06.社畜は探索する
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再び目を覚ますと、まだ夜明け前らしかった。
カーテンを開けて窓から見える黎明の空は、徐々に陽が昇り、光と闇のグラデーションを描いて、とても美しい。
異世界にいるのだとしても、天には星があって、ちゃんと朝と夜が来るんだなぁ。昨日から驚きの体験をしてばっかりだ。
「異世界、かぁ……」
衝撃的な話をしてから一夜明け、ぐっすり寝て動揺のなくなった頭で改めて考える。
元の世界に未練があるかと言われると、特にそこまで執着はない。薄情かもしれないけど、浮かぶものがなかったのだ。
なんか、私ってば寂しいなぁ。気がかりなのは仕事のことだけなんて。その辺どうなっているか、リオナさんが起きたら聞いてみよう。
友達は……身を心配してくれるまでに親しくしている人はいなかったし、片想いが敗れたばっかりで恋人なんているはずもない。
家族との縁は薄いから、いてもいなくても同じの私を惜しんだりはしないだろう。
一生懸命貯めたお金だけは、もったいなかったかな!どうせ転移するなら、その辺もちゃっかり移転してくれていたらよかったのに、なんてね。
窓を開けてみると、清々しい朝の空気が飛び込んできて気持ちが良い。
うん、早くこの埃の多い部屋、掃除しよう。ヤバい、鼻がムズムズする。
「自分にできることをやるしかないよね、今まで通り」
もう元の世界へは帰れないと、言われたのだ。
ならば、くよくよしてもしょうがない。人生、なるようにしかならない。そうやって、これまでやってきた。
この世界へやってきたことが、果たして私にとってどんな風に作用するのか、まだ全然わからないけれども。
よし、と気合を入れて、私は腕まくりをした。
まずは、周囲を探索してみよう。基本だよね、基本。
* * *
そういえば、いつの間にか、私は堅苦しいスーツからワンピースみたいな衣類に着替えさせられていた。ちょっと布がごわついているけど、ホテルに置いてあるロングシャツタイプのパジャマみたいなの。さすがにスーツじゃ寝づらいものね。
ベッド下に置かれていたスリッパを拝借し、私は行動を開始する。
クローゼットがあったから開けてみたところ、スーツ一式とコートはそこに掛かっていた。私の鞄も、一緒に置いてある。
ただ、それ以外に、着替えはかかっていなかった。
うーん、衣服は早急に調達してもらわないと。背が高くてスレンダーなリオナさんと私では、微妙にサイズあわなげだし。ワンピース形だから、このパジャマも間に合っているだけだろう。
鞄の中を漁ってスマホを取り出してみたが、当然ながら電波が届かないので、まともに動くわけがない。
電池は半分くらい残っていたから、写真を見たりカメラ撮影したりくらいなら使えそうだけど、充電は絶望的だ。明日辺りには完全に沈黙するだろう。タブレットも同様に。
あと出てくるものと言ったら、財布、筆記用具、ハンカチ、開けてないペットボトルの水、ガムとチョコレート、カロリーが手軽に取れる固形食品に目薬、直し程度の化粧道具。あんまり役に立ちそうなものは入っていなかった。
こればかりは仕方ない、準備万端で異世界に転移できる人間など、そうそういないのだから。
丁寧に荷物をしまい直して、クローゼットに再度封印。出番はないにしても、これは私が日本からきたという証になる、はず。食品だけは食べてしまわないとマズいけど。
ぐるりと室内を見回せば、本当にここは客室なのか?と言わんばかりに雑多に荷物が積み上がっていた。埃っぽいのもそのせいだろう。ちゃんと手を入れなければ、家は荒れる。
リオナさんは、私にここに住めと言った。
この部屋を私にくれるというのであれば、掃除は必須。いらない物を捨てたり整理整頓しなくちゃだけど、差し当たり埃を何とかしないとだ。
部屋の扉を開け、きょろきょろと廊下に顔を出す。
2階は左右合わせて6部屋ある。リオナさんの部屋がどこかはわからないが、私は階段手前の一室にいた。
そのままパタパタとスリッパを鳴らして、階下へと下りてみる。
1階は階段からリビングへとつながっているようだ。
思った以上に、家は広かった。家というよりも屋敷だ。
大学からこっち、ずっとワンルームで一人暮らしだったから、一軒家にウキウキしてしまう。
リビングの先には、おそらく店舗に繋がる扉と、キッチンが見える。
「うぉ……これは酷い」
ドン引きした。
昨日、ヒースさんが不穏な言葉を吐いていた理由が、よくわかる。
凄い。汚い。
リビングは埃っぽいし、さすがに下着はなかったが、衣類はその辺に適当に放置してあるし、よくわからない枯草らしきものがたくさん落ちている。本も散らかし放題だ。
ヒースさん、居心地悪くてキッチンにいたのでは……。
かくいうキッチンなど、焦げた鍋が散乱しているわ、ジャガイモが芽を出しているわ散々である。頼むから放置しないでどっちも捨ててくれ。
食器や使えそうな鍋は洗い上げてあったので、ヒースさんが多少片付けていったのだろう。それでこれかあ……。
上でのん気にぐーすか寝ている美人、生活能力が実はないな。
「おお、パントリーがある」
キッチンに添えつけられていた扉を開くと、食糧庫があった。
しかも、冷蔵庫もどきの箱が置いてあるではないか。
でも、中には卵が少々とバターの欠片、牛乳が入っている程度。
逆にたくさんの酒瓶が目立つ。半端な数のソーセージはお酒のあてかな。更にリオナさんの残念さが際立ってきた。
冷蔵以外だと小麦粉とちょっとした野菜と干し肉に日持ちのしそうなお菓子、茶葉くらいで、微妙に偏った食品しか入っていないのは何故なのか……。食に興味がないのかもしれない。
大丈夫かなこれ、賞味期限切れてたりしないかな。
ほんの数十分足らずで、家事に対して、リオナさんには一切の信用がおけなくなってしまった。
「わぁ……広い」
もう一方のドアは勝手口だったようで、扉を開くとそこから裏庭の畑に繋がっていた。
外履きがあったので拝借して外に出る。
畑では薬草でも育てているのだろう。見たことのない形をした葉っぱは、朝露を浴びてとても瑞々しい。丁寧に育てている様が窺えた。
薬がどうこういっていたし、リオナさんは薬師なのかもしれない。キッチンとの扱いが段違いで可笑しい。
うーんと大きく腕を広げて背を伸ばして、私は深呼吸をした。
家を取り囲む虹色を反射する謎バリアみたいなのは、今日も綺麗に輝いている。
これ、結界とかいうやつかなぁ。指で触ってみたものの、抵抗なくあっさりすり抜けた。
その向こう側には、昨日見かけた額に角が生えた兎がぴょんぴょん跳ねている。
よくよく見ると、兎の造形をしているものの、ピンク色していてファンタジー。大きいし、突進でもされたらぶっすり角に刺されそうでちょっと恐い。
これが魔獣とか魔物とか呼ばれるものだろうか。
ただ、結界が張ってあるこちら側には来られないようで、じりじりとよくわからぬお見合いをしてしまった。
見ているだけなら、普通に可愛いので良しとしよう。
外側をぐるりと軽く回って、これから私の住まいとなる屋敷を見上げる。濃紺色した三角屋根の、ちょっと古ぼけた可愛いおうちだ。
森の中にあるのに、蔦が這うみたいなおどろおどろしさは全くなく、何なら陽の光を全開に浴びていて、全然魔女の家らしくない。
私は、ふふっと笑ってしまった。
「さーてと、色々見て回ったし、やりますかー!」
両手を天に掲げて、うーんと背を伸ばす。
まずはキッチンをどうにかしないと、私が食いっぱぐれてしまいそうだ。それだけは避けたい。
キッチンを磨いて、食糧を拝借して食事を作って、軽くリビングを片付けるくらいならすぐにでも取り掛かれそうだ。
いきなりやりがいのある仕事を見つけて、私のテンションはちょっと上がってしまった。
唐突に忙しくなると、途端にテンション上がるよね。え、上がらない?