92.元社畜VSトラップ
温熱の魔石と一緒にヒースさんを抱えながら、私は行動しあぐねていた。
素人が下手に動いても仕方ないと思いつつ、ヒースさんが動けない今、私が周辺を見て回るべきではないかという気もする。
どくどくどく、と自分の心臓が鼓動を刻む音が、やけに大きく聞こえる気がする。
薄暗闇の中、ただ無為に過ぎていく時間に、じりじりと焦りばかりが生まれる。不安と緊張でいっぱいいっぱいになっている現状、どうしても思考回路は暗くなりがちだ。
敵が押し寄せてきたら、とか。
助けはきてくれるのだろうか、とか。
ここから出られなかったら、とか。
――このままヒースさんが目を覚まさなかったらどうしよう、とか。
頭をよぎる負の妄想にぞっとなって、私は必死で頭を振った。
嫌だ。ヒースさんがいなくなってしまうだなんて、絶対に嫌。
いつだって、そばにいてくれた人。
自分にとって、ヒースさんがどれほど拠り所で、大切な人になっていたのか、強く強く実感する。
ヒースさんの体温は、未だ低下したままで冷たい。だけど、口元に耳を当てれば、かろうじて微かな呼吸音が聞こえる。大丈夫、大丈夫。最悪の事態には陥っていない。落ち着け。
けれども、このままじゃ、八方塞がりになるのは必至。
恐いし、心細い。1人で動けるのかと、身体はカタカタと小刻みに震える。けれども、私は意を決して顔を上げた。
ヒースさんは、約束通りこうして私を守ってくれた。ならば、今度は私がヒースさんを助ける番だ。
「……よし」
深呼吸をして腹を括れば、多少は思考に冷静さも戻ってくる。
さっきから、ほのかに感じる違和感に、感覚を伸ばす。私が感じる違和感とは何かと考えれば、それはきっと魔力だ。
多分だけど、何らかの要因があって、魔力が吸収されているのではないだろうか。
ヒースさんの症状は、傍から見ても魔力枯渇の症状に似ている。
ああ、もう、自分の分野だというのに、混乱していて頭が働いてなかった。
意識があれば細かくヒアリングができたにせよ、≪回復≫魔法が外傷以外に効いていない辺りも、裏打ちしていた。
かといって、≪調律≫を使えばどうにかなるというわけでもない。第一、まだ≪調律≫を使えるほど、日数が経過していない。ディランさんの時よりも、互いが食らうダメージは大きいだろう。
それに、よくよく意識を凝らしてみれば、ヒースさんだけでなく私の魔力も抜かれている感覚が読み取れる。
私の場合、魔力量が大きいからさして問題ないけれども、ヒースさんはさっきまでの戦闘で攻撃魔法を使っていた。回復速度は速いとはいえ、私がほぼ無傷に近いことから、ここへと落ちる際にも風魔法を駆使しているはずだ。魔力が減少している最中に吸収が上回ってしまえば、欠乏状態に陥る可能性もなくはないのではないだろうか。
もちろん、あくまでも推測にすぎないけれども。
私はヒースさんの鞄を枕代わりにしてゆっくり寝そべらせてから、立ち上がった。なんだかんだ、私も結構砂にまみれているな。ぱんぱんとローブやパンツを叩いて、汚れを落とす。
見回せば、私の装備に傷などの影響はない。ヒースさんが身を呈してしっかり守ってくれたんだ。じんと、心が熱くなった。
胸元で光る魔石に、私は視線を落とす。大丈夫、私には防御と反撃の魔石がある。
「待っていてくださいね、ヒースさん」
* * *
とりあえず周辺の床におかしな魔力反応がないかを慎重に確認しながら、私はそろそろと足を進めた。
私が落ちたとき、壁に魔法陣が浮き出してきたから、罠もある程度なら魔力視で回避できるだろう。まあ、物理トラップまではどうにもならなそうだけど、そこは運を天に任せるだけだ。
気分はスプラッタ映画の主人公だよ。そんなの、味わいたくはなかったけれども。
私とヒースさんが落ちてきたのは、吹き抜けた薄暗い洞窟のような、広場のようなところ。四方は岩壁に囲まれており、あちこち水晶のような物体が床から生えている。
なんだろね、これ。キラキラしてて綺麗だけど、ダンジョンの雰囲気にはそぐわない。むしろ、すっごい不穏。ただ、隠れ蓑にはもってこいな感じ。
それらの陰に隠れた奥まった場所に出入り口があって、そこから微かな光が差し込んでいるので、先にも区画がありそうだ。閉じ込められているわけじゃないのには、ほっとする。
魔力を自分のとヒースさんのものに絞ってみれば、案の定先の区画へと一方向に魔力の帯が向かっている。
私は、そちらへとゆっくり近づく。
時々、自分で蹴った石の音に、過剰にびくんって反応しちゃうの、凄い間抜けで恥ずかしい。静かだから、余計に音が反響してびっくりするんだよ。
見ている人が誰もいなくてよかった。ディランさんがいたら、にやにやーって笑って揶揄われたはずだ。
いや、でも今はそういった反応が、泣きそうになるくらい恋しい。
難なく辿り着いた出入り口の隅から、私はそうっと先の区画を覗き込んでみる。
私のいる場所よりも不自然に明るいそこは、遺跡のような整ったつくりで、やっぱりいくつか透き通った水晶が床やら壁やらから生えている。上から降り注ぐ光を反射し、キラキラ輝く宝石の塊はとても幻想的だ。
魔物は、特には見受けられない。
そして、魔力の帯は、対面の何の変哲もない壁の中へと吸い込まれている。
私は身を引っ込めると、ううむと顎に手を当てて考えた。
「怪しすぎでは……?」
偽装か?間違い探しか?
水晶……というか鉱物って、基本的に魔力を蓄えやすいから、ダミーにするにはぴったりだ。
私の魔力視の結果から察するに、魔力を吸収している本命は、どこかの一角にある水晶ではなく、実は壁に埋め込まれている、ないしは一部の壁そのものが水晶でできている……ってことだよね?
これ、私が付与調律師だから騙されないだけあって、普通に水晶を叩き壊したら魔物が出てくるとかの、よくあるトラップなのでは?まあ、正解らしき壁を壊して、魔物が出てこないという保証もないんだけど。
こちらの広場に聳えている水晶をよくよく観察してみれば、小さく魔法陣が埋め込まれている。ご丁寧に、水晶毎にちょっとずつ術式が違っている。
実は、【自動翻訳】のおかげで、特殊な言語で書かれている珍しい魔法陣も読めたりする。書けるかどうかはともかくね……。
私が目を凝らして読むと、案の定壊した水晶によって異なる魔物を召喚する陣みたいだ。
てか、数百年前に消えたっていわれる召喚術式じゃないかな、これ。前にリオナさんの図書室で、こんな術式の書かれた古い魔導書を見た気がする。
魔力吸収していると思わしき水晶を全部壊したところで、全部ハズレって寸法。骨折り損のくたびれ儲けすぎる。
うわー、厭らしいー!!
迂闊な気持ちでこっちの水晶へ、試しに魔石をぶつけなくてよかったわ。
さて、攻略法はどうにか確立できた。あとは運だね。
私は、出入り口のところまで戻って、無属性魔石を取り出す。本命自体が魔力を吸い上げてくれるから、こちらとしてはターゲットがわかりやすく、遠隔でいける分イージーモードだ。
もし本命が魔力を帯びていなかったら、直接魔石を叩き込みに行かねばならないから、危険度がぐんと跳ね上がる。私の投擲技術に期待をしてはアカン。
壁を壊して魔物が飛び出てくる可能性も考慮に入れ、すぐ攻撃魔法を付与できるよう、私はあらかじめいくつか無属性魔石を手に握っておく。
「――≪付与・追尾≫≪付与・爆発≫」
どこどこ煩い心臓を押さえ、はーっと深呼吸を一つして。
爆破の火魔法を付与し、私は本命の壁めがけて石を投擲した。
魔力を追いかけ、壁に当たった魔石は、見事に周囲を破壊する!途端に、私からの魔力吸収もばっちり途絶えた。
――同時に、ごううん、というどこかの壁が開く低い音が響いて。
「ひゃああああん!! やっぱり出たあ!!」
案の定、そこから数体の敵が押し寄せてきた!




