33.薬の魔女の独白
ちょっと短いですがリオナさん視点
この世界には、4人の魔女がいる。
流浪、狂乱、強欲、怠惰。嘆きは空へと還ってしまった。
仮初の不死を得た魔女たちは、世界の理から反転した者。
人の手より成りし、蹂躙された者。
ーーそんな畏怖の象徴たる魔女は、ずっとずっと待っている。
いつか願いが叶う、その日を。
昼前に目覚める。それは、いつものこと。
気怠い身体を起こし、身支度を整える。クローゼットから取り出した服は、真っ黒。普段はほとんど着用しないそれ。
鏡を見る。上から下まで真っ黒で、でも瞳だけが深紅に輝く、魔女と呼ばれる自分が、辛気臭い顔をして立っていた。
階下に降りると、ここのところずっと漂っていた、鼻孔をくすぐるいい匂いが、今日はしない。
温かみの感じられない静かなリビングに、私は、ため息をついた。
食事は、とらない。
元々食に興味は強くなかったのだけれど、魔女と呼ばれる存在になってからというもの、身体のつくりが変わってしまったせいか、いっそう欲がそがれていた。
そもそも、仮初の不死を与えられたこの身体に、栄養など大して必要ない。
だから、たくさんの酒と、口寂しさを紛らわせるつまみ程度でずっと過ごしてきたのに。
あの子――要の作る料理は、温かくも懐かしく私の口を潤すから。
せっせと作られる丁寧な食事に、ついつい手が伸びてしまうのは、仕様のないことなのだ。素直に美味しいし。
屋敷の外に出る。陽ざしが思ったより眩くて、私は少し目を眇めた。
そのまま裏庭に向かって、薬草畑の脇でひっそり育てている花をいくつか摘む。白と黄色の花は、瑞々しく咲き誇っている。
華やかな色合いの小さな花束は、今の私の姿にはそぐわなかった。
丁寧に草取りされた畑の土は、乾いていた。帰ってきたら、水をまかなければ。
ここのところ、嬉々として要が水やりに精を出していたから、根腐れさせないように気を付けなさいと言い聞かせたくらいなのに。
薬草畑は、私が管理していた時よりも、青々とした葉を揺らしている。
その端々に、要が練習がてら作った土の魔石が埋め込まれているから、思わず温い笑みが浮かんでしまった。
そのうち、野菜でも育て始めそうだ。
裏庭を離れ、目的地へと繋がる道すがらには、要の足跡が伺える。今までは、雑草がうっそうと茂っていた気がするが、彼女の日々のランニングで踏みしめられたようだった。
時折訪れるヒースも、剣で芝刈りよろしく手助けしているらしい。
気が付くと、要はあちこち至る所で率先して働いていた。
びっくりするくらい生き生きとした笑顔で。
それでいて、どこか諦めを飲み込んだ達観した顔で。
糸が切れたら崩れ落ちてしまいそうな、そんな脆さがあった。
森の屋敷から少し歩いた先には、澄んだ湖がある。
景観と薬草の育ちやすい魔素の豊富さを気に入って、この森に腰を落ち着けたのだが、間違っていなかったとつくづく思う。
ひらりひらりと零れ落ちる魔力でできた薄紅色の花びらの、何と美しく郷愁を誘うこと。
長年変わらずずっとそこにそびえたつ巨木に、私は目を細めた。
「――≪飛翔≫」
風の上位魔法を唱え、身体の周囲をふんわり包み込む風を操りながら、私は湖の中央にある小島まで飛んだ。
たくさんの魔素がひしめいているせいか、地面には色とりどりの野花が咲いていて、見た目にも寂しくない。
大きな幻想樹がそばだつ根元に、持ってきた花を手向けて、私はちょこんと膝を抱えた。
「……貴方に怒られてしまうわね」
今の自分の滑稽さを見ていたら、きっと叱るはずだ。
「酷なことをしているなあって思うのよ」
私は、はぁとため息をついた。
転移型の『界渡人』は、世界の理の狭間にある稀有な存在。要は、私にとって長年待ち続けた人だ。
だからこそ、要の面倒なんて、私がみるべきじゃない。心を、傾けさせたら辛くなるだけだと、そうわかってはいるのだ。
だけど、確立した調薬の技術だけは、どうしても途絶えさせたくなくて。この世界に、証を、存在証明を刻みたかったのかもしれない。
それを誰かに継承するのであれば、『界渡人』の要がいいと思ってしまった。
私の我儘で要を振り回していると、自覚はしているのだけれども。
「でもね、やっぱり心配しちゃうじゃない? 倒れている姿を見て、私がどれだけ肝を冷やしたか、わかる?」
かつて、要と同じように無茶をして倒れて、そのまま逝ってしまった人がいた。
私のところに押しかけてきて、私に温もりを与えて、孤独を教えた、身勝手な酷い人が。
大丈夫だと、笑っていたのに。
「人は、呆気なく逝ってしまうのよ」
私がもっと、冷淡な魔女であれたら、よかったのだろうか。
人の心を失うことができず、狂うこともできずにいたせいだろうか。
永遠にも似た時間を生き永らえたとて、もしもを問うても答えは出ない。
でも、それ故に。どこか危うさを抱える彼女を、放っておけなかった。
だって、昔の誰かさんを見ているようで。
ふわりと、まるで私の呟きに応えるように、花弁が鼻先に触れて消えていく。
「ねぇ、マグノリア。本当、貴方にそっくりなのよ……」
困っちゃうわね。
誰にともなくそうひとりごちて、私は眉根を下げながら小さく笑った。




