26.冒険者と酒の席
カナメとの穏やかな夕食を終えた後。寝るにはまだ早く、少しばかり手持無沙汰だった俺は、そのまま一人、宿の食堂兼酒場のカウンター席に移動してエールを飲んでいた。
さすがにカナメは疲れていたらしく、夕食を摂ったらすぐに客室へと引っ込んだ。
少しだけ口にした酒が、てきめんに効いたらしい。
先日の飲み会では、そこそこ飲んでいたのに、一杯で酔いが回ってしまった。薄紅に染まる頬とふにゃりと緩む目元が色っぽくて、早々に寝るよう促してしまった。
部屋まで送る最中の、彼女のよたよたした足取りを思うと心配になるものの、ぷるぷると震えている様は小動物のようで可愛い。
笑ってはいけないのだが、自然と口元に笑みが浮かぶ。
そんな風にカナメの姿を思い浮かべて、肴に酒を楽しんでいると、カウンターにことんとエールの入ったグラスとつまみが置かれた。
「よ、お疲れ。一人酒とは寂しいねぇ。カナメちゃんは?」
「エリック」
了承も得ず、勝手知ったるとばかりにずかずか隣の席に腰を下ろしてきたのは、門前でカナメの受付をしてくれたエリックだった。
エリックは俺の二つ下で、生まれも育ちも生粋のクラリッサ。面倒見が良く、お調子者だが人好きする顔をしている。
なんだかんだと気が合って、こうして酒を酌み交わすこともしばしばだ。
俺はじとりと視線を向けた。きちんと取り繕っていた仕事を離れたらこれである。
まあ、仕事の最中にナンパしないだけマシなのか。
「気安く呼ぶな、まったく。カナメなら、初めての乗馬で疲れたらしく、もう休んでいる」
「そっか。一緒に飲めるかと思っていたのに、残念」
エリックはぶーと唇を尖らせたが、すぐさま琥珀色の瞳ににやりと愉悦を載せた。
「てか。魔女さんの弟子が、あんなに可愛いくて礼儀正しい子だとは思わなかったな。お前が引き連れてたのもあってか、すんごい騒ぎよ」
「そんな大げさな」
「ちんまりした子だったから、すわそういう趣味だったのかと」
「おい……」
思わず眉間に皴を刻んだ俺は、額を押さえた。
どういう誤解だ。勘弁してくれ。
「ちっちゃいとは言うが、ああ見えて成人しているれっきとした女性だぞ。確か、お前とさほど年齢は変わらないはずだ」
「ええ……! ちっちゃいからかなあ、幼く見えるよな」
あんまりちっちゃいちっちゃい連呼するのをカナメが聞いたら、怒りそうだが。
以前話したときにぼやいていたが、どうやらカナメの民族は世界的にも若く見られがちらしい。
実際、物理的にも、カナメは俺の胸に届くかどうかくらいの背の高さだ。この世界の成人女性と比較しても、低めの部類に入る。
だから、余計にちんまりしている印象になってしまうのだろう。
あの華奢な肢体を抱きしめたら、すっぽり胸の中に納まりそうだ。
と、何とはなしに自分の思い浮かべた光景に、そわっとしてしまう。
他意はない、他意はないんだ。
俺の内心の挙動不審を知らぬエリックは、エールをぐいと煽りつつ、滔々と喋り続ける。
「ヒースも凄い気を使ってるし、めちゃくちゃ笑顔でいるし、あまつさえ手とか繋いでいたわけじゃん!? 普段、女寄せつけようとしないお前がだよ。これは絶対に話を聞かねばと、飛んできたわけですよ」
「野次馬かよ」
「あと、そんなカナメちゃんとお近づきになれたらなと」
「寄るな。来るな。カナメが減る」
「減らねぇ~。お父さんかよ」
「事実、保護者だからな」
「保護者、ねぇ……」
カナメを狭い世界に押し込めるつもりは毛頭ないが、いささか女関係にだらしがないエリックである。いいやつではあるものの、いかんせん軽いのが玉に瑕。
多少の警戒心はあっても、懐に入れた人間には無防備になるカナメのことだ。俺の友というだけで、お友達になってくださいとエリックに言われたら、容易に了承してしまいかねない。
何だかそれは嫌だった。
む、と俺が不機嫌をあらわにすると、エリックはははっと鼻を鳴らした。
「いくらカナメちゃんが若く見えても、お父さんと娘には、到底見えなかったがな」
「そういうんじゃ……」
「いい傾向だと、俺は思うけどね。何があったかは知らんが、お前、どこか女性に対して苦手意識……とは少し違うか、どちらかというと諦めみたいな、一歩引いている節があったからな」
付き合いが長い分、エリックはよく見ているようだ。こういうところが、チャラついているくせに抜け目なく侮れない。
核心と図星をつかれ、思わず舌を打った俺に、エリックは苦笑を見せた。
「ま、あんだけ迫られたら、敬遠もしたくなるだろうが」
「まぁな……」
「このー!! モテモテ野郎め!!」
各地で女性に追いかけられ、軽く女性不信気味だった俺を、エリックは冗談交じりに揶揄する。
揶揄して、あえて空気を軽くしてくれた。
エリックのこういうところ、そつがなくて嫌になるし、だから付き合いやすくもある。うりうりと肘を押し付けられるのは、すこぶるウザくはあるが。
幼い頃から、この華やかな顔立ちのせいで、いらんトラブルに巻き込まれまくって、俺は女性がさほど得意ではない。家族との折り合いもあって、正直女性に対してどう接していいのかわからなくなるのだ。
眉を顰めながら、俺はグラスに残っていたエールを一気に飲んだ。
過去のあれこれを思い出したら、酒がまずくなってしまった。
「変われるものなら変わってやりたい。囲まれてみろ……恐怖だぞ」
周囲の耳を考え、低く声を潜め真顔で返すと、エリックはひえっとか細い声を上げて肩を竦めた。
「これ以上はよそうか」
「賢明だ」
場の空気を仕切り直すように、俺たちはエールを追加注文して、エリックの持ってきたつまみを口にした。「俺の!」と声があがったが、そんなのは知らん。
口腔内に広がるしょっぱい一品は、すっかり食べ慣れた冒険者向けの宿の味。
これはこれで旨いし酒に合うものの、この間カナメが作ってくれた丁寧な料理のが好きだなと、思わず感慨にふける。すっかり口が贅沢を覚えてしまっていけない。
「カナメは……詳細は省くが、ヴェルガーの森で倒れていたのを、俺が保護したからかな。妙なところでふわっとしているから、放っておけない。それだけだ」
変に誤解をされても、カナメが可哀想だ。
ただ、カナメのあの破天荒な魔法とスキルと、無茶を無茶と思わない本人の性格を鑑みたら、目が離せないのも仕方がない。いくら魔女殿が協力してくれるとはいえども。
彼女は、まだこの世界に慣れていない。元々住んでいた世界との文化の違いは、さぞかし大きかろう。
だが、界渡人の事情をそうそう話すわけにもいかず、お茶を濁しながらそう告げる。
以前エリックには、偶々行き倒れていた女性が魔女の家に居候することになったいきさつを話してあったから、誤魔化されてくれるだろう。
ふと、クラリッサの街にたどり着く前の、迷子のような顔をした彼女の姿を思い出す。
元の世界で、一人ぼっちだったと寂し気に笑ったカナメ。
打ち明けてくれた内心は、自分とどことなく似ているところがあって、少しだけおせっかいを焼いてしまった。
肩ひじを張って、一人で懸命に歩いている彼女は、強いがどこか脆くも映って。
自ら保護した手前もあるが、やはり守ってやらねばという気持ちが強くなる。
あんな風に落ち込む表情よりも、笑った方がカナメには似合っている。
「庇護欲ぅ……それが進歩だって言ってんの。はぁ、今自分がどんな顔してるか、わかってないな、お前」
エリックはやや呆れた様子で、新たに運ばれてきたエールのグラスを、ごつんと俺のグラスにぶつけてきた。
「ヒースはもっと情緒を育てろ、情緒をさぁ!」
「お前が育てるのは慎みだな、エリック。カナメにいらんちょっかい出したら、わかっているだろうな」
「あーあーあー、きこえなーい!」
何故情緒。意味が分からない。
エリックがぶつくさ言いながら面倒くさく絡んできたが、俺はいつものことと流した。




