1-10:期待と失望と興味
本日更新2話目です。最新話にご注意ください。
「では、もうすぐ日課の時間ですから。失礼しますわね、お兄様」
「朝から呼び立てて悪かったね、アメリア」
王太子である長兄と同じ、淡い波打つ金髪を揺らして客間の椅子から立ち上がった妹に、クリストファーは優しい兄の声音で彼女を労った。兄妹の二人は母である王妃に似た。クリストファーだけが父親似である。
「わたくしはどこの誰とも知れない方より、お兄様を治して差し上げたいのですけど」
つんと斜めに顔を持ち上げ、ベッドに寝かせた灰褐色の髪の少女へとちらりと目をやってアメリアがぼやき、クリストファーは困ったように苦笑してみせる。
回帰していた人生では、クリストファーをただ遠巻きに物言いたげな目で見て、背を向けるだけだった妹は、今世では彼に懐いている。
どうやらクリストファーがこの少女のために、王城の客間を急ぎ手配させ、自分を呼び出したことが気に入らないらしい。少しばかり意地の悪さをのせた口調だ。
「治してもらいたいけれど、僕がアメリアの治癒を弾いてしまうから」
「魔塔にあるお薬をちゃんと塗ってくださいね!」
「わかっているよ」
クリストファーの妹、第一王女のアメリア・アルベルタ・シルベスタは、世にも珍しい治癒魔法保持者だ。
正式に公表してはいないが、それでも貴族の間では「シルベスタの聖女」と呼ばれている。
(王女としての価値が釣り上がりすぎて、下手に他国へ嫁がせられないと兄上が悩んでいたな)
魔法保持者は、生まれつき自分の魔力で奇跡や不思議な現象を起こせる能力を持っているが、大抵その能力は限定的で弱い。治癒なら、ちょっとした傷を治すくらいのものが大半である。
人は魔力を、人外のように自在に振るうことはできない。
ところがアメリアの治癒魔法は、病も怪我も治し、精神的な癒しをも与える。
「応急処置で魔力の薄膜を傷に被せたから、大丈夫だよ」
ジェフ曰く、“人間辞めてる魔力の持ち主”のクリストファーは、強い魔力耐性を持つため、外部から受ける魔法や魔術には強い反面、治癒魔法など有益なものも弾いてしまう。
それでいて、魔力濃度が濃い場所だと、魔力を取り込んでしまうのだから厄介な体質である。
「一体、なにがありましたの?」
ベッドの少女から、側について椅子に掛けているクリストファーの手元へと視線を移し、アメリアが気遣わしい表情を見せる。クリストファーが手にはめている、白手袋の手のひら側の生地は焦げてなくなり、剥き出しになった手のひらは赤く火傷となっていた。
「ちょっとした事故かな。僕が彼女の制止をきけなかったんだ」
「禁書庫にいたと仰ってましたけど、ではこの方が、お父様が目をかけている<深園の解錠師>様? レディ・リドル?」
たぶんね、と。
言葉の代わりにクリストファーは微笑む。
あの禁書庫に一人で入れるのなら、鍵の持ち主であることは明白だ。
だがその称号と名前の少女だと、クリストファーはまだ彼女の口から聞いていない。
「まさか、封印魔術古書に触れたのですか?」
「それは言えない」
悪戯っぽくそう言えば、もう追求はしないだろう。兄に不利益なことになりそうだと判断する。
クリストファーが触れようとしたのは、彼の前で己の足をもつれさせて無様に床に倒れた少女だ。
わざわざ話すことでもないし、わざわざ嘘を吐いてまで隠すことでもない。
「お兄様の魔術馬鹿には呆れます。わたくしにその方を治療させたことは、秘密にしておきます」
「そうしてもらえると助かるな」
手は大した怪我ではない。数日、火ぶくれになるだろうが、魔塔にある薬を塗ればすぐ治るだろう。痛みもそれほど出ないはずだ。
それよりも。
クリストファーはベッドの中の少女を見た。それに気がついたらしい、アメリアが小さく息を吐く。
「その方、とても神経がお疲れのようです。わたくしとそう変わらない年齢で、お父様に突然臣下にされては仕方がないのかもしれませんけど」
淑やかにクリストファーに一礼して、アメリアは客間を出ていった。
内に開く、両開きの扉の片側は開けたままだ。
兄のクリストファーが介抱しただけとはいえ、少女の外聞に配慮したのだろう。
「さて」
クリストファーはアメリアに見せていた優しい兄の表情を消して、氷色の目をわずかに細める。少女を驚かせてはいけないからと、自分が指示するまで人は払ってある。
正確には、クリストファーはベッドに眠る少女を見たのではない。
おそらくは<深園の解錠師>セシリア・リドルと思われる少女が着ている、亜麻色のローブを見たのである。
(これは一体、どういうことかな)
クリストファーは火傷した自分の手を見て、体の内を巡っている魔力に意識を向ける。それほど多い量ではないけれど、はっきりわかるくらいには魔力が減っている。
人間の体は、概ねその人の適量値で魔力を保持するよう調節機能を有している。
クリストファーは元の魔力量が多いせいで、調整機能が若干不具合を起こしている。周辺の魔力に影響されて魔力酔いを起こしやすい。
だから身体強化と毒物などの状態異常を打ち消す術式を手袋の内側に仕込み、常に魔力を少しずつ流し発動させていて、時折ジェフがぼやく「魔力と才能の無駄遣い」をして調節している。
(それを感知した?)
他者の魔力で起動させる罠はある。ただそういったものは、もっと単純なものだ。仕込んだ全範囲が起動し、魔力で編んだ網で拘束したり、雷電のようなもので痺れさせたりする。
流していた魔力を攻撃と見做し、奪って、反撃してくる手応えがたしかにあった。
(もう一度確かめたいけれど、眠っている女性の着衣に触れるのは、さすがに気が咎める)
考える通りのものであるなら、上級魔術師のみが着用を許される魔術付与された防御礼装どころではない。
とんでもない精度と緻密さで組まれた、未知の術式だ。
(ネイサン・リドルが作った? こんなとんでもないものを?)
いや、違うなと、クリストファーは即座に結論付ける。
ネイサン・リドルはかなり個性的な魔術師だが、そこまでの魔術師ではない。
「セシリア……リドル……」
セシリアという名前。ヴァスト家の縁戚の戸籍に入った少女と聞いて、もしかしてと考えなかったといえば嘘になる。回帰していた人生でクリストファーは、“彼女”に魔力がないことも、その演算能力の高さも、子供の時から知っている。
婚約者候補として引き合わされた時、いつ魔力暴走を起こすかわからないから近づくなと、突き放そうとしたクリストファーの手を取り、魔術を教えてくれたのはセシリアだ。
黒髪と菫色の瞳がどこか神秘的な雰囲気の少女は、侯爵家の書庫にある魔力や魔術に関する本を持ち出して、本人よりも熱心に調べたりあれこれ考察したりしてくれた。
(あの頃の僕にどれほどの救いで、一筋差した光のような希望だったか。きっと誰も理解はできない)
手足や耳にまで枷のように魔道具をつけられ、それでも定期的に魔力を暴走させて、周囲の物や人を巻き込み傷つけるしか出来ない。忌まわしい己の魔力を、そうではないものに変えられるかもしれない。
「発表されている年齢は、いまの“彼女”の二歳年上……」
しかし、王である父が手元に置きたいと思ったなら、どうしたって置くに違いない。偽りの経歴や戸籍なんて、王が手を貸せばどうにでもなる。
(今度こそ、彼女を守らなければならない)
今世では出会ってすらいなかった“彼女”が、突然王家に取り込まれるなんてあっていいことではない。
たとえ“彼女”でなくても、リドル家はヴァスト家につながる家だ。
(この二年もの間、本人の顔も見ずに必死になっていた自分に呆れてしまう……本当に別人で……)
セシリア・リドルが王城禁書庫に入ってきてすぐ、クリストファーは彼女に気がついていた。
灰褐色の髪にどうやら薄青の瞳らしい、小柄で貧相でとても十七歳には見えない少女。
がっかりもし安堵もした。クリストファーが大事に思うセシリアではなかったことに。
(本当に、“彼女”とは似ても似つかない)
王城に知らせず、ただ鍵の所有者として入室した非礼は承知の上だ。身構えない姿を見たかった。
彼女は、かなり離れた場所にいるクリストファーの姿を見て固まったばかりではなく、彼に気づかれないよう禁書庫から出ようとした。己が管轄する場所から逃げ出そうとし、おまけに無様に失敗したのである。
(あの論文からは、たしかに“彼女”の雰囲気が感じられたのに)
禁書庫の鍵を持つ自分が届けるのが手っ取り早いと、東部支部から届いた二級封印魔術古書をジェフから取り上げて出向いた甲斐がまったくないと思った。
頭を打ったためだろう。明らかにおかしな様子を見せた少女が混乱状態で気を失い、再び床に倒れかけたのを支えようとしてその腕に触れ、手を焼かれるまでは。
無慈悲で実に洗練された……そして誰にも破ることができそうにない。
「僕をこんなにして、いつまで眠っているのかな。このお嬢さんは」
ひと束ねの三つ編みにざっくり編んだ髪が、乱れて頬にかかっている。
着ているものは子爵家の養女らしく絹地ではあるものの、やはり弟子としてだけに侍女などは付いていないのだろうか。あまり眠れていなかったのか、目の下の血色も悪い。
「一時期、ネイサン・リドルの庶子ではないかと噂も流れたけれど」
実際は、ネイサンから見て、少女は血縁的に父親の異母妹が産んだ、従妹にあたる。ネイサンの祖父と平民女性の愛人、その間にできた娘が産んだ子供であるらしい。
布団から出ている少女の小さな右手の中指に、金台のオパールの指輪が遊色の光にきらめいている。
ネイサンの祖父が愛人に与えたものらしい。それが引き取った決め手だと。
(たしかに素晴らしく良質な大粒のオパール。薄いが魔力も帯びる貴重石)
少々怪しい気もするが、眠っている顔を眺めていると、髪色は違ってもどことなくクリストファーの知るセシリアと、面差しが似ている気もしないでもない。
だが、クリストファーは十三歳以降の、王城にいたセシリアときちんと顔を合わせたことがなかった。
王家を出され魔塔に属してからは、特に。王子ではなくなったのに破棄されない婚約を解消させるために。
セシリア・ヴァストは大切な存在ではない、人質として価値はないと、王家に思わせるために。
(鮮明に覚えているのは子供の頃と、彼女を殺した男への失望の表情だけ……ん?!)
少女の頬にかかる髪をそっと指の背で払おうとして、突然彼女の襟元から飛び出してきた白いふわふわした生き物に、クリストファーは驚いて手を引いた。
威嚇するように少女の肩に乗って彼を睨み、ふわふわの白いしっぽの毛を逆立てている。
「えっと……白リス、かな?」
「キュるッ!」
たぶん飼い主を守っている気らしいが、全然怖くない。噛み付いてくる前に尻尾をつかんで持ち上げられる。
なにか持っていたかなと、クリストファーはローブのポケットの中身を思い返す。
ルコの実が二粒くらいあったはずだ。栄養価の高い赤い木の実で、仕事で少し疲れた時につまむのに丁度いい。
「食べるかい?」
取り出した木の実を指でつまんで差し出せば、拒否される予想に反しあっさり受け取った。
首を傾げて口に頬張りご満悦な様子を見せる。首の毛並みを指の背で撫でると濃いオレンジ色の目を細めた。
「御しやすい子は好きだよ。名前はご主人様に聞こうか。起こせるかな?」
リスは人の言葉を解さない。ただのたわむれに話しかけただけだが、驚いたことに白リスは小さな手でペタペタと少女の頬をつつき始めた。ずいぶん賢い。
「使い魔……いや、リスだなどう見ても」
第一、使い魔などそれなりの魔力がなければ持てるものではない。
クリストファーは少しばかり思案して、木の実を出したのとは別のポケットから、金字で術式が刻み込まれた小さな透明の玉を取り出した。魔塔から拝借してきた測定器だ。
それをそっと布団から出ている少女の手の下に差し込んで触れさせ、クリストファーが手を離せば、玉は青白い光を薄く放って少女の魔力量を示す。
「六五……予想以上に少ない」
そっと玉を回収し、ローブのポケットへと戻す。
本当に一般人に毛が生えたレベルだ。五十以下が、魔術の素質がなにもない普通の人である。
魔術師なら十代のうちに九十はないと厳しい。魔力は成人するまでにかけて伸びる。十七歳でこの魔力量なら見込みはない。魔力の少ない者がその量を大幅に伸ばした例はない。
ぎりぎり少ない魔力で術式を組み上げられたとしても、発動させるには魔力が足りない。
(だとしたら、やはり僕の魔力を奪ったことになる)
魔塔主の立場としては見過ごせない。魔術の成立要件は満たしていないが、機能で見れば十分違法礼装だ。
違法魔術は結構重い罪である。表沙汰になれば王族の手を焼いた罪も追加される。
(ローブを取り上げて、罰することは簡単にできる)
しかし、クリストファーはそういった気になれなかった。
アメリアに事故だと言った時点で、彼にセシリア・リドルを罰する気はない。
「んんっ……リト、ラ……ちゃんと、帰るから……」
「おや」
きゅっ、と白リスが少女の枕元に移動し、誇らしげな顔をクリストファーに向ける。
賢い上にやけに人間臭い振る舞いをするリスだ。小さな額を指先で撫でてやり、クリストファーは少女へと目を向ける。このリスの名はリトラか、「ちゃんと帰る」とはどういうことだろう。
ぼんやりとまだ焦点が合っていない薄青の瞳の目と、彼のわずかばかりの幸福の記憶が無意識に重なる。
ああ可愛いなと、クリストファーは知らず少女の額に手の甲でそっと触れていた。
焼けた手の内側が彼女に見えないよう指で隠して。これから追求するつもりでいるのに。
「え……どこ?」
薄青の瞳が揺れて、起きてしまったかとクリストファーは手を戻す。
「リトラというのかい? 君の可愛い護衛騎士は」
「え、ひゃぅ……ぅうっ!」
なにか名を呼びかけ慌てて噛んだような声を出し、少女が飛び起きたものだから急に動いて大丈夫かなと少しばかり心配になる。だが、じっとクリストファーの顔を見つめ、両手を口元にふるふると体を揺らしている少女の様子に、元気かなと彼は判断する。挙動不審なのは倒れた時のことを即座に思い出してかもしれない。
「自己紹介が遅れたね。魔術師連合から本を届けにきたクリストファー・ドゥクス・シルべスタ。本部の長で慣例で魔塔主と呼ばれている。君は<深園の解錠師>レディ・リドル?」
「っ……はぃ……」
「午後には戻らないといけないから、目を覚ました早々申し訳ないけれど、仕事の話をしてもいい?」
にっこりと有無を言わさない微笑みをクリストファーが向ければ、張り合いがなさ過ぎて笑いが込み上げてくるほど意気消沈した「……はぃ」が返ってきた。
本当にこの少女が、あの解錠技法を生み出したのだろうか。
「まず二級封印魔術古書から。どういった段取りがいいかな」
「……解きます」
「うん、まあそうだけど、場所とか日取りとか」
「え……だって……届けにきたって」
「ん?」
「すぐやりますからっ! それで終わりでいいですよね! ね!?」
薄青の目の縁に涙を薄く溜め、妙な押しの強さを見せてすぐやると訴える少女に、これは冗談を言ってる人の顔ではないなとクリストファーは、ひとまず答えることはせずに黙った。
本当に、その場で解いてすぐさま追い払われてしまいそうだ。それは困る。
たっぷり三十秒ほど間をおいて。
「少し落ち着こうか」
クリストファーは主に己に向けた言葉を、少女に告げた。
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