09.社畜は魔法の講義を受ける・1
リオナさんの調薬部屋は、すっと鼻を通る薬草の匂いに満ちている。怪しげな機材とか、ドライハーブが天井から釣り下がる一角があったりして、魔女っぽさが感じられる。
とはいえ、小学校の理科室の雰囲気がどちらかといえば近しい。
じゃらりと色とりどりの小粒の石を丁寧に机の上に並べて、リオナさんは私の向かいの椅子に腰掛けた。
「この世界に、いわゆる魔法の属性は9つあるわ。火、水、地、風、雷、天、光、闇、時。そのうち、要は闇を属性として持っている。そして闇は、安らぎや安定をもたらす、主に精神や魔力に作用する補助系の魔法が多い。これは、以前に軽く説明したわね」
リオナさんの指先が、属性を紡ぐとともに、色のついた宝石を弾いていく。
これは、魔物を倒した時に獲れる魔石と呼ばれるものだ。
人間の心臓に相当する核のような存在で、火であれば赤、水であれば青といった、属性に合わせたそれぞれ特色のある色を持っている。
時と天だけは、魔物が持ちえない属性らしく、魔石はないのだそうだ。
その代わり、透明なガラスっぽかったり、虹色に輝いていたりする石もある。
どちらも属性に染まっていない、無属性の石と呼ばれている。未熟で弱かったり、魔法適性がなかったりする個体や、逆に強力な個体から得られるものなのだそうだ。
魔石はいわばエネルギーの塊。多くの魔道具や、魔力の補填に利用され、生活に欠かせないものらしい。
「闇に属する魔法の中で、要が現状使えるのは、付与魔法一つのみ。完全特化型なんて本気で珍しいのよ。付与は、その名の通り、物に対して効果を与えられる魔法ね。火や風のように、直接魔法を繰り出せるわけじゃない」
「付与魔法かぁ……。ちょっと不便そうですね」
ばーんと華々しく詠唱したり、かっこよく強力な攻撃を放ったりという憧れは、無惨にも潰えたわけだ。残念すぎる。
武器に魔法をまとわせることができたら格好いいけど、いかんせん私には戦闘能力が皆無である。
私は、しょんぼりと肩を落とした。
「人体に付与できなくもないけれど、どちらかといえば魔道具師向けの魔法ね。ただの付与魔法なら、私もそこまで驚かないの。でも、貴女は全ての属性を付与できる【全属性持ち】。劣化だから大したことはできないだろうにせよ、時魔法までなんてそんなの前代未聞よ。そもそも、時魔法は禁呪に近い領域。操れるのだって、各国の限られた王族のみだってーのに、アンタときたら……」
「ひえっ……おうぞく……」
「よほど闇の女神に愛されているのね、要」
「だから、心当たりが全然ないんですってば……」
「こんなイレギュラー持っているって知られたら、悪用されかねないから、くれぐれも気を付けるのよ」
「……肝に銘じます」
唯一市井でも許諾されている時属性の魔法陣は、収納鞄に利用される一時的に物の腐敗を止めるためのもの。利便性と民の豊かさのため、何代か前の王が下賜したらしい。
それだって、改変を禁じる策が、ガチガチに講じられているのだとか。
リオナさんは、冗談でもなく真剣な表情だった。
自分に与えられた能力の重大さを思い知る。
何にしてもそうだが、必ずしも技術や力が悪いわけではない。
それを悪いように利用しようとする人の心根の問題だ。
「ま、禁じ手ではあるけれども、裏を返せば身を護る手段にもなるわ。便利なものは、じゃんじゃん使いなさいな」
「リオナさん、さっきと真逆なこと言っている……」
「臨機応変、せっかく与えられた力なんだもの、使いようってこと。悪さしないで、バレなきゃいいのよ。ともあれ、要の魔力を起こしましょう」
話が乱高下するなあ……。
変なところで魔女っぽいなーなんて思いつつ、耳慣れないリオナさんの説明に、私は小首を傾げた。
「起こす?」
「そう。本来、この国に生まれた者は、みな多かれ少なかれ魔力を持っているの。そして、魔法適性があれば、10歳頃に自然と魔力が開花して、感覚的に魔法が使えるようになる。でも、移転型の『界渡人』は、元々魔力がない世界からやってくるせいか、自動で魔力の開花が起きないのよ。それを強制的に揺さぶってあげるの」
「揺さぶるとは、どうやって?」
ちょっと、不穏っぽくない?
そう私のカンが訴えてくる。
私がおずおずと尋ねると、リオナさんはにーっこりと笑った。
「もちろん、身体に魔法を流して、刺激するのよ」
それを聞いて、私の頭に真っ先に浮かんだのは、雷がビリビリと身体にほとばしる姿だった。
さーっと血の気が引いていく。
「待って、い、痛いの、痛いのは反対」
「大丈夫大丈夫、痛くないから、ふふ……」
「いやだあ、笑顔が恐いぃ! そういうのに限って痛いに決まっているんです!」
「失礼ね!」
私の腰が引けているのを見て、益々リオナさんの瞳が、愉悦に細くなっていく。
もちろん、リオナさんは逃がしてくれない。がっと私の手を掴んで、離さない。
リオナさんの赤い唇が、魔法を詠唱すべく開かれていく。
びくびくっと私は思い切り肩を跳ねさせ、目をぎゅっと瞑った。
「夜の帳も宵闇も、汝を脅かすことはない。≪鎮静≫」
リオナさんが呪文を紡いだと同時に、夜空の星のような、きらきらと柔らかい光が私の身体に染み渡っていく。
緩やかな眠りがもたらされた時みたいに優しい闇に包み込まれた感触に、怯えていた私の心が徐々に凪いで行く。
そろそろと瞳を開けると、喉を微かに慣らしながら笑いをこらえているリオナさんの姿が見えた。
からかわれた。
いや、勝手な早とちりしたのは、私なんだけれども。
思わずむぅと頬を膨らませる。
「……痛くない」
「ほら、お腹の下当たりに意識を向けて。ゆっくり温かくなってきたでしょう」
促され、丹田ら辺を手で触れてみると、じわじわした温かさと、えもいわれぬ何かが血のように全身を巡っているようだ。
上手く言葉にできない、凄く不思議な体験だ。
「それが魔力よ」
「これが……」
リオナさんは、私の手にガラス玉みたいな無属性の魔石を握らせた。
「要の場合、使えるのは付与だから、魔石に魔力を放出してみてごらんなさいな。そうね、まずは水を。魔法はイメージが大事よ」
「水……水……」
自分の体内を巡っている魔力に、水という方向性を与えるのだと、リオナさんは教えてくれた。
私が脳裏に描いたのは、ホースの先から放出される水の絵だった。
幼い頃、夏場になるとよく庭に水を打っていたのが、不意に頭を過ぎったのだ。
イメージが固まると同時に、身体の中の魔力を掌に集中させる。
乾いた地面に水が吸い込まれていくように、ゆっくり魔力が魔石に引き抜かれていく。慣れ知った感覚は、今まで台所で味わっていたそれだ。
まだ余力はあったのだが、何となくこのくらいかなと思ったところで、流れが止まった。
掌を開く。無色透明だった魔石が、うっすらと水色に染まっている。
「わ……できた。できました、リオナさん!」
嬉しくなって、興奮気味にリオナさんに魔石を見せびらかす。ママ、見て見て!と、ささやかな成果にはしゃぐ子供の気分だ。
彼女は、どこか懐かしさのようなものを孕んだ瞳で、ゆっくりと微笑んだ。
「おめでとう。要の初めての魔法ね」
無属性の魔石に、水属性を付与した。たったそれっぽっちのこと。
でも、その瞬間、色々試してみたい技術者魂に火が付いた。
ああしたら、こうしたら、果たしてどんな結果がもたらされるのか。
たくさんの可能性の広がりに、浮き足立つ心を抑えきれず。
――私が付与魔術にどっぷりハマるのに、そう時間はかからなかったのは想像に難くないだろう。