29.元社畜と風の魔法(脳筋)
食休みを経て、少し奥まで足を延ばしし、魔法草も採取する。
キラキラと不思議なきらめきを帯びる魔法草は、ポーションの原料の一つだ。根っこから採取が必須で、スコップと根を保護する袋が必要になる。
採取といっても、ただ取っていけばいいわけじゃないことがよくわかる。
私がこの世界に墜ちてきたとき、ヒースさんはリオナさんから依頼された魔法草を採取して、魔女の家に持っていく途中だったそうだ。
もうちょっと登ったところに咲く、朝一番に開花して、朝露を帯びたものを採取しないと薬効が続かないという不思議な薬草で、そっちはマナポーションを作るのに使う。
「あのときは、遠目で空から闇に包まれた人が降ってくるのが見えて、目を疑ったなあ」
「ラ、ラ〇ュタ……」
某有名なアニメ映画のワンシーンが、思わず私の脳裏を掠めたけど、あんなピュアさなど微塵もなかったのを思い出した。
何せ、ヒースさんに盛大な空腹の音を聞かれてしまったのだ。きっと拍子抜けしたことだろう。今思い返してもないわー。
都合の悪い思い出は掘り起こさず、封印したままの方がよい。私の精神衛生上のために。
それにしても、また闇だ。
どうやら、私は闇に随分とご縁があるらしい。自覚がない分、余計にえもいわれぬ気持ちになる。
もう一度、転移の際の声の主、推定闇の女神様とかに会えたりはしないだろうか。
闇、といえば。
そろそろ陽が沈もうとする頃合いで、周辺は少しずつ橙色に染まっていく。
「そういえば、帰らなくていいんですか?」
ここから街まで、徒歩でゆうに1時間くらいかかる。当然のことながら、野宿するような道具を持ってきていない。
だが、街まで悠長に歩いていたら、日が暮れてしまう。ヒースさんのことだから、考えあってのことなんだろうけれど。
私の心配をよそに、ヒースさんは瞳を細めた。
「うん、そろそろだな。お待たせ」
「お待たせ?」
「言っただろう? とっておきを見せるって」
「へ?」
ゴーン、ゴーンと、遠くから荘厳な鐘の音が響く。
昨日も聞いた。クラリッサの街の時計台が、時を告げる音だ。
クラリッサの街では3回、定期的に鐘を鳴らしている。朝一番の鐘、昼を知らせる鐘、そして、門が閉まるまであと半刻ほどだと知らせるための鐘。
今のは、最後の鐘だ。
私は、つられるがままに、街の方を振り返った。
「あ……」
斜面を登ったり、採取をするのに気を取られて、気づいていなかった。
地平線に少しずつ飲み込まれていく夕陽と、鮮やかな夕焼けの空。
暮れなずむクラリッサの街並み。
眼下に広がる丘陵。
オレンジに染まる草花。
光と闇が交錯する、はっと息を呑むほどに美しい光景。
そこに、ぱっと、小さな光が弾けたかと思うと。
辺り一面に、きらきらした虹色の光と花が舞い上がった。そよ風にのって、まるで空中でくるくるとダンスでも踊っているかのよう。幻想的なイルミネーション。
一瞬にも、永遠にも思われたその時間は、声を発することもできない私の目を奪い、惹きつけた。
ふふふ、といとけなく楽し気な笑い声が、そこかしこから響いたかと思うと。
――何事もなかったかのように、花畑は元の状態に戻った。
錯覚だろうか。私は目を何度もしばたたかせる。
狐につままれたかのような、不思議な出来事だった。
「……凄い」
あっという間のできごとに内心大興奮で、語彙力が吸われている。
呆気に取られながらも、感動に瞳をきらめかさせる私に、満足げな表情のヒースさんが覗き込んできた。
「びっくりした?」
「はい、はい! すごい、すご……! あの、あれ、一体何だったんですか!?」
幻想樹もなかなかファンタジーな存在だが、それ以上に先ほどの光景は現実味がなかった。魔法だろうか。
「あれはね、精霊。≪精霊の踊り≫だよ」
「精霊がいるんですか!?」
「ここは魔法草が豊かに育つほど、純粋な魔素が濃い場所でね。魔素が一時的に貯まりやすくなる雪解け後の一定の期間だけ、夕刻になると、あたりの精霊たちが循環しにやってきて起きる現象なんだ」
「へぇ……」
世界には、目に見えないけれども、魔力の元にもなる魔素が漂っていて、精霊がそれらを巡らせているから魔法が使えるのだと伝えられている。
魔素の純度が高い場所だと、運が良ければこんな風に精霊の存在を感じることができるのだとか。
特に私は魔力が高いから、片鱗に触れることができたのだろうとヒースさんは言う。ヒースさんには、稚い声は聞こえなかったのだそうだ。
確かに、日本でも、夕方のこのくらいの時間帯を、黄昏時や逢魔が時と呼ぶくらいだし、人とは異なる存在や世界と交錯しやすいのかもしれない。
ただ、精霊たちでも散らせないほどに魔素が一か所に溜まってしまうと、逆に悪影響が出てしまうらしい。
魔獣や魔物、まだ見たことないけどダンジョンなんかの出現は、魔素溜まりの影響もあるのだとか。
「さて、ゆっくりできたかな?」
「ええ、大満足です」
「で、肝心の帰りのことなんだけど」
「あっ、このままだと門閉まっちゃいますよね!? 大丈夫なんですか?」
のんびりしていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
今からでは、どうあがいても門限に間に合わない。少なくとも、私の足では絶対に無理だ。
「いや、方法はある。ただ、ちょっとだけカナメに不便を強いるけど、いい?」
「はぁ……? 構いませんが」
ヒースさんに絶対的な信頼をおいているので、変なことはされないだろうという確信はあった。
それにしても、一体、何をするつもりなんだろう。
私がきょとんと首を傾げていると、ヒースさんは有無を言わさず私の腰と膝裏に手を回すと、そのままぐっと抱き上げた。浮遊感に、私は目を丸くする。
「!?」
こ、これは! いわゆるお姫様抱っこというやつでは!?
ヒースさんの端正な顔が、すぐそこまで近付く。
突然の所業に大混乱の私は、悲鳴を上げた。
「ひゃあああ!? なに、待って、重い、重いですから!?」
「カナメは軽いって。ほら、しっかり俺の首に手を回して、ちゃんと捕まって」
「な、え? あ、ひ、ヒースさ……!?」
「時間がない。行くよ。飛ばすから、舌をかまないようにね。――≪舞風≫」
ヒースさんが、風魔法を詠唱したかと思うと、周囲を――主に背後に集中して――風が取り巻いた。
私もよく利用する初級風魔法は、わずかな風を生み出し操るもの。
ヒースさんの足が地面を蹴ると、それに合わせて、びゅうと追い風が吹いた。
たんたんたんとリズミカルに力強く、ヒースさんはクラリッサまでの道を疾走する。
風の補助もあって、ぐんぐん加速する。普通にダッシュするよりも、圧倒的に早い。周囲の背景が、あっという間に後ろに飛んでいく。
強い追い風と、タイミングを合わせて走るのだ。風に負ければ、前に転んでしまう。相当の技量や経験がないと、難しいだろう。
そもそも、馬を効率的に走らせる補助に使うやり方じゃなかったっけ!?
もの凄いスピードに、私は目を開けていられなくて、ぎゅっとヒースさんの胸に抱き着き、顔を埋めるほかなかった。
(馬に使うような手段を自分に使うなんて、の、脳筋だ~~!!!)
ヒースさんは、私のことを規格外だってよく言うけれども、ヒースさんだってよっぽど規格外なのでは!?
こんなことする人が他にいるのかどうか、後でギルドの方々に探りを入れてみなければ……と思えるようになるのは、クラリッサに帰ってからしばらく経ってからのこと。
徒歩で1時間程度の道のりは、ヒースさんの無茶、否、頑張りによって半分まで短縮された。
おかげで、ギリギリ閉門には間に合ったのだけれど、心の準備をする間もなくジェットコースターに乗せられたような私は、すっかり涙目だった。
≪精霊の踊り≫の余韻とか、綺麗さっぱり吹き飛んだ。
「エリック、戻った!」
「……おー、随分楽しそうなことしているなー、お前。すっげぇイイ笑顔」
「……いや、柄にもなく、はしゃいでしまった」
「うらやまけしからん。って、それは置いておくとして、カナメちゃん、めっちゃぷるぷるしているみたいだが、平気か? 可愛いけど」
「あ」
「……やっぱり、お前は情緒育てる必要ねぇか?」
――やはり、自分だけの移動手段を手に入れなければ。
私の頭上で、ヒースさんと門番さんが仲良く会話をしていたが、そんなの耳には入らず。
ヒースさんに抱かれたまま、ガクガク震える身体とドキドキ脈打つ心臓に、私は固く心に誓うのだった。




