93.元社畜は「これは医療行為」と繰り返す
低い呻き声を漏らしながら奥から向かってくるのは、遭遇したことのない人型の敵が3体。ただ、動きは若干遅くてラッキー。全く破壊されていない水晶が、逆に移動の邪魔と目隠しになっているみたい。流れ、こっちに向いている。
属性の相性はわからないけど、とにかく一発お見舞いしてみるしかない。先手必勝ってやつだ。
「――≪付与・追尾≫≪付与・焔槍≫」
「――≪付与・追尾≫≪付与・氷槍≫」
「――≪付与・追尾≫≪付与・雷槍≫」
私は手に握っていた魔石にそれぞれ異なる単体魔法を付与をし、放り投げた。下手に範囲魔法を放って、水晶を壊しちゃったら目も当てられないことになるからね。
魔石は水晶を避けるように複雑な弧を描きながら、魔物を綺麗に貫いた。槍系の魔法は、殺傷力が高い中級攻撃魔法だ。魔物の強さはわからないけど、一撃で倒せたら御の字。
もし魔法が効かなかったら……うーん、とりあえず出入り口を地魔法で塞ぐか……。
とか、考えた次善策を使う間もなく、どん、と1体がその場に倒れ伏した。ただ、他の2体は致命傷には至っていない。くそう、魔法耐性が高いな、身体に穴開いているのに!でも、足止めにはなっている。
この隙に、仕留めた魔物に放った属性――雷槍を追い付与して、更に投げつける。残りの2体も、それでどうにか倒し切った。ひ、ひえ~、何とかなった。倒せた、よかった。心臓バックバクだよ……。
さらさらと塵となり掻き消えるように魔物が消え、やがて元の静かなダンジョンに戻った。肉や皮などが素材にならない魔物の場合、ダンジョンでは魔石ないしはアイテムをドロップして、遺骸を残さず消えてしまう。不思議な仕組みだ。
ちなみに、以前私が感電魔石で倒したスライムたちは素材になるのだけれども、オーバーキルしすぎたせいで魔石しか残らなかったパターンである。
きょろきょろと周辺を見回して、魔力視でトラップがないことを確認しながら、私は床に落ちた戦利品を拾うべく、件の区画に足を踏み入れる。
地の魔石が2つに、短刀かな、これは。想定以上のアイテムが手に入ったので、ちょっとホクホクしてしまう。
屈めていた身を起こすと、不意に黒い影が視界へ入った。壊した壁のところに、陽炎のようにゆらりと人影が立ち上る。少女のような小さな姿。それでいて、禍々しさを感じる。
「ひっ」
私が思わず声を漏らすと、影はにんまりと口らしき箇所を三日月に歪めて笑った。
『あーあ、せっかく質のいい魔力が手に入ったと思ったのに、やぶられちゃった。ざぁんねん』
魔力を介して飛ばしているような、ノイズが感じられる稚く高い声。それは、残念という割に、愉悦を含んだ音だった。
影はくすくすと笑い声を響かせながら、やがてふっと消えた。
……背筋がうすら寒い。さっきの魔物なんて非じゃないくらい、魔力のプレッシャーを感じた。しかも、実体でないにもかかわらず。
――きっとあれが、【狂乱の魔女】に違いない。
* * *
うわぁ、冷や汗かいた。ホラー体験すぎた。
取るものを取って、私は身を翻す。魔力の吸収トラップが止まったから、ヒースさんの欠乏症状も治まっているはずだ。
元いた場所に戻ってみるものの、ヒースさんは目覚めていない。
おおん、魔力の残量がレッドゾーンまで突入しているから、自然回復が間に合っていないっぽい。回復力が人並み以上とはいえ、さすがに重度の欠乏症状に陥るとどうにもならないのか。
かといって、自然治癒に任せてここで一日寝かせておくわけにもいかない。いつ魔女の気まぐれで、トラップが再び稼働してしまうかわからないからだ。
無事を知らせるべく、ディランさんたちといち早く合流したいしね。心配してるだろうなあ。
私はウェストポーチの収納鞄から、マナ・ポーションを取り出す。魔力が吸収されていたさっきまででは、正直あんまり効果が見込めなかったものの、トラップを壊せている今なら効く。
横たわったまま飲ませて、気管にでも入ったらマズいので、上半身だけでも起こさねば。
……っ、ぐ、ヒースさん、やっぱり重たい!ただでさえぐったりと意識のない人は重いのに、さらに装備も加わって結構な重量だ。
私はうんうん唸りながら悪戦苦闘しつつ、どうにかヒースさんの上半身をすぐそばの壁に寄りかからせた。
「……やりとげた」
息切れして、ぜーはー言ってるけど。さっきの戦闘よりも、よっぽど大変だったかもしれない……。
私はマナ・ポーションの蓋を開け、ヒースさんの薄く開いた唇に、瓶のフチを押し当てた。斜めにして少しずつ飲ませてみるものの、口の端からポーションが零れてしまう。ああ、もったいない!
「どうしよう、上手く飲んでくれない……」
困った。かといって、ガーゼに湿らせて少しずつ含ませて、なんてのんきなことはやっていられない。吸飲みとか、補助的な道具もない。
となると、取れる最後の手段ときたらアレか…………口移ししかないのか?
眠るヒースさんの美しい相貌を見て、私はごくりと息を呑んだ。
この人に触れるのか?私が……?
待って、それってセクハラにならないかな!?襲っていることにならないかな!?
よもやこんな事態に陥るとは思わず、私は深々と頭を抱えた。
あと、単純に恥ずかしい。もちろん、意識している場合じゃないのは、よくわかっているのだけれども!経験のなさが、拍車をかけた。
逡巡し葛藤している間にも、刻一刻と時間は過ぎていく。
「あーー……」
でも、ヒースさんをこのままには絶対にしておけない。
いわゆる緊急避難だし、医療行為だ。そう、これは医療行為。これは医療行為!
ここで怯んだら女が廃る。
私はマナ・ポーションを程よく煽った。
(ヒースさん、ごめんなさい!)
心の中でめちゃくちゃ謝ってから、私はそっとヒースさんの唇に己のそれを重ねた。
乾燥で少々かさついているものの、柔らかな肉感と体温に、嫌が応にもどきりとする。
こ、これは医療行為だからー!!決して破廉恥な行為じゃないからー!!内心で妙な言い訳を繰り返してしまうのは、許してほしい。
膝立ちして高さを出しつつ、ゆっくり慎重にポーションを流し込んでいく。がむしゃらで下手くそな口付けにもかかわらず、ヒースさんの喉がこくんと動いて、わずかだがポーションを摂取してくれた。
ほ、と私は息を吐く。ちゃんと嚥下してくれてよかった。
が、まだポーションは残っている。ううう、小分けにしてあと2回分くらいだろうか。気まずい。だけど、これを全部飲んでもらわねば。
私はポーションを口に含むと、再び唇を触れ合わせた。濡れた唇同士が立てるリップ音が生々しくて、内心ひーっと悲鳴をあげてしまう。
ううう、こんなの日本でだってしたことないんだもん!しかたないじゃないか!頑張れ私!
「は……」
こくこくと、ヒースさんは私が与えたポーションを、素直に飲んでくれる。かすかにだが頬に赤みが差してきて、魔力もきっちり戻ってきているようだ。魔力視を使って確認すれば、レッドゾーンは脱出した。
マナ・ポーションは、ある程度の魔力の回復と、回復速度を高めてくれる効能がある。ただ、魔力は服薬で全快までさせると、返って暴走を招きかねないとされ、ハイ・ポーションのような上位版はなく、乱用もよろしくない。とはいえ、今飲ませているのも、リオナさん作のマグノリア製法だから元々の効能は高いんだけどね。
残り一回分を口にして、最後の口づけ。ヒースさんがポーションを全て飲み切ったのを確認して、私は唇を放した。
その瞬間、おもむろにヒースさんの瞼が震え、瞳が光を取り戻していく。至近距離で見るエメラルドの美しい輝きに、私はしばし見惚れた。
「……カ、ナメ?」
「ヒースさん、気が付いてよかった」
掠れた声が、静かな空間にこだまする。
ヒースさんはまだ夢現の狭間にいるのか、ぱちぱちと目を瞬かせていた。
やがて、意識と認識と覚醒が結びついたのだろう。はっと眠気を振り払うかのように首を何度か振ると、私の頬に手を伸ばした。
私はそのまま、無意識のうちにすりっとヒースさんの掌に肌を擦りつける。
「大丈夫、か? 怪我はない?」
こくりと頷くと、ヒースさんは安堵したように微笑んだ。
いつもの、ヒースさんの柔らかな笑顔だ。
よかった。よかった。ヒースさんが起きてくれて、本当によかった。
心配でたまらなくて。ずっと心細かった。恐かった。でも、彼の瞳に自分が映った途端、酷く安心した。もう大丈夫、大丈夫だ。
ぶわっとごちゃ混ぜの感情が次から次へと溢れてきて、やだな、なんだか息がうまくできない。
「……泣かないで、カナメ。心配かけたみたいでごめん。ああ、護るって言ったのに、情けないな」
「ちゃんと、ヒースさんは、護ってくれましたよ」
ヒースさんは手を回して、そのまま静かに私を抱き寄せた。ぽんぽんとあやすように、優しく背中を撫でてくれる。ヒースさんの胸の中は頼もしくて、温かくて。自然と込めていた身体の力が、ほっと抜けた。
嬉しいとか。愛おしいとか。幸せだとか。さっきから、心臓が煩い。絶対に、顔が赤くなっている。
ああ、どうしよう。わかってしまった。気づいてしまった。
そうか。私、ヒースさんのこと……。
混乱や戦闘で興奮しどうにか根性だけで動けていたけれども、ヒースさんが目覚めたことで張りつめていた緊張がふっと途切れたのだろう。
どうやら私は少しばかり、闇に身を委ねることになっていたらしい。




