聞こえるが、セシリアはベッドの上で体育座りに膝を抱えて黙ってじっとしていた。
「出たほうがよいのでは?」
しゅるんとセシリアの肩から両膝の上に移動したリトラに、セシリアは首を振る。
「お茶とお菓子を運んでくる人です。木の実に甘いのかけて焼いたやつかもしれません」
「……」
それはリトラの好物だ。
セシリアは恨めしげに、お茶とお菓子が欲しいだけな契約精霊をじっと睨んだ。
とうとうクリストファーと出会ってしまった。セシリア・ヴァストとしてではないけれど……。
「簡単に買収されちゃう契約精霊なんてしらない」
「あれは供物です。“銀髪”はマスターを守る私に木の実を捧げ、毛並みを整え……」
「……」
「それに城のお菓子とはよいものですね。ふわふわでしっとりでいい香りがして甘くて実を煮詰めたものが混ぜてあって、あれはよいものです。マスターも城の人間に禁書庫まで持ってこさせるとよいのでは?」
はあっ、とセシリアはため息を吐いてベッドを降りると、とぼとぼと内鍵をかけていたドアに近づきそっと開ける。
廊下には誰もいない。マリーは持ってきたものを厨房へ下げに戻ったのだろう。
なにか食べる気分ではないけれど悪いことをしたな……そう、思いながらセシリアがドアを閉じようとしたら、がっとそれを掴む力の抵抗とドアの裏側からぬっと出てきた頭に、ひっと彼女はドアノブから手を離す。
「セシリアさま……」
低く掠れた呻くような声と共に、ドアの裏からぺたりと手で閉じるのを押さえたのはマリーだった。
「そろそろ……なにか召し上がらないといけませんわ……」
きゅるきゅるきゅると、小さく、金属を引っ掻くような軋むワゴンの車輪の音をさせてセシリアの前に立つ。
出てくるのを待っていたにしても、どうしてホラー仕様の演出をする必要が……。
「びっくりしました? 先日ラルフと観た、お芝居のメイドの役が良くて真似てみましたの」
いま王都の劇場で上演している、『そして誰もが血まみれになった』というお芝居らしい。
なんて題名だろう、さすが鬱展開小説世界。
婚約者と観に行くようなお芝居に思えない。
「メイド?」
「ええ、復讐の連続殺人鬼で、先程のように舞台のドアや暖炉の後ろからぬっと出てきて、登場人物を一息にぐさっとっ!」
「一息にぐさっ!」
菫色の目を見開いて、息を呑み、セシリアは口元を両手で押さえる。
それはまさに過去にセシリアがクリストファーにされたことだ。
鮮明に記憶している部分で映像だけでも十分怖いけれど、夢に見た記憶なので、痛みまで追体験しなかったのは幸いといえば幸いだ。
「でもなかなか捕まらないんですよ。誰もまさかメイドが処刑しにくるとは思わないですから」
「処刑……っ!!」
「セシリア様もきっと謎解き系お好きですよね? お話ししましょうか? メイドは両親の仇を探しているんです〜」
まったく朝も昼も抜いて顔色がお悪いですよ、と朗らかにマリーに背中を押されるまま、セシリアは廊下からまた部屋へと戻る。好きじゃない。全然、まったく、好きじゃない。
(やめてえええええっ……!!)
「……メイドの両親を殺害したのは、お仕えするお嬢様の婚約者……です」
「まあ、どうしてわかったのです? まだ半分もお話ししていませんのに」
「脚本に矛盾や超展開がないなら……」
マリーが軽食を用意した、私室のテーブルの席にげんなりと疲れた顔でセシリアは座った。テーブルの上には、スープやミートパイを切り分けたものなどが並べられている。
正直なにか食べる気分ではないけれど、マリーが心配してくれているのはわかる。
そっと、いんげん豆のポタージュらしいスープをひと匙すくって口にしたら、少しばかり空腹めいた感覚が戻ってくる。なんとなく生き返る気がした。
「また本に夢中になられてたのでしょう? 朝もお昼もまったく応じてくださらなくて、鍵もかかっているし中でお倒れになっていたらどうしようかと」
あと十分待って出てこなかったら、ネイサンを呼びにいこうと考えていたなどと、少しばかりうきうきした口調で言ったマリーに、そこは部屋の鍵を持つ執事か家令ではとセシリアは思う。
「キュっ!」
「あら、白リスちゃんもお腹空いたの?」
「リトラ、テーブルに乗ってはだめ」
契約精霊が化けた姿に、セシリアは注意した。
テーブルの脚をつたって、セシリアの手元にやってきてミートパイのお皿を覗き込んでいる。
リトラのことも、セシリア・リドルの正体を知っている者に限られる。
ずっと領地にいたセシリアが王都屋敷に再び暮らすようになって、いつからか庭から入り込んだ。セシリアに懐いた珍しい毛色のリスだと思われていた。
それにしても、大いなる自然界を司る貴き上位精霊が一つのはずなのに。王都に来てから年々食い意地が張ってきているような気がする。
「では白リスちゃんは、こちらで先におやつにしましょう。セシリア様よろしいですか?」
ソファのローテーブルに小さめの取り皿を置いたマリーにセシリアはうなずく。リトラは大人しくマリーの両手に収まって運ばれていった。
(食べ物もらったら懐く精霊って……)
“銀髪”の供物はおいしかったと、王城の客間から繰り返し聞かされていた。供物と言い張るが、精霊と知らないのにそんなわけがない。
ルコの実と思わしき木の実と、焼菓子がよほど気に入ったらしい。しかし、身体的な特徴で呼ぶということは、それなりにクリストファーのことも気に入ったということだ。
(精霊は名前や実体に連なるものを重要視する)
主であるセシリア以外、リトラの人間の呼び方はかなり雑だ。
ネイサンであっても「マスターの先生」であるし、マリーは「お茶やお菓子を運んでくる人」である。
リトラが勝手にそうだと認識した役割で呼んでいる。もしくは大多数の人間の一人。
(いかにも精霊が気に入りそうな容姿だし、あとやっぱり……魔力が高いからかな)
まるで月の光を紡いだような、きらきらと輝く銀髪を首の後ろで緩く束ねる横顔は、記憶で見た通りだった。
小説の描写とも同じ、すっと通った鼻梁も氷色の冷めた眼差しも。
金銀の刺繍糸のきらめきを宿す、彼が魔塔主であることを示す白絹のローブも。
(目を覚ました時、わたしの顔をじっと覗き込んでいた。でも当たり障りのない態度で接していたし。そもそも今世でセシリア・ヴァストとしては会ってもいな、……っ)
「っ、っ……!」
小さく摘んだパンが喉に詰まって、喉元を叩いてセシリアは水を飲む。
けほっ、と咳をして息ができるようになって胸を撫で下ろせば、リトラの相手をしていたマリーが気が付き、慌ててセシリアの側にきて背を撫でて介抱してくれる。
「大丈夫ですか!? お嬢様!」
「え、ええ……平気」
「近頃は普通に召し上がるので、軽いお食事をお持ちしましたが……」
「大丈夫」
気をつけないと。処刑もいやだが、事故で死ぬのもいやだ。
それに、マリーがいつも朗らかに、王都で流行っているものの話をセシリアにするのは、彼女が社交的で流行に明るいからだけじゃない。セシリアを楽しませようとする気遣いである。
それにセシリアの行動を妨げることなく、許容できる線を見極めて対応してくれる。
夢で見た前々世の記憶、前世で読んだ小説の貴族の描写から考えると、こんなに自由にそして過保護にされている貴族令嬢はきっと珍しい。
(家のみんなから気を使われすぎてて、少し心苦しい。王城通いで丈夫にはなってきた思うのだけど)
五歳まで魔力過多だった影響か、十一歳までほとんど外に出ることも運動もせずにいたためか、とにかくセシリアは物理的な身体面が弱い。
長時間、本を読み研究に集中し続けられる体力はあるものの、力は弱いし、運動神経はないし、集中していると食も細くなるし、結果小柄で貧相な体つきである。
ネイサンが不摂生を怒るのも、そこに起因する。
「食欲なかったけれど、スープを飲んだらお腹も空いてきたから」
「それならよろしいのですが」
十五歳にして要介護のご老体のような扱いだ。
じっと見守り態勢に入ったマリーに、もう少し庭を歩いたりして基礎体力を養おうとセシリアは心の中で決める。
セシリアは、ミートパイを小さく切って口に運びながら、側に控えるマリーに小さく微笑んだ。
「大丈夫だから。少しだけ、元気も出てきたかも」
「そうですよ。食欲がなくても少しはなにか口になさらないと」
とりあえず命さえ助かればと思ったけれど、やっぱり平民落ちなどもだめだ。
ヴァスト家が失脚したら、財産も財団資金も考案権利諸々もきっと没収される。色々な人が路頭に迷ってしまう。
クリストファーと出会ったからと落ち込んでいる場合ではない。
つい前々世の人生の記憶を恐れてしまうけれど、セシリア・ヴァストとクリストファーは今世では、なんの関係もない完全に赤の他人。
出会ったとしても、元王子の魔塔主とどこぞの侯爵令嬢である。
(寝顔を覗き込まれていても、いまの時点ではセシリア・ヴァストと繋げようもない。繋がっても関係ない)
色々不審に思われて、フランシス王となにか協議するようなことも言われて絶望したけれど、落ち着いて考えたら彼が疑いを持ったのは、あくまで魔術に関するところだ。まだ言い訳もきく。
とりあえず作業用ローブは改良しておこう。元々少し起動に関する反応が敏感過ぎて危ないところがある。
(それに。あの冷ややかな感じの目は怖いけれど……)
記憶の“彼”とは少し違う感じにセシリアには思えた。
もっと、冷淡な一瞥だけで人をそれほど見ない感じだった気がする。
『<深園の解錠師>レディ・リドル』
真っ直ぐにセシリアを見て、封印魔術古書の記述に対する忠告の理由を尋ねてきた時の、氷色の瞳はそれほど怖く感じなかった。魔術に関する探究心と、彼が持たない知識への敬意が見えたようにも思える。
「よくわからないな……」
「え、なにがですか?」
ぽつりと、呟いたセシリアの言葉を拾って尋ねてきたマリーに、なんでもないとセシリアは首を振って、カトラリーを置く。
「お済みになられたのなら片付けますね」
「ありがとう」
セシリアの中でははっきりしている“彼”の表情は、子供の時と処刑の時くらいしかない。あとは、セシリアを避けているとわかる雰囲気と、彼女の側を素通りしていく横顔の輪郭くらいだ。
それに、あれは婚約者のセシリア・ヴァストに対してだったのかもしれない。
(考えてみたら、婚約者で、十三歳から処刑されるまでほとんどを王城で過ごしていたはずなのに、クリストファー・ドゥクス・シルべスタという人をよく知らないかも)
けれど、十五歳で王子じゃなくなって魔塔に入ったから当然かと、考えながらセシリアがソファーへ移れば、ローテーブルの上でリトラは満足そうに丸まって眠っていた。
(気楽でいいな。精霊って……)
食事を終えた皿を乗せたワゴンを廊下に出して、戻ってきたマリーが、ソファーのテーブルに用意されたお茶を自分で入れて飲んでいたセシリアに「あの」と声をかけた。
「なあに」
「少しよろしいですか。ケイネスさんから奥様の伝言を預かっておりまして」
「お母様の?」
ケイネスは侯爵家の家令だ。領地屋敷にいるセシリアの母親マーガレットの指示で、王都で屋敷とヴァスト家の財団を管理している。
セシリアの母マーガレット・コールは伯爵家の娘で、マリーの母校である王都の「学園」卒でもある。
領地や事業経営を学び、多くの名門貴族からの求婚者がいたにもかかわらず、それらをすべて断って「最も自分の能力を必要としていそう」と一学年上に在学していた父に求婚した。
侯爵夫人となった現在、ヴァスト家の運営と資金運用をすべて取り仕切っている。影の当主といってもいい。
(いやな予感)
マーガレットは、セシリアが“学究のヴァスト”の娘であることは承知の上で、それでもいわゆる普通のご令嬢の世界を経験してみてもと、時折、社交方面の話を持ってくる。
「はい。ベアトリス・ラッセル公爵令嬢のお茶会に招いてもらえることになったので、参加するようにと」
「え、その方って……」
「近い将来の王太子妃ですね。お嬢様の社交デビューを前に、お嬢様が困らないようにと思われたのでは。公爵家は王都の同じ教区内でお屋敷も近くて、ヴァスト家と付き合いがまったくないわけでもないですから」
おなじ教区といっても広いけれど、ご近所さんといえばご近所さんではある。
前々世で、王太子がヴァスト家の罪を暴いたのは、彼の婚約者のベアトリスがセシリアについてぼやいた一言がきっかけだった。
未練がましくクリストファーとの婚約者で居続けるのなら、王城ではなく同じ魔塔に行けばいいのにと。
幼い頃、ベアトリスは教会の祝福を受けに行く日を風邪で延期した。セシリアとたまたま同じ日で、ヴァスト家と入れ違いの時間であり、測定したセシリアの魔力量が神官をざわつかせたのを覚えていたためである。
(今世ではもちろん交友していないけれど、前々世の妃教育でなにかと比較されて、結構嫌われていたし……)
「む、無理……」
「そう仰いましても奥様が手を回されたようですし、招待状は王城から届くそうです」
「ね、熱とか出ないかな」
「お嬢様」
マリーがやや強い口調でたしなめたのに、セシリアは小さく首をすくめる。
わかっている。社交界デビューするにあたって、同世代の知り合いが一人もいないというのはさすがに身の置き所に困る。
エスコートは兄に頼むにしても、兄はもう成人しているからセシリアにつきっきりというわけにもいかないだろう。それに、母が手を回しての王城の誘いはさすがに断れない。
回避していた人との遭遇機会が、ここ最近になって押し寄せてきているような気がする。
もしかしてこれが強制力というものなのだろうか。
前世でセシリアが読んだ、あの“小説冒頭”へと近づいていくための――。
(絶対、いや)
それが運命だというのなら、その運命から逃げ切りたい。
せっかく少し元気が出てきたというのに、一体どうして。
セシリアは体調がすぐれないと三日間、王城へ行くのを控え、四日目に仕方なく登城した。
王城禁書庫へ向かう前に、通用門の衛兵に呼び止めれて待機させられ、文官が迎えにきてすぐフランシス王の執務室へと連れていかれ――。
「魔術師連合本部への出向を命じる」
「へ?」
「ふん、魔塔との協議で来月から半年間。くれぐれもアレに弱みを握られるなよ」
「あああ、あれとはあっ……?」
「魔塔主に決まっておるだろう。我が息子、クリストファー・ドゥクス・シルべスタだ。アレは第二王子なのが惜しい器用さのくせに魔術馬鹿だから、其方の技法に食いつきついでになにを察するかわからん……もし知られたら!」
声を張り上げた王に、セシリアは思わずその場にしゃがみ込みたくなった。
だからどうしてこの人は、無駄に威圧感に溢れているのだろうか。
「わかっておろうなぁ? ヴァストの娘」
セシリアを見下ろす、深い青の瞳がぎらりと残忍な光を帯びたように彼女には見えた。
いやああああ――っと、心の中で悲鳴を上げながら。
セシリアは蒼白になった顔で、「はぃ……」と返事しつつ、王の顔を上目に見つめた。
せめて魔塔にいる時間なり頻度なりを下げられないか、頭の中をあれこれとフル回転させながら。
「あのぅ」
「ぬ?」
「せめて……派遣くらいに……できないでしょう……か……ね?」
月何時間とか、週何日とかそんな感じでっ、とばたばたと腕を上下しながら半泣きでセシリアは訴えた。
だって半年もずっといたら、それだけクリストファーとの接触機会も増えるではないか。
それに先日会った感じで、彼は抜け目のない人物に見えた。王が「弱みを握られるな」と忠告するくらいなのだから、セシリアの見立ては間違っていないだろう。
(ずっと毎日近くにいて、正体を誤魔化せる自信がない……っ!)
「余に取り決めを覆せと?」
「あああ、えええと……へ、陛下が簡単に言ったことを取り消せないのはっ……重々承知して……ええと、なので条件というか定義というか……陛下の臣下として外に出せるのは月何時間とか、週何日とか……無理、です、か?」
はっ、とフランシス王が声を発したのに、ひぃとセシリアは首をすくめる。
セシリアだって侯爵令嬢だ。
国王と元王子の魔塔主の間の取り決めが、平民上がりの子爵の養女であるセシリア・リドルに口を出せるはずもないことくらいわかっている。
「余に、無理と問うか? 小娘」
そこじゃなくて、できるかどうかですううぅっ、とセシリアはフランシス王に思ったのだった。
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