2-1:はい、解けました!
「はい、解けました!」
「……」
どんな顔をしたらいいのかわからない。
客間のテーブルに物々しい表紙を開いた古書を置き、向かいの席に座る<深園の解錠師>セシリア・リドルを前にしての、魔塔主クリストファー・ドゥクス・シルベスタの正直な感想であった。
(悪い冗談だと思いたい)
魔力遮断布に包んでいた二級封印魔術古書を、<深園の解錠師>の少女が取り出してテーブルに置いてから、まだものの数分しか経っていない。
強固な結界に守られているはずの、本の表紙を開くに至っては一分かかっているかどうかも怪しい。
当の少女は、ほぅと一息ついて、お茶のカップに口を付けている。
クリストファーが客間付きの使用人に用意させたものだが、そんな会話も一区切りして一息みたいな雰囲気出されても困惑する。
二級封印魔術古書は、封印解除に魔術師が成功した例が三冊あるが、いずれも多くの犠牲による知見の積み重ねの上で成り立っている。
「レディ……手にしても?」
「はっ! えぇっと……はぃ……どうぞ……」
先程、本に手をかざしクリストファーの存在どころかこの世界そのものを遮断して、深淵なる世界へ沈み込んでいた少女は一体どこへ。
彼が声を掛けた途端に、びくっと手に持ったカップを取り落としそうに身を縮ませて、そっとテーブルに戻し、おろおろしながら答える。
クリストファーのカップをちらちら見る、薄青の瞳の動きに気がついて、ああと彼は人好きのする笑みを少女へと向けた。
「お茶は君と君の友人のために用意したものだから、作法など気にせず自由に楽しんで」
テーブルの隅では、リトラという名らしい白リスが、焼き菓子を半分ほど齧って、カップの側で満足そうにうとうと寛いでいる。
飼い主が震えているのとは対照的だ。
そういえばセシリア・リドルは、下町暮らしが長い平民の少女である。
上級魔術師ネイサン・リドルに引き取られ、子爵家の戸籍に入ったのはたしか十三歳。王都に出てきたのは十五歳。
弟子として面倒を見るための養子だ。社交の場にも一切出ていない。王城の作法など知るはずもなく、もしかすると貴族の礼儀も怪しい。
「……ありがとう……ございます……」
少女が深々とお辞儀しながら、本の表紙を閉じてその縁を押し、つつつつっとテーブルの上を滑らせるように本を差し出す。
一応これは敬われているのかなと思いながら、クリストファーは鷹揚にうなずいて、内心警戒しながら本の表紙に手を置く。なにも起きず、感じることもない。
ただの古い本に触れたのと同じ、本当に解錠出来ている。
(魔術師連合にありのまま伝えられないな、これは)
我々の長年の苦悩や犠牲はなんだったんだと、また一悶着おきそうだ。
変にセシリア・リドル個人に目立っても欲しくない。クリストファーに彼女の争奪戦をする気はない。
魔術界にとって重要なのはあくまで解錠技法であり、王直属の臣下に手をだすわけではないとしておきたい。
技法は公開されているものの、いまのところ大陸でそれができるのは彼女一人。おそらくはこれからも。
無用の軋轢を防ぐためにも、建前は大切だ。
(そうしておいて正解だった)
優秀なサポート役の魔術師と複数人でかかれば、あるいは可能かもしれないと……クリストファーはそのようにも考えていた。封印魔術古書の二段階封印の術式を解析し、それを解く間は、誰か魔術師が彼女を守るサポートしていたのだろうと。ネイサン・リドルのような上級魔術師が。しかし違った。
(まさか、本当に一人で! こんな短時間で! なにも起こらずにだなんて! ……思わないじゃないか)
表面、平静を保って、クリストファーは本の表紙を開く。本当になにも起きない。本の内容を守る《防護錠》の封印も完全に解除されている。
「あのぅ……手袋……」
ぽそりと少女が呟き、いまそこに言及したかと、クリストファーは本の封印解除に感心したように、目を閉じて軽く天井を仰ぐ。
本当に感心もしているがどうしたものか。
(“手”の内側の火傷を見せて追求する機は、完全に逃している……)
怯えたようににびくつく少女は、謎の押しの強さを見せ、本の封印をいますぐ解くのだと訴え譲らなかった。ひとまず落ち着こうと、お茶を用意したクリストファーだったが、まったく会話にならなかった。
すべては己の立場を築くためではあるものの、どのような相手にも対応できる社交技術を身につけ、老若男女問わず誰をも魅了する第二王子と言われるほど、社交の会話で困ることがなかったのにと、若干自信喪失したほどである。
目を覚ました際の少女の挙動不審さは、単純に見知らぬ場所にいて、クリストファーと二人きりな状況に対してだったようだ。
(たしかに彼女の立場で考えたら、人払いされた見知らぬ部屋のベッドにいて側には男性。それも王族の魔塔主が寝顔を覗き込んで額に触れていたのだから……怯えて当然だな)
少女はクリストファーになにも言わないが、警戒も露わに涙目で押し黙られてはさすがに察せられる。
結局持ってきた二級封印魔術古書を、ローブの袖の中から取り出すに至った次第である。
その間で、少女が倒れた時、彼女のローブに施された術式が機能したと、本人は知らないことにクリストファーは気がついた。これまでの少女の様子から見て、知っていれば真っ先にそのことで慌てる。
だがもう色々と考え合わせて、非はクリストファーの側にあると結構、いやかなり反省している。
むしろ手のひらを軽く焼かれるだけで済んでいて、彼女が非難もなにもしてこないことに感謝すべきである。
(彼女の管轄する禁書庫に前触れもなく入り、待ち構えるような真似した挙句……僕としたことが初対面で第一印象最悪じゃないか)
よく考えたら、禁書庫などまさに誰も容易には助けにこられない密室である。
魔術師でもない非力な少女の身で、大陸で唯一の解錠技法の持ち主。
王や師から警戒するよう言われているはずだ。そこへ、ずっと少女を認めずいた魔術界に属し、禁書庫の鍵を持つクリストファーが前触れもなく現れたのだから、逃げようとしたのも正しい判断である。
「魔術付与してあるものだから、外したほうがいいと思ってね」
かなり不自然な間が空いたとわかっているが、手袋に関する少女の疑問にクリストファーはそれらしい理由で答えた。
「でも、魔力遮断布……」
「念のためだよ。このまま少し中身を確認しても?」
「ど、どうぞ……」
畳み込むようにクリストファーは少女の言葉を遮って、彼の手袋への関心を断つ。
セシリア・リドルは魔術が絡むと、あまり怯まなくなるようである。
まだなにか言いたげに口元を動かそうとするのをクリストファーは黙殺して、彼女に手の内側を見られないように、片手で本を少し立たせるように持ち、頁をめくる手を隠して中身を確認していく。
どの頁に触れてもなにも感じない。
(土地固有の魔性植物の調合法、これか……)
ペトラ病の治療薬といった明記はないがおそらくはそうだろう、詳しい検証は魔塔に戻ってから考えるとして、ひとまず記述箇所をクリストファーが確認しようとした時、静かな声音が彼の耳を打った。
「第四章の第五節から第十一節」
「え」
「……は、気をつけた方がいいです。たぶん……」
まさにいまクリストファーが確認しようとしていた記述箇所を、厳粛な響きを宿す声ではっきりと告げ、それに付け加えるようにぼそっと不明瞭な小声でそう言った少女に、彼は眉を顰める。
「それは、どういうことかな?」
高い致死率で人々を脅かす風土病、その治療薬の処方。
そのためにこの本の封印解除を少女に要請したのである。
だが彼女、<深園の解錠師>の言葉は、まるでその知識を使うなとでも言っているようである。
「レディ・リドル?」
責めるつもりはなかったが、多少冷淡な声音にはなったかもしれない。
少女の顔が若干ひきつり、その顔色が少しばかり青ざめる。扱いづらいなと、クリストファーは本に目を落とすように一度うつむいて、なるべく彼女を刺激しないよう努めて穏やかな表情と声音で話しかける。
「失礼、問い詰めようとしたわけではないんだ」
「……」
「ただ、丁度目に留めた、我々の目的とするところに思われる箇所だったものだから驚いて」
それに、彼女が本を開いていたのはほんの数分。
ぱらぱらと一人でに本の頁が送られていくのを、深淵なる世界の底からただ静かに眺めるような目で見下ろしていただけである。
中身を正確に覚えるどころか読んだとも思えない。
封印解除があまりにもあっけなく終わるのはどうしたものかだが、一方で、解錠師は内容まで感知しないと説明できることはありがたい。
本の内容、記されている知識、古代叡智を得たい者は多いだろうから。
「封印魔術古書の知見で君に勝る人はきっといない。僕に教えてくれないかな?」
これは本心だ。これまで多くの魔術師が封印解除に挑み、クリストファー自身も回帰する人生で同様であったが、本の封印を破壊し打ち消すことばかり考えていた。いまの魔術では考えられないものとして。
(けれどセシリア・リドルは違う。数多の書物に断片的に残されている、封印魔術古書に関する情報を丹念に調べ上げ、さまざまな角度から考察し、仮説を立て、実践が出来ない制限のなかで検証を繰り返したに違いない)
セシリアという名前から、もしやと期待したのもたしかだ。
しかしそれだけでは、あの論文に書かれた技法に、クリストファーはここまで惹きつけられてはいないだろう。
会うだけなら、元王子である王族の立場を使って会うことはできた。
けれどもクリストファーは、きちんと魔術界に<深園の解錠師>を迎えた上で、魔術師として会いたかった。
だから二年も、関係各所全方位に対して忙しく立ち回り、働いたのである。
(魔法魔術の知識全般への深い理解がなければ、技法の確立など不可能だ)
その努力を考えるだけでもクリストファーは畏敬の念にかられる。彼も魔力の制御が優先で理論や術式理解は後になったから、短期間でそれを成すことがいかに大変かよく知っている。
本当に、封印魔術古書への、魔法魔術への探究心を持っていなければ到底出来ない。
「<深園の解錠師>レディ・リドル」
クリストファーが真っ直ぐに少女を見て言えば、彼女は驚いたようにその薄青の目を見開いた。
二、三度瞬きをして、ゆっくり小さくうなずく。
「その箇所だけ《防護錠》の術式が不穏な緻密さで……えっと、あとは大したことなかったんですけど……」
「……」
大変では……あまりなかったのかもしれない。天才とは残酷無慈悲だ。
超一級からすれば格下でも、二級封印魔術古書は百年単位で幾人もの魔術師が本を手にして、三冊しか封印解除に成功できていないもの――なのに、大したことはなかった。
そしてふと、クリストファーは違和感を覚える。
そう、今回要請したのは二級封印魔術古書だ。
その中の、治療薬の処方に関する記述でこうも慎重な忠告をするのに、いま各機関と共同で調査にあたっている、超一級封印魔術古書『深園の書』に関しては、特に注意事項も忠告も受けていない。
(握りつぶされている可能性もあるけれど、あの父が危険なものと知っていて、委託事業として魔術師連合や王立学術院に調査を丸ごと渡すことをよしとするかな)
答えは、否だ。
事故が起きそうとわかっていて、放置するような馬鹿なことはしない。
「わかった、留意しよう。ところでレディ、君を疑うわけではないけれど……『深園の書』にはそういった心配事はなかったのかい?」
「え……」
少女の薄青の瞳が泳いだのを、クリストファーは見逃さなかった。
ぱたんと手にしている本を閉じて、テーブルに置き、ゆっくりと腕を組んで表情だけはあくまで穏やかに少女を見据える。
「ふうん?」
「ふ、封印は、解きました……読めていますよね?」
「そうだね。詩的表現や解釈に悩む記述も多くて、まずは意味をつかむところからやっているけれど」
「ええと……中身はよく……わからないので……」
「気にならないの? 封印魔術古書の研究をしているのに」
軽くつつく程度のつもりが、明らかになにか言えないことがありますとわかる感じに青くなり、あわあわとお茶を飲んでむせたりしている。
これでよくあの父の下でやれていると、クリストファーは胸の内で呟く。
弱い者いじめをするようで気が引けるけれど、もう少しだけつつくことにする。
要請通りに本の封印を解除したから、はいこれでおしまいです、となるのは困る。なにより癪だ。
「君のそのローブ」
「ふっ……え!? あ、わぁっ……!」
クリストファーの言葉にびくっと震えた弾みに、カップに腕が当たり、ガッシャンとカップとソーサーがかち合う音を立てて、振動で跳ね飛んだお茶が少女のローブにかかる。
「あああっ」
「へえ」
「えっと、その……」
「浄化? 復元? なんだろう? なにかすごい術式が仕込まれていることだけはわかるけれど」
「これは……その試しで……修復するとこだけ切り貼りというか……でも要件は満たしてなくて……」
(お茶に魔力はないから別の仕組みか。要件は、たしかにそうだけれど)
クリストファーとしては別に罰する気も、表に出す気もない。
だが興味がある。<深園の解錠師>はきっと解錠技法だけじゃない。
せっかく魔術界で、その技法は保護すべき魔術に属するものと位置付けたのだ、魔塔主の立場からしてもやはり行使すべきだろう。
「機能で見れば、違法礼装になってしまうかもね……けれど興味深いね」
にっこりと微笑めば、ひっと少女が息を引き込む音がした。
初対面の第一印象最悪だけでなく、脅しまがいのこともしている。もう極悪人とでも思われているに違いない。
「魔術師連合の長として、後日、正式に父上と協議するよ」
肩を小刻みに震わせている少女に、ふふっと込み上げる笑いを抑えきれずに口元に拳を当て、クリストファーはもう一方の手で本を持って椅子から立ち上がった。
「あ、この部屋。当面このまま使えるようにしたから、君が好きに使っていいよ」
「いいです……いいですっ……」
「喜んでもらえてなによりだ。我々の要請に応じていただいた感謝を。<深園の解錠師>レディ・リドル」
ひらりと白ローブの裾を翻してクリストファーは客間を出る。
ガタっ、ゴトっと、普通客間ではしない音が扉の向こうから微かに聞こえ、彼は苦笑しながら、魔塔へ戻るため王城の廊下を歩きだした。
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