部隊長と所長の話
長編の出だしになりますが、別サイトでちょっと展開に引っかかってそのまま続きを書けなくなったので、出だしだけ掲載。これはこれで完結しているので良いかなと思っています。
それは、春を告げる風が吹いた日の午後だった。
数週間ぶりに仕事場である研究所から自宅へと戻ることの出来たサーフェルの、小ぶりだが一人暮らしには充分な町外れの一戸建て、その玄関の前にゴミ袋が落ちていた。
「何故、ゴミがここに?誰かの嫌がらせだろうか。しかし私は人に嫌がらせをされるような覚えが無い」
自問自答をしつつ、ゴミ袋があっては扉を開くことが出来ない。
扉を開くことが出来なければ、自室に入ることが出来ない。
それでは日々積み重なった睡眠不足と疲労を癒す事が出来ない、と、仕方なくサーフェルはゴミ袋をつま先で扉の前から退かそうと試みる。
「痛い」
「ゴミ袋が喋った」
「誰がゴミ袋かっ」
ゴミ袋だと認識していた黒い物体は、黒いマントを着込んだ薄汚れた男だった。むくっと起き上がった男はサーフェルよりも背が高く、肉厚に感じられた。と、言っても太っていると言うよりは鍛えていると言える体つきで、錆びて汚れた鉄のようなこげ茶色の髪をしていた。前髪が鼻の頭まで伸びている為瞳の色は良く見えず、共通語である大陸語に目立つ訛りは無い。
「何故人の家の前で転がっていた。そんな汚れた格好で丸まっていればゴミ袋と思っても仕方無かろう」
「人の家?ここはサージナルの家ではなかったか?」
「叔父の知り合いか。叔父ならば5年前に……」
「まさか、亡くなったのか」
「いや、多分生きている。どこへ行ったかは不明だが。彼は役職も家も私に押し付けて放浪の旅に出て行った」
「役職、と言うと君は魔術研究所の所長なのか?その若さで」
「若いかどうかはともかく、いかにもそうだ。さて、そろそろ退いてくれないか、私は家で寛ぎたい」
「あぁすまない。では一服の茶を所望しても良いか。喉が渇いて……」
「何故?」
「何故とは?」
「何故私が見ず知らずの人間を家に招きいれ、かつ、茶を振舞わねばならないというのか、疑問に思ってな。叔父の知り合いかもしれないが、私には関係の無い話であるし、先ほども言ったが私は早く家の中で寛ぎたいのだ」
サーフェルの澱みの無い口調に、男は呆然と口を開ける。
「いや、普通遠路はるばる親族を訪ねて来た人間を立ち話で済ませて放り出すか?」
「普通と言う根拠も何も無い、曖昧な言葉で括るのならば、何ヶ月もまともに着替えすらしていない汚れ腐った格好で名前を名乗るでもなく疑問と要望しか口にしない胡散臭い人間を家に招きいれる事は、普通はしないな」
睡魔の威力がどんどんと増してきていてサーフェルは限界を感じていた。早く眠りたい。せっかく自宅に戻ってこられたのに、睡眠時間がどんどんと削られていく。そう感じたサーフェルは眉間に皺を寄せて男を見上げる。邪魔者はどこかへ飛ばそうか、そう思ってマントの内側に手を入れ杖を出そうとした瞬間、男に手首を掴まれてしまう。
「俺の名前はジェイス。サージナルには昔仕事で世話になった。彼の力を主が求めていて、仕事の依頼に来た。しかし、彼がここを去り、そして彼の後任者が居るのなら、その後任者に依頼を託したい、どうしても話を聞いてもらいたい。時間をくれ」
男の真剣な様子にサーフェルは唇を引き結ぶ。眉間の皺は深いままだ。
果てしなく面倒ごとの予感がする。
昔からこんな予感の的中率は高かった。
無視してしまおうかとも思ったのだが、男の手は力強くサーフェルの手首を掴んだままだ。サーフェルは限界まで睡魔を感じていた。
「仕方ない。風呂を使え。丁寧に頭から足の先まで洗ってゴミから脱出しろ。それまで壁はおろか家具なんかにも触るな。そして私は1時間寝る。限界なんだ、1時間立たずに私を起こすような真似をしたら、即刻叩き出すからな」
サーフェルの言葉は男には意外なものだったらしく、髪の隙間から目を大きく見開いている様子が伺えた。影になっているせいで暗く見える瞳の色をサーフェルは眺める。
「すまんな、では先に風呂を頂こう」
手首を開放され、サーフェルはさっさとドアを開けると男を入れ、風呂場まで先導し、男には一切ドアやスイッチに触れさせず、手をしっかり洗わせてから風呂場の説明をして扉を閉めた。
タオルと自分の持ち物の中でも大き目のシャツを出してからサーフェルはやっと念願のベッドへとダイブした。
とにかく、早く寝たい。彼はそれしか考えられず、変な事になった自覚はありつつも瞳を閉じた。
「面白い男だな」
風呂場で言われた通り頭から足の先まで洗い清めながら男、ジェイスは家主のサーフェルの事を考えていた。
なかなか泡がたたず、かなり汚れている自分に本当にゴミ袋だなぁと感じながら懸命に擦る。
目的の男が所在不明と言うことは残念な話ではあるが、飄々としていて、実は責任感のあるサージナルが後を任せたと言うサーフェルはそれなりに実力のある男なのだろうと見当をつける。
排水溝に流れていく、茶色い液体がだんだんと透明度を増していく頃には、ジェイスはゴミ袋から脱出していた。
用意されたタオルで身体を拭き、シャツは荷物の袋の中からマシなものを出して着る。サーフェルのシャツでは肩の辺りがパツパツで入りそうも無かったのだ。
「彼はやせっぽちなんだな。望むのなら鍛錬に付き合っても良いな。もう少し筋肉をつけたほうが良いだろう」
掴んだ手首も細かったとジェイスは思い出す。親指と人差し指で輪を作り、余裕で回ったなと感触を思い出す。
風呂場を出て、ダイニングに出るとメモを貼り付けた水差しが目に入る。そこには乱暴な筆跡で【飲め】と書かれていて、サーフェルが自分の為に用意してくれたのかと、笑みを浮かべてグラスに注ぐ。
一時間は起こすなと言われたなと、ジェイスはテーブルの椅子を引き腰掛け、懐中時計を取り出し確認する。もう少し時間があるようだ。急いではいるが、彼の睡眠も大事だろうとジェイスは我慢することにした。
「夢じゃなかったか」
のそりとベッドから起き上がり、ダイニングに入ってきたサーフェルは心底嫌そうにジェイスを見て呟いた。
男との出来事は仕事に疲れた自分の見た夢であれば良かったのに、と思ったのだが見事に裏切られたようだ。仕方なく台所に行くと湯を沸かし、ハーブティを煎れてジェイスと自分に給じて男の向かいに座る。
一人暮らしだから椅子は二脚も要らないから処分しようかなと思いながらも、いつか叔父が帰ってきたときに文句を言われては困ると処分せずに居て良かったなとサーフェルはぼんやりと考えた。
「で?叔父に何の用だったのか。と言うか、主の名前言えるのか?」
「そうだな、説明をせねばな」
ジェイスはこほんと一つ咳払いをしてから背を正す。攣られてサーフェルも背を伸ばした。
「俺の主の名前はテオック・ガウナー。ガウナー領主のテオック様だ。先王ギズウェル様の末弟にあたり、隣国カッカーリアとの国境警備を任されている。俺はそこの警備兵第三部隊隊長を務めている」
「思ったよりも大物だった。面倒くさいなぁ」
現王の叔父にあたるガウナー領主絡みの話だと聞かされたサーフェルの感想は面倒の一言だった。
通常余り無い反応に、ジェイスは半ば面白くなって説明を続ける。
「テオック様には今年成年となられる双子のお子様が居る。兄のワーニル様、妹のセミューヌ様。現王のウィージェル様は二年前に王妃を亡くされた。
お子様は王女であるリューネイ様御歳七歳。新しい王妃を向かえ、出来れば王子ご誕生をと、臣下や国民が願っていると矢の督促。
現王はそこでテオック様にセミューヌ様を王妃にと望まれた」
「現王は確か、二十八、九だったか?成年ってことは十五だろう、離れすぎじゃないか?それに王女とさほど年離れていないし」
「その通りなんだ。テオック様はそれを理由に断りを入れた。そうしたら、今度は王女、リューネイ様のお相手にワーニル様をと言い出した」
「十五と七つか。王女が成年する時には二十三。悪くは無いだろ」
「ワーニル様が家出した」
「結婚を嫌がって?」
「恐らく」
ジェイスが、サーフェルの両手を包み込みように握る。空になっても持っているカップごとで、力強さにカップが割れるのではとサーフェルはジェイスを睨みつける。
「ワーニル様を探して欲しい。国からは出て行って無い筈だ。捜索探知の魔道具を駆使しても発見できない。テオック様は、嫌なら王女との結婚なんてしなくて良いって言ってる」
「嫁に出すのも婿に出すのも嫌って、そんな意見通用すると言うのか?」
「テオック様は気にしない」
「領主が気にし無くったって王様サイドはどうなる?虚仮にされたと怒り狂う者が出るんじゃないのか。探して見つけ出して、十五の少年を嫌がる王宮に差し出す手伝いっていうのは面倒……情として嫌だな」
「今、面倒が一番の理由で断るように聞こえた」
「面倒だなどと、まさかそんな。王家のお家事情なんぞ、一般国民の私には全くかかわりの無い事過ぎて、恐れおののくばかりだな」
どこか白々しい棒読みの言葉にジェイスが笑う。そこでサーフェルは首を傾げた。
「何故笑う。と言うか、髭もそったんだな。そった髭はまさかそのまま排水溝に流したのか?」
「顔洗ったついでだったので流した」
「排水溝の微生物が腹を下しそうだ。がさつだな」
「やはりお前は面白い男だな」
「……面白い?」
「あぁ、いちいち反応が俺の予想を裏切って面白い。思い出したがサージナルが将来大物になりそうな変人が甥っ子に居ると言っていた。きっとサーフェルのことだな」
「あなたの予想を裏切るからといって面白いとは大層ご自身の予想とやらに自信がおありのようだが。初対面で、しかも許可を出した覚えも無いのに呼び捨ては止めていただきたい。不愉快だ」
「あぁ、すまない。サーフェルと呼んでも良いだろうか。それともフェルと?」
「サーフェル所長で頼みます。ジェイス第三部隊長?」
サーフェルの言葉がいちいちツボに嵌るのか、ぶはっと大きく噴出してジェイスは笑い始める。サーフェルは本気でジェイスを叩き出そうかとまだ自分の手を握っている男の手を振り払う。
「すまない。怒らせるつもりは無かった」
ジェイスは慌ててサーフェルの手を握りなおす。
「何故手を握らねばならない」
「気持ち良いから?」
「はぁ?」
「いや、何を言っているんだろう、俺は」
「それは私の方が聞きたい」
「そうだな」
「そうだ」
どうにも調子が狂うとサーフェルはジェイスを見つめる。ジェイスに手を握られたままだと言う事に気がついたのは数分も経過してからだった。
召喚転移してきた勇者の日本人とか、前世の記憶持ちの子とか色々属性もちキャラ混在した群像劇を目指していたのですが展開で悩んでしまって模索している時に読んだ小説に書きたいシーンがあって余計混乱してしまってお蔵入りしそう……いや、いつか書ききりたいものだと思ってはいるんですが、まぁこの出だしの二人気に入っているのでここで短編として出しておこうと思った次第です。